2013年5月6日月曜日

My Master's Thesis...WAS (2) 何があったんでしょう

こんばんワニ。


タカハシヒカルさんってご存じですか。

セレブネコ
ぐぅぱぁネコミーヤちゃんの本や
かご猫シロちゃんのDVDなんかを手がけている
編集者さんです。

「立ち読みしてみわちんに買おうと思った」
と店頭で自分も笑ったというMちゃんから
タカハシさんの本をいただきました。

その名も

帰国時は病み上がりだったので
修士が終わる前に
また病気になったり、
落ち込むことが起こったり、
インドにいたら何かしらあるだろうから
ヘコんだときに読むね」と言って
バッグに入れてこちらに戻りました。

(とか言って、日本から帰るのがちょっと悲しかったので
帰りマレーシアのトランジット待ち中に
ちょっと読んでプッと笑ってたけど。)

ということで、
落ち込んだときのためにとっておいたこの本。

先週2週間、ものすごく気分が落ちていて
すっかりこの本のことさえ忘れていました

なんていうか、すごく重症だった気がする。

先日のポストを読んだ友人Yちゃんに
これまた冬の帰国中にあった
「宮エピソード」を思い出して(詳細は割愛)元気出して、と言われ
思い出したら「プッ」と笑えたので
その旨Facebookで書いたら

あれーそういえば、「プッ」のネコの本。。。
このときのためにもらったようなものじゃないですか!

と思い出して、
昨日ひっぱりだしてきました。

元気出た


と、いうのが
元気が出てきた唯一の理由ではないのだけれどね。

先日のポスト以降
いろんな人に連絡をもらって、
メイルで返事をしたり、
Facebookで返事をしたり、
チャットで話せる人にはちょっといきさつを伝えたり、
としているうちに、
ちょっと気分が落ちつきました。


「そのうち何があったか書くよ」と
伝えている人もいるので
ちょっといきさつを書きたいのですが、
ヘタするとこの大学院留学自体否定するような文面になりそうなので
(そう思っている節がありますので)
注意して書かないとね。。。


ということで、簡潔にまとめようと思う。


あの日、内容を切れ、もしくは所見つきでサインと言われ
内容を切らないでそのまま出したいと決めた私。

同じ日、学科長とB教授、P先生の3人が話した結果
「切らないで所見つきでいいでしょう」
ということになった。


次の日、担当教官E教授に
「所見つきでお願いします」と伝えたところ
ものすごく強い口調で
「変える気がないのか」
と言われ
「ないです」と言う。

「Then leave it」(じゃぁそのままで)
とこれまた強い口調で言われ、
なんなんだよと思いつつ、それで話が済んだものと思う。

次の日(金曜日)もサインをしてくれる気配がないので
「学科長と話した結果所見つきでサインということになりました」
というレターをE教授宛てに書き、
学科長に承認のサインをしてもらってから渡そうと
学科長のところに行くと
「E教授と話し合ったのか」
とまた聞かれる。

「でもこの間の話し合いでこういうことになりましたよね」
と言うけれど、
「P先生を呼んできなさい」と言われる。

P先生が来て、
(たぶん)どうなっているんだと学科長がたずねる。

結局、これは私とE教授が話し合わなければと言われ
P先生と3人で話してこいと言われる。

変えなくていいって言ったじゃんね?
これ以上何を話し合うの?

E教授のところに行くと
「君の論文の何が問題か教えてやろう」
と言われる。

サインがほしいだけなのに、と思うけれど
学科長が助け舟を出す気配はなし、
P先生も話を聞く気満々だけど私を弁護する気配はなし。

だから、
私やっぱり修正しないと提出できないんだ
とうすうす感じ始める。

で、E教授とP先生と3人で座って
何がダメか、話を聞く。

だけどもう教授の顔を見ることさえできない私。
下を見て、黙って話を聞く。

そこで言われたのは
なんだったかよく覚えていないのだけど
つまるところ、
「タイトルがふさわしくない」
「事業の成果を受益者ではなくNGOから聴取するのはダメ」
ということ。

