こんばんワニ
昨日に引き続きまして新入生オリエンテーションでした。
そして80%くらいはタミル語で行われました…
この大学はEnglish Medium=英語教育をすることになっているのでオリエンテーションだって英語でなされるべき。でも実際は、特に学士過程の子たちは高校での言語がタミル語だったため、いきなり英語でオリエンされてもわからないでしょーとのこと。
イヤイヤ、私たちOut-of-state students(タミルナドゥ州外から来ている生徒)や留学生はどーすりゃいいのさ。
…と不満がムンムンしていたところに、なぜか感想を述べてくださいとあのすし詰め生徒陣の前に連れて行かれ、「ふざけんな!全然わかんなかった!」と言うわけにもいかず、ニコニコ「大学について学ぶよい機会となりました」と言ってしまったのでした。
でも、ま、授業でこんなことになると困っちゃうので、授業でタミル語話されたらきちっとビシっと「わかりません」と言うつもりです。
あぁ、疲れた。石みたいな席だったからお尻が痛い。
そういえば、今日は例のお茶の時間に、お茶をそそぐおにーちゃんの横で紙コップを並べる係を(なかば率先して)やりました。でっかいバケツみたいなのからでっかいマグカップにくんで、ちっこい紙コップ(容量100cc)に注ぐので、テーブルの上にお茶がこぼれて、池みたいになってました。紙コップがぷかぷか浮いてたもん。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
では、昨日の続きのインドに来るまでの過程第3章。
2010年1月にインドに留学しようと決めて、その前にインドでインターンをしようと決意。
…ハイ。
インドに留学する前に、インドでインターンしてました。
この3ヶ月は本当に貴重な体験となったので、一度のポストじゃなかなか書ききれません。なので今回は概要のみ!→
2010年9月15日、まだまだ暑い日本を出発。デリー経由でタミルナドゥ州チェンナイ入りし、そこから電車でKodai Road駅へ.。インターン先のNGOCIRHEPのスタッフがお出迎え。
そして、Veelinayakenpattiという村でホームステイをしながら、CIRHEPのトレーニングセンター(TC)とNilakottaiにあるオフィスを行き来しながら開発プロジェクトについて学ぶインターン生活が始まったのです。
最初の1ヶ月は、下痢、発熱、疲れ、虫刺され、そして食べすぎで苦しんだ苦しんだ。今までスタディツアー引率でインドに来たときはお腹壊したことなんてなかったのに、大変でした。たぶん理由は:
(1)今までは引率という立場でキモチもひきしまってたので、体に抵抗力があった
(2)うっかりFunction foodを食べた
ということだと思います。Functionは以前に書いてますがお祝いごとのこと。行ってすぐに友だちの結婚式がマドゥライで行われたので参加したのだけれど、そのときに食べた食事というのが、屋外で調理され炎天下の中何時間もほっとかれたであろう肉入り(Non-veggie)、だったのです。その夜に第一波の腹痛・発熱が来たもんね。
それ以来、基本function foodには手をつけない、食べてもVegetarianのみ、と決めています。皆さんも気をつけましょう。
という苦しみのみの3ヶ月だったわけではなくて、そのあと2ヶ月はけっこうムリしても倒れないくらい免疫ができて、充実した日々を送ったのでした。
これもまとめのみとしますが、3ヶ月でCIRHEPの以下のプログラムについてお勉強させてもらいました
(1) Adolescent Girls Program
(2) Biodynamic and Organic Agriculture
(3) Nature School
(4) Watershed Development
(5) Women Empowerment
そして12月、泣く泣く(という心の余裕もないくらい急いでたんだけど)Veelinayakenpattiを離れ、チェンナイで上京した田舎者みたいな気分になったあと、デリー空港の新しいターミナルにうっとりし、そしてハーゲンダッツがターミナル内にあるのに感動し、15日晴れて日本に帰国。
そして数日間放心状態。我に返って、「あぁ南インド料理とティーがなつかしい」としみじみ。
そのあと6. ICCR奨学金応募準備に取りかかるのですがこれはまた今度にします。
そのあとの流れ
7. 2011年2月ICCR奨学金選考試験
8. 3月留学資金稼ぎアルバイト開始→直後に東日本大震災
9. 5月大学院出願→奨学金選考通過
10. 6月渡印
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
そういえば。
おとといからクラスメートの女の子たちとつるんでいるのですが、ひとりが
「日本はとてもきれいで、大好き。家ではNHKを見ている」
と言うので、あらまーと感心。
実は私も上記インターンシップ中に日本のチャンネルがあるよということで、インドの田舎の村のテレビでCool Japanを観るという経験があって、NHKの番組が観られることは知ってました。でもこっちの人は日本のチャンネルだってわからないかもしれないし、日本の番組もアニメ以外興味ないだろうなって思ってたので、うれしかったのね。
その子がNHKの番組をやってるテレビの画面を携帯のビデオで撮ったのがあるというので観てみると。
青いあじさい。
緑の広がる風景。
あぁ、ステキ。
誰かが大きなびんを出してくる。梅干か何か…?
