こんばんワニ
またThanjavurの写真。
私はへそ曲がりなので、自分が元から好きだったものでも、周りが「私も好き!」と言い始めると「別に好きじゃないし」とか言っちゃうことがよくあります。
阿修羅もそう。奈良が遷都なんちゃらでスポットライトを浴びて、女子が大行列を作って阿修羅を見るのを待っている、それを見たとき心底げんなりしたものです。
もともとは小さなガラスケースに入って、思ったより身長低いなぁ、でもほれぼれしちゃうと思って見上げていたものですが、今となっては高嶺の花のようです。
けれどこうしてインドにきて顔が3つある像やこんな風に手が3組あるような像を見ると、やっぱりインドの神様は仏教に溶け込んでいったんだなぁと思います。そう考えるとすっごくおもしろい。
私、大学のころTheology(神学)に興味があったんですね。客観的・理論的に世界の宗教を学んでみたかった。
だけど。
私だけではなく、世界を旅する日本人がよくブチ当たる質問、というか問題は
宗教
のことだと思うんです。
私の感覚で言うと(間違ってたらごめんなさい)、日本人って若い人は特に宗教にこだわらない人が多いでしょう?冠婚葬祭の婚は教会でやっちゃって、葬は仏式で、祭りはお神輿なんか担いじゃって神道じゃない。
(冠?)
私もその例にもれず、
元旦は、うーん、神社でも寺社でもいいや。交通安全祈願?神社かな。(教会のケッコンシキはゼッタイイヤだけど)でも仏像が好き!そのくせ八百万(やおよろず)の神様をちょっと信じてる。無駄な殺生はしない、は自分のポリシー。隣人は、まぁ、愛してるよ。喜捨もしたいよね、余裕がなくても。
という、typicalな日本人というか、なんでもとりこんじゃう宗教観を持っているのです。
だから、日本の外に出て困っちゃうのが
「日本の宗教は何?」「あなたの宗教は何?」
という質問。
ぶっちゃけ、背筋がヒヤっとして、「きたな、強敵質問」と思う。
もちろんみんながそうではないと思うんですよ。日本で周りにひとつの宗教を信仰している人がいないわけではなかったし(クリスチャンなのにお遍路してる人はいたけどね)。だけど日本人の多くには答えづらい質問だと思うんです。
宗教というのは(これも私の感覚で書きますが)その個人のコアな部分に大きな影響を与えるものなので、その宗教に属していない人があーだこーだ言うのは、かなり気に障ることだと思うんですね。結果、異宗教間の紛争が起こったりする。(今異臭共感って変換されて爆笑。)数え切れないので列挙は割愛。異宗教観じゃなくて同じ宗教のくくりになっている中でも争いが起こる。スンニ・シーア、カトリック・プロテスタント、等々。仏教でもいろいろあったと思う。
ましてや、言葉が通じない、もしくは意思疎通が十分にできない場合はなおさら、宗教の話は難しい。英語何年も話してても、まだ宗教の話は難しいと感じます。
ということで、お仕事でインドに学生さんや社会人の人を連れてきたときには、
「宗教の話は避けるようにしてくださいネ」
とか言ってたんだけど、私自身宗教の質問をされてたという笑
むずかしいのは、(1)特定の宗教に属している人で、(2)周りがそういう人ばかりの場合、宗教に属していないということ自体が理解できないようなのです。
たとえば、アメリカにいたときは、特定の宗教に属している人は友人にいたけれど、周りがそういう人ばかりではないので(Atheist、無神論者と自覚している人も多い)、「私特に何も信じてない」と言っても「あ、そう」で終わる。
でも、インドの農村部にいると、99%の人口はたぶん宗教に属している。なので、周りに宗教に属していない人がいないから、そういう人の脳みそが理解できない。
私は無神論者と言い切るつもりもないので、ますますややこしい苦笑
この前も。
昨日以前に書いた寮母手下が洗礼を受けることになったので、前日寮の人がちょっと集まってディナーがありました。私はもうサバ食べたあとだったから、座って話を聞いていただけなのだけど。
運悪く隣にその寮母手下(ヒンドゥ教信者だったんだろうけど、ボーイフレンド《同僚》 がクリスチャンのため洗礼を受けることになった。クリスチャンはクリスチャンとしか結婚できないという決まりがあるらしいので)が座っていて、
「ミワは洗礼に来てくれるのかしら」
と言われて、ついうっかり
「うーん、私クリスチャンじゃないけど、行っていいんですかね」