タイトルに関しては「計画」「ガイドライン」と
どちらも含んでいるのがダメ。

二つ目に関しては、
事業の成果は(事業を運営している)NGOから聞き取りをすると
いいことばかり並べるのが当たり前なので
受益者である農民の人たちから聞かなければ
Validではないということ。

はぁ…。

言いたいこと言うだけ言って
自分の作業に戻る教授。

P先生は今の話をひと通り聞いて
わかってんだかわかってないんだか
(たぶんわかってない)
タイトルを変えろということばかり言ってくる。

らちがあかないのでもう一度学科長のところに行く。

「E教授の言いたいことはわかります。
わかるんですけど、
何でそれを今言われるのかはさっぱりわからないです」

「E教授を呼んできなさい」

「ランチに出てしまったようですけど」

「本当か」

…話にならん。

P先生が
「E教授がランチから戻ったら連絡するから
とりあえず部屋に戻りなさい」
と言う。

部屋に戻って
どうしたらいいんだろうと思っていると、
論文でちょっと大変な目にあってると数日前(たぶん)に話をした子が
「提出できたの?」
と聞いてくる。

「もうどうしたらいいかわからないんだけど…」
と話をしていると、
寮の子たちがわさわさ集まってくる。

印刷をしろと言われてから訂正と言われた、ということ、
E教授が「最後の最後に」こういうことをする人だということ、
をみんなが話し合って、
「訂正する必要ないわよ」と
言ってくれる。
「そんなのおかしいでしょう」と。

「学科長に話をしたの?」と聞かれ
「大丈夫だって言ってたのに助けてくれない」と言う。

「それならVC(大学副総長)と直接話をするべきよ」
「今までだってこの教授はトラブルばかり引き起こしてきたんだから」
と言われるけれど、
私には
「学科長を通り越して上に訴える」ことが
できない理由がありました。

ちょっと話が前後しますけど。

同じ担当教官のもとで研究をすすめていて
ヒドい仕打ちを受け、

そのNのしたことを
学科長は快く思っていなかったのです。

学科長いわく、
「Nは他の州から来ていて、
自分はいつも彼のことを気にかけているし、
弟のように思っている。
論文の件だって学科内で解決できたことなのに
彼は外部で話してしまった。
結果関係者はうちの学科を非難している」
ということだそうです。

Nが学科長に助けてくださいと頼んだとき
学科長は私に言ったようにDon't worryと言ったけれど
特に何もしなかった。

だからNは学科の外で戦うしかなかった。

それに、これはNが自分から言い出したことではなくて
Meetingの席で「論文の進み具合はどうだね」と
直接Nが聞かれたので出てきた話であって。

だからNに非はない。

だけど、学科長は学科の名誉が汚されたと思っている。

私だって学科長が何もしてくれないのがわかってきたので
上の人に話をしたいけれど、
学科長が敏感になっているときに
今学科長を敵に回すようなことをしたら、
卒業できなくなるかもしれない。

だから上の人とは話ができない。

と寮のみんなに伝える。

「もう一度学科長と話して修正したくないって伝えなさい」
とみんなに言われる。

午後、P先生が連絡をくれるのを待っていたけど
ランチの時間がとっくに終わっているのに
連絡なし。

部屋でひとりで待っていると頭がおかしくなりそうなので
学科に行く。

学科長がいない。

学科長はキャンパス内の別の団体の責任者でもあるので
そちらのオフィスにいることが多い。

なのでそっちに行って話をすることにする。

途中、生物学科の建物の前に
学科長のスクーターが止まっているのを見かける。

あれと思ったけど
学科長が生物学科に用事があることはないだろうし
学科長のスタッフが使うこともあるので
気にせずそのまま通り過ぎる。

すると学科にいたマニプーリシスター妹から電話。

「今学科長が来たの。
生物学科でA(シスター姉)の担当教官と話をしていたみたい」
と言われる。

…なんだそりゃ。

私がランチタイムに話をしていたとき、
おかしいだろそれと思ったお姉ちゃんが
自分の担当教官に私が「こういう仕打ちを受けている」と
言ったらしいのです。

彼女の担当教官と私の学科長は
プライベートでも親交がある仲なので
さっそく担当教官が学科長に連絡をして
話をしていたらしい。

あとでわかったことですが、
Don't worryと私に言っていた学科長は
お姉ちゃんの教官に対して、私が
「訂正をするのを拒んでいる」
「最終原稿を出さずに印刷をしてしまった」
「奨学金を受けているから(再印刷も?)問題ない」
などと言っていたらしいです。