と思ったら、よく見る顔が、なにやら説明している。
…ベニシアさんじゃないですか。
彼女が観ていたのは猫のしっぽ カエルの手だったわけね。
まぁ、日本であることに変わりはないし、ベニシアさんは日本人より日本の文化について詳しいかもしれないけど。
本人はベニシアさんがイギリス人だったことを知らなかったらしい。
まぁ、日本好きって言ってくれるんだからいっか。
そして、そんなクラスメートの知っていた唯一の日本語:
「コレ イクラデスカ」
…大事だよね。うん。
昨日に引き続きまして新入生オリエンテーションでした。
そして80%くらいはタミル語で行われました…
この大学はEnglish Medium=英語教育をすることになっているのでオリエンテーションだって英語でなされるべき。でも実際は、特に学士過程の子たちは高校での言語がタミル語だったため、いきなり英語でオリエンされてもわからないでしょーとのこと。
イヤイヤ、私たちOut-of-state students(タミルナドゥ州外から来ている生徒)や留学生はどーすりゃいいのさ。
…と不満がムンムンしていたところに、なぜか感想を述べてくださいとあのすし詰め生徒陣の前に連れて行かれ、「ふざけんな!全然わかんなかった!」と言うわけにもいかず、ニコニコ「大学について学ぶよい機会となりました」と言ってしまったのでした。
でも、ま、授業でこんなことになると困っちゃうので、授業でタミル語話されたらきちっとビシっと「わかりません」と言うつもりです。
あぁ、疲れた。石みたいな席だったからお尻が痛い。
そういえば、今日は例のお茶の時間に、お茶をそそぐおにーちゃんの横で紙コップを並べる係を(なかば率先して)やりました。でっかいバケツみたいなのからでっかいマグカップにくんで、ちっこい紙コップ(容量100cc)に注ぐので、テーブルの上にお茶がこぼれて、池みたいになってました。紙コップがぷかぷか浮いてたもん。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
では、昨日の続きのインドに来るまでの過程第3章。
2010年1月にインドに留学しようと決めて、その前にインドでインターンをしようと決意。
…ハイ。
インドに留学する前に、インドでインターンしてました。
この3ヶ月は本当に貴重な体験となったので、一度のポストじゃなかなか書ききれません。なので今回は概要のみ!→
2010年9月15日、まだまだ暑い日本を出発。デリー経由でタミルナドゥ州チェンナイ入りし、そこから電車でKodai Road駅へ.。インターン先のNGOCIRHEPのスタッフがお出迎え。
そして、Veelinayakenpattiという村でホームステイをしながら、CIRHEPのトレーニングセンター(TC)とNilakottaiにあるオフィスを行き来しながら開発プロジェクトについて学ぶインターン生活が始まったのです。
最初の1ヶ月は、下痢、発熱、疲れ、虫刺され、そして食べすぎで苦しんだ苦しんだ。今までスタディツアー引率でインドに来たときはお腹壊したことなんてなかったのに、大変でした。たぶん理由は:
(1)今までは引率という立場でキモチもひきしまってたので、体に抵抗力があった
(2)うっかりFunction foodを食べた
ということだと思います。Functionは以前に書いてますがお祝いごとのこと。行ってすぐに友だちの結婚式がマドゥライで行われたので参加したのだけれど、そのときに食べた食事というのが、屋外で調理され炎天下の中何時間もほっとかれたであろう肉入り(Non-veggie)、だったのです。その夜に第一波の腹痛・発熱が来たもんね。
それ以来、基本function foodには手をつけない、食べてもVegetarianのみ、と決めています。皆さんも気をつけましょう。
という苦しみのみの3ヶ月だったわけではなくて、そのあと2ヶ月はけっこうムリしても倒れないくらい免疫ができて、充実した日々を送ったのでした。
これもまとめのみとしますが、3ヶ月でCIRHEPの以下のプログラムについてお勉強させてもらいました
(1) Adolescent Girls Program
(2) Biodynamic and Organic Agriculture
(3) Nature School
(4) Watershed Development
(5) Women Empowerment
そして12月、泣く泣く(という心の余裕もないくらい急いでたんだけど)Veelinayakenpattiを離れ、チェンナイで上京した田舎者みたいな気分になったあと、デリー空港の新しいターミナルにうっとりし、そしてハーゲンダッツがターミナル内にあるのに感動し、15日晴れて日本に帰国。
そして数日間放心状態。我に返って、「あぁ南インド料理とティーがなつかしい」としみじみ。
そのあと6. ICCR奨学金応募準備に取りかかるのですがこれはまた今度にします。
そのあとの流れ
7. 2011年2月ICCR奨学金選考試験
8. 3月留学資金稼ぎアルバイト開始→直後に東日本大震災
9. 5月大学院出願→奨学金選考通過
10. 6月渡印
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
そういえば。
おとといからクラスメートの女の子たちとつるんでいるのですが、ひとりが
「日本はとてもきれいで、大好き。家ではNHKを見ている」
と言うので、あらまーと感心。
実は私も上記インターンシップ中に日本のチャンネルがあるよということで、インドの田舎の村のテレビでCool Japanを観るという経験があって、NHKの番組が観られることは知ってました。でもこっちの人は日本のチャンネルだってわからないかもしれないし、日本の番組もアニメ以外興味ないだろうなって思ってたので、うれしかったのね。
その子がNHKの番組をやってるテレビの画面を携帯のビデオで撮ったのがあるというので観てみると。
青いあじさい。
緑の広がる風景。
あぁ、ステキ。
誰かが大きなびんを出してくる。梅干か何か…?
と思ったら、よく見る顔が、なにやら説明している。
…ベニシアさんじゃないですか。
彼女が観ていたのは猫のしっぽ カエルの手だったわけね。
まぁ、日本であることに変わりはないし、ベニシアさんは日本人より日本の文化について詳しいかもしれないけど。
本人はベニシアさんがイギリス人だったことを知らなかったらしい。
まぁ、日本好きって言ってくれるんだからいっか。
そして、そんなクラスメートの知っていた唯一の日本語:
「コレ イクラデスカ」
…大事だよね。うん。
0 件のコメント:
コメントを投稿