とか言っちゃったもんだから。あちゃー。
「あらぁ、じゃぁあなたはどの宗教に属してるのかしら」
と、きたわけですね苦笑
私「何も信じてないです、というかいろいろな宗教の教えには共感するけど、スピリチュアルな部分になると、どうもダメで」
と生半可な回答をしたので
手下「そうなのね。でも聖書を読むべきよ。聖書は科学的な書物で、いろいろなことが説明されているのよ」
ここです。背筋に来るの。こういう話になってしまうのが、一番苦手なんですね。
もちろん彼女の信じていることを否定するつもりはないですよ。でも何と答えていいのかわからないんです。
なので、きちんと聞いているような、うなずいているだけのような感じになってしまいました。←こういうのって相手に失礼だよねぇ。。。
運よく、別の話題にそれたからよかったのだけど。
ちなみに、宗教が変わる(変える)というのも自分にはよくわかりません。昔から信じてきたものを変えるって、大変なことだよねぇ?手下も時間かかってようやく洗礼だったのだろうけど。
とか思ってたら、今日マニプールシスターズに招かれてマニプールの生徒たちとランチを食べた際にもまた同じような質問が来たので、苦笑い。
「日本では仏教が主流なんでしょ?」
うーん。。。そうなのかなぁ。。。本当に帰依している人は、タイとかカンボジアに比べたら格段に少ないし。
幸い彼は社会学選考で、めっぽういろいろなことを正直に話し合える仲なので、日本には信教と仏教があって、それがごっちゃになって、天皇が神様とされた時期もあって…とにかく、日本人は宗教に興味なくなっちゃったんだと思う!
という私のちゃんぽん自説を語りました。で、
「じゃぁ君は無神論者なんだ?」
いや、ちと違う!笑
皆さんも、海外では宗教トーク、細心の注意を払ってくださいねー♪
あ。で。今日のマニプールランチはまた魚でした笑 サバ缶じゃなかったけど。
マニプールにはクリスチャンが多くいて、うちの大学で勉強している子たちは全員クリスチャンだと思う。教義はいろいろ別のようだけれどね。
インドでは(悪いジョークなんだけど)ヒンドゥ教徒は牛を食べない、イスラム教徒は豚を食べない、でもクリスチャンは何でも食べる、とか言われていて、実際ここにいるマニプールの生徒たちも「地元には豚肉があってさぁ」とかDindigulのムスリムから牛肉を買ってきて調理をしています。
で、今日はやたらたくさん牛肉を買ってきたらしい。
「でも私肉は控えてるから…」
と言うと、
「じゃぁ魚も用意する!」
ということでわざわざお魚も買ってきてくれたみたいです。
でも台所から生肉のにおいが漂ってきたときに吐き気がしてしまって、どうも気分がよろしくなかったです。本当に肉が食べられなくなっちゃうんだろうか。
でもできあがった魚カレーはとてもおいしかったです。どうやってるんだろう。こちらでよく出されるなんか生臭い魚カレーとは違うんだよね。
彼らは東南アジアに近いこともあり、竹の子を食べる習慣があるので、(たぶんちょっと発酵してる)竹の子や玉ねぎ、唐辛子、干し魚、パクチーをマッシュして作った、南インドのものとは全く違う「チャツネ」をカレーやご飯に添えて食べます。最初はなんかクサー!と思ったけど、これが魚醤(fish sauce)みたいでクセになります。
しかし、今日の彼らは牛カレーの他に牛の脳みそも食していた。なんかトロリとしたソースみたいなものがあるかと思ったら…あぁ、手をつけなくてよかった。(フランス料理とかでも食べるみたいだけどネ…)
…狂牛病は、大丈夫なのかしら。。。調理すれば平気?
まぁ、そんなわけで、今日は手がまたサカナくさいよ。
やっぱりインドの神様と仏教の仏様はつながっている |
またThanjavurの写真。
私はへそ曲がりなので、自分が元から好きだったものでも、周りが「私も好き!」と言い始めると「別に好きじゃないし」とか言っちゃうことがよくあります。
阿修羅もそう。奈良が遷都なんちゃらでスポットライトを浴びて、女子が大行列を作って阿修羅を見るのを待っている、それを見たとき心底げんなりしたものです。
もともとは小さなガラスケースに入って、思ったより身長低いなぁ、でもほれぼれしちゃうと思って見上げていたものですが、今となっては高嶺の花のようです。
けれどこうしてインドにきて顔が3つある像やこんな風に手が3組あるような像を見ると、やっぱりインドの神様は仏教に溶け