まぁともかく、
学科に戻る。

学科長に、
朝こうこうこういうことを言われましたと伝える。

「E教授と話をするから少し待っていなさい」

しばらく学科長とE教授が話をしたもよう。

じっと待っているのも疲れるので学科長のオフィスをのぞく。

学科長が
「つまりE教授が言いたいのはこういうことなんだ」
と説明をしてくる。

あのー。。。。

じゃぁ、学科長は、
E教授の言い分をきちんと聞く前に
「訂正しなくて大丈夫」
って私に言っちゃったわけですよね?

で、今になって言い分をちゃんと聞いたから、
「変えなさい」
ってことなんですよね?

「だから、E教授のおっしゃっていることはわかるんです。
間違いだったら直したいと思うんです。
だけど、それを今になって言われるのがわからないんです」

「だけどね…」と学科長。

E教授が呼ばれ、
E教授の言い分がまたはじまる。

新しいタイトルをすらすらと言い出し、
それを書き留めるP先生。

「これがものすごく問題だと思うんです」と、
NGOが事業のスポンサーに提出している事業報告書の部分を学科長に見せる。

そこで言っていたのは
私が収集しているデータは他に提出しているものではいけないと
言われる。

「論文のはじめの誓約書の部分で
『論文のどの部分も他で発表・提出していないオリジナルである』と
書いているだろう」
と言われるけれど、

私の場合「学位のために提出したことはない」と
書いているのであって、
NGOがどこに提出していようと関係ないだろと思う。

それに、スポンサーに提出している正式なものなのに
それを「内容が問題だ」と言われるのは
正直心外だった。

でも論文の3章には2次データを入れてはいけないんだと。

言うだけ言って出ていくE教授。

で、学科長は、
「E教授とP先生と3人で話し合いなさい」
と言われる。

じゃぁ、学科長にに今まで話をしてきたのは全部無駄ということなんですよね。

もう何を言っても無駄なのはわかったので
訂正をすることにする。

P先生と3人でと話をしなさい、私も戻ってくるからと言って
会議に行く学科長。


ところが、E教授は帰宅済み。

この人、17時までオフィスにいたことがない。
しかも金曜は「金曜のお祈り」がある日で
6時間目前(15時45分)にはとっととオフィスを出る
(毎週お祈りに出席しているかは不明)。

そのあと、呆然としながら
P先生と話をして
私の言い分(何で今?)を伝えたけれど
「過去は忘れなきゃ」
と言われる。

どうやって忘れるんだ。

この日、部屋に戻って訂正をしました。

タイトルを変え、
NGOが提出した事業報告書をカットし
(これは事業の成果の比較のために入れていたものなんですが)、
他にNGOスタッフがインタビュー中に話してくれた事業の成果部分をカットし、
こうした成果から得られた私の考察をカットし、
これから得られる私の提案部分をカットし、
その他これによって変わる細かい訂正をしました。

あと、NGOインタビュー中に
「あるNGOは資金の運用がヘタで事業を途中でやめてしまった」
「政府の事業はここがダメ」
と言っているのもカット。

NGOといい関係を築いているうちの大学は
NGOのバッシングがダメなんだと。

あと、学科長があとで言ったことですが、
留学生が政府のバッシングをすると
「外国人のくせに何がわかる」と言われるので
インド人生徒が政府の非難をしても何も問題がないけど
私はダメ、と言われました。
だからカット。

これが一番頭に来る。
同じ学生なのに。

インド人の人が「当たり前」だと感じていることを
私は当たり前だと思わない。

インド人の人がいいと思っていることを
私は必ずしもいいことだと思わない。

外部者だからこれはおかしい、と言えることがあるでしょう?
外部者だから客観的に見えることがあるでしょう?

第一、正直な意見を書けない、
それが学問なの?

