2012年7月1日日曜日

2nd Half of Short and Sweet Summer Break Day 24 - 光り輝く島

こんばんワニ。




Himalaya Herbals


最近使いまくっているHimalaya Herbalsの商品。日本から持ってきたシャンプー等がなくなり、こちらで買うことになったときに、「どうせなんだからインドのアーユルヴェディックとかの製品使いたいなぁ」と思い、DoveL'Orealなど見慣れた製品もあるのだけど、このHimalayaをセレクトしています。


理由は…名前?笑


でもアーユルヴェディックと普通の化粧製品のアイディアを組み合わせて作っているようだし、なんとなく肌にいいかもとか思ってしまうのよね。(中途半端健康志向だから。)


創始者が当時のビルマで像をなだめるために根っこを食べさせているのをみて「これは!」と研究を始めたのがきっかけで…という「ヒマラヤじゃねーじゃん」という会社創設の歴史はウケるしね。


最初に買ったのはAnti Hair Fall Shampoo。抜け毛が多くて、ホントハゲるかと思ったから。その後、フェースパックや洗顔フォーム、ローションやトナーと買いだめ、なんだかバスルームがHimalayaに占領されてきた。


使い心地は悪くないですよ。肌荒れはあいかわらずお天気任せって感じですが(暑いとすぐ吹き出物が泣)、パックすると落ち着くし。そしてインドの会社、国内製品だから安い。学生にはありがたい。




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突然ですが。


私ができれば優先的に行ってみたいと思っている国リスト(人生でいっぺん行ってみたい場所は多すぎるので書きません)は、


ラオスタイヴェトナム。それにスリランカです。


まぁぱっと見、全部アジア。意識してるのは仏教国ということ。と言ったらブータンやチベットなんかも入るんだけど、ブータンは行くとガイドを雇わなくちゃいけないらしいし(日当1万円)チベットは中国国内だから代わりにチベット仏教を信仰しているインド国内のLadakhに行ければいいやって感じ。韓国も食べもの以外興味ありません。


なんでっつったらただ仏教遺跡やお寺に行って、仏様を眺めて仏教建築にうっとりしたい、ってだけなんだけど。




で、今いるところにいっちばん近いのは、Delhiに行くより断然近い、スリランカ。


大学に入りたてのころの私はスリランカがどんな国なのかもよく知らなくて、スリランカ出身クラスメートのおうちに行って仏様の絵がかけてあるのを見て、初めて「仏教国」だと知ったのです。


数年後、ネットのミュージックヴィデオを観て衝撃を受け、聴いていたスリランカ系UKシンガーM.I.A.


そして、大学の南・東南アジア国際関係のクラスではスリランカ国内の紛争がどうして起こったのか真っ向から対決する2つの論文を探して比較するというなんともめんどくさい課題をやりました。


なんでこんな「私とスリランカ」の接点でもない接点を書いているかと言うと。


先週農園を訪問した際に、ふと手に取った英語の写真集。これがいろいろとまた考えるきっかけになったんですよね。




接点についてもう一度。


先述のクラスメートと仲良くなったときはスリランカという国ではシンハラ語が話されていて、主な宗教は仏教だと思った。(シンハラ語でこんちくしょうの言い方も教わった。)


M.I.A.のお父さんはスリランカのタミル系で、どうやら政府に狙われていたため彼女は英国に亡命したらしいとネットで読む。(スリランカにはシンハラ人じゃない人もいるのねぇ)


そして論文を読んでいて、どうやらスリランカにはタミル人グループのLTTE: Liberation Tigers of Tamil Eelamという「テロリスト集団」があると知る。(あぁ、M.I.A.のお父さんはこれに関わっていたのね、きっと)


そして数年後の私。インドに来てタミルの人と交流する。そのころにはスリランカのタミル人のことなんて忘れていたと思うけれど。のちのちあのクラスのことを思い出したけれど、まさか「大学でタミル人はテロリスト集団作ってるって勉強したよ!」なんて言うわけもなく。


そのまた数年後の私。インドで大学院生するようになって地元の新聞を読み始める。やたらと国際面じゃないところにスリランカの話題が書いてあって、「戦後の和解プロセス」「タミル人への補償」が目につくようになる。


先週。「こんなことが起きたなんて信じられますか」のような題名の分厚い本を、農園の本棚で見つけて手に取る。表紙は女性が手を上げ、しゃがみこんで泣いている写真。うしろには戦車。


どこかの戦争の写真かなと思ってページをめくる。


そう。これはスリランカ内戦の際甚大な被害を受けたタミル系スリランカ人の写真集だったのです。




回りくどい書き方を何度もして申し訳ないですが。何を言いたいかと言うと、私はスリランカのことを全然わかっていなかったんですね。


スリランカには大きく分けて2つの民族が住んでいて、シンハラ系とタミル系がいること。


タミル系はヒンドゥ教やキリスト教を信仰していて、スリランカを仏教国と断言するのには多少問題があること。


イギリス統治下のスリランカ(セイロン)で植民地政府が少数派のタミル人を優遇した結果、多数派のシンハラ系のイライラが高まったこと。そして独立後はシンハラ系が政府をコントロールし、国語をシンハラ語にしようとするなど衝突の種が生まれたこと。そして1980年代に内戦勃発


私が例のクラスを受けていたときは各国の仲介のもとスリランカ政府とLTTEは停戦の話し合いをしている最中でした。…のはずなのにぽつぽつ衝突が起こっていて、という状況だったと思います。


インドも平和維持軍を送って仲介しようとしていますが、それがタミル人の反感を買い、首相Rajiv GandhiはLTTEメンバーに暗殺されます。…という話をきいたのはホント最近、こっちでクラスを受けるようになってから。




そして、この内戦中にスリランカ(輝く島という意味)のタミル人に何が起こっていたか、それはこの写真集を手に取るまで「知ろうとしていなかった」こと。


もちろん、論文比較の際に「政府がタミルの人権を迫害している」「国外難民、国内避難民のタミル人がたくさんいる」というのはもちろん読んでいたし、新聞で「人権擁護団体が内戦中の政府軍の戦法を非難して」なんて記事は何度も読んだし、国連やアメリカがスリランカ政府に「何とかしろよ」と圧力をかけているのも知ってる。


でも、じゃぁ戦争中にどんなことしてたのさ?


というのは、怖くて見られない部分。だったんですね。だから無意識に避けてた。


日本は2つの世界大戦を経て、「もうこりごり」と戦力を放棄した。(すぐ「自衛隊」という形で勢力盛り返したようなもんだけど)40年後の世界で、まだこんなヒドいことが起こっていたなんて信じられないと、平和大好き日本人の私は自分の感性で素直に思ってしまうのです。もちろん60年たった今でも世界ではバカバカしい理由(じゃないのもあるけど)で紛争がたくさん起こっている。


まぁどんな写真が掲載されていたかはご想像にお任せしますが、これはどの戦争にも当てはまるものだと思うんです。実際、ヴェトナム戦争の写真と比べてるページとかあったし。一番被害を受けるのは戦ってる人たちじゃなくて、女性、子ども、老人、戦争とは関係ないひとたち。病院が政府軍に爆撃されたケースも多くあったようです。それに激怒して応戦する。向こうも応戦。意味のないループ。


いろいろな写真を見ていると、「こんなことされたらテロリストになるかもね」と正直思ってしまうけれど、LTTEだってブラジャーに爆弾を仕込む女性用自爆装置を開発したと言われているくらいで、テロリストのレッテルをはられても仕方ないことをしていたのは確か。


だから結局、どちらも悪かったと思うんです。もともとはイギリスの統治の仕方が悪かったのだけど。。。戦争ってそういうもの。どちらが先にやったとかじゃなくって、どちらも悪い。でしょ?


外務省が内戦についてかなりコンパクトにまとめているのでご参考に。中立に書いていると思います。




結局のところ、内戦やこの写真が私の「スリランカのシギリヤロックに登りたい」という希望を打ち砕いたかというと、そんなことはありません


むしろNGOのつてでスリランカタミルの団体にコネクションができたし、そこに行ってみたいなと思っているくらい。


だけど、シンハラ系とタミル系とどちらにもつながりと思い入れができた今、スリランカについてはもっと勉強してから行った方がいいかなと思っています。近いけど、まだ行ない国。それがスリランカなんです。



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そんなことをBlogに書こうかなと思っていた矢先、世界で起きている別の紛争に関して考えるきっかけが。

それが今日観た映画、"Language of the Enemy"(または"A House Divided")というパレスチナ紛争を扱った作品。

実際にあった話が元になっていると書いてあったのですがあまりネットで情報がないので詳しいことはわからないです。以前にユーゴ紛争中にもボスニア系とセルビア系のカップルの悲劇みたいな実話をきいたことあるけど、そんな感じ。許されない恋、みたいな。でもこの話はロミオとジュリエットな要素も入っているんです。死んだと思ってたヒロインが実は…!みたいな(これがホントの話だったらスゴい)。

展開がいちいち早いのでビックリするけれど、パレスチナの子どもがイスラエル軍に対して投石するというのはおそらくホントに日常茶飯事なんだろうと思われる。イスラエルの入植ファミリーに対して笑うのとかも。

この、いちいち早い展開に"Gosh, come ON..."と中盤までイラっとしていたけれど、最後のどんでん返しと(もうネタバレしてるからいいよね)お葬式のシーンでまたさめざめと泣いてしまいました。

テーマがテーマだけに、「いい映画だった」とは言えない。悲しい話だった。


大学で生粋のイスラエルっ子はひとりしかいなかったけど、ユダヤ系アメリカ人は周りに多くいたようです。パレスチナ系学生を含めてパレスチナを支持する学生グループはキャンパス内にテーブルを並べてイスラエル政府と軍を非難しまくってました。たまにユダヤ系もテーブル置いてたけど、うちの大学の気質上あまり受け入れられていない感じでした。

今思うと、なんでスリランカタミルを応援するテーブルはなかったんだろう。タミル人は各国に移民がいるし、たくさんいたインド人生徒にもタミル系はいたはず。なのになんでだろう。イラク戦争が始まったときはイラクの写真もたくさんキャンパスで見たし。。。

きっと、メディアの取り上げ方の違いで、「世界で起きてる大変なこと」にランク付けがされてしまうんだろうな、と残念に思います。








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