それに、収集されたデータから得られることだけ書きなさい
と言われました。
それがscientificなのだからと。

それはわかるけど、
収集されたデータから明らかなことだけ述べる
(『インタビューしたNGO5つのうち4つがYesと答えたのでこれは多数ですね』とか)
それがscientificということなの?

データだけではなくて、
文献から学んだことも織り交ぜて、
そこから得られたことを考察や提案を書く、
それは修士論文に許されないことなんですか?

それがscientificということなんだったら
私はscientificな学問なんかくそくらえ。

I'm a social science person. Not a science person.
I want to say beyond what is obvious.
Because I THINK.

まぁそんなこんなで。
バッサバッサと私の論文はカット。

週末明けて、もう腹をくくり、
「切れと言われたらなんでも切る。ともかく早く提出したい」
と思ったので
月曜・火曜にまた訂正を言われ
最終的に50ページくらい切ったけれど、
正直もうどうでもいいやと思った。

(ということでこのポストのタイトルになるわけですな。)

苦痛だったのが
火曜日になぜかE教授の機嫌がものすごくよく、
印刷するところまで一緒に来てくれると言い出し
一緒に行くのはいやだったけど私に選択の余地もないので
P先生と3人でこの印刷やさんへ。

停電もあり、待ち時間もかなりあったので
14時から18時くらいまでずぅっとE教授と過ごすハメに。

ここでもフォントがあぁだこうだ、目次はこうだと
E教授はDTP店主にいちいち修正を申し付けました。

最初は快くやっていた彼ですが、
私の論文の長さに正直うんざりしていたようです。

「自分の博士号過程が論文を仕上げるときは
いつもここに来て修正をしてもらっているんだ。
彼は頼りになるから」
と言っていたE教授ですが、
今までに博士号ひとりしか担当したことないのを
私は知っています。

この間ものすごくフレンドリーに
私の家族のことやこれからの予定を聞いてきたり
自分の家族や家のことを話してきたりと
E教授が長々と話すので、

本当に、この人がよくわからないです。

私に何か非があって
故意に最後になるまで待っていちゃもんをつけてきたんだか、

それとも本当に
最後の最後になるまで私の間違いに気がつかなかったんだか。

でも本当に間違いに気がつかないわけがないんです。

最初から
こういう目的で、
こういう手法で、
こういう場所でデータ収集して、
こういう方法でまとめます、
と逐一報告していたのだから。

私が論文の部分部分を書き上げるたびに提出していたものを
全く読んでいなかった
そうとしか考えられないんです。

まぁともかく。

論文の冒頭に
担当教官がサインをするページがあり、
そこを先に印刷したので、
E教授はサインをして帰りました。

そのあとP先生と私は停電までまた1時間ほどねばり
あとの作業を店主にまかせて帰りました。

次の日5月1日は
インドでもメイデーなので祝日。

朝9時半にできあがると言われていたものの、
製本作業の一部を外注している店主は
「18時にならないとその店があかない」と。

なのでその日もストレスを感じつつ過ごしましたが、
18時40分くらいに「できました」と電話が。

19時過ぎにとりにいき、お金を払って寮に戻る。

次の日、5月2日に提出。
というより学科に積み上げてとっととテスト(CFA)に行きました。

火曜からE教授には会ってません。
必要がなければもう会わない。
そう思います。


はい、これが一部始終です。

これかなり感情うすめで書いてますが、
心底辛かったです。

いろいろ感情入りで書くと、
本当に将来が心配になるので
やめときます。


ちなみに、

私が滅入っている最中に
政府の人材開発省(Ministry of Human Resource Development)の
大臣がうちの大学にやってきました。

それに際して
うちの大学はいろんな州から生徒が来ている
ということをアピールしたい大学は
数日前に他の州や国から来ている生徒を集めて
「数日後に大臣が来るから」と伝える
「副総長と語らう会」と設けました。
(私は行ってないです)

そこで副総長が言ったことには、
「ひとりにつき故郷でひとり、うちの大学で勉強するように
人を集めてきてくれ(Each one, catch one)」
だそうです。

絶対無理

今後来る人たちが
私と同じような待遇を受けないと
保障ができるでしょうか?
できません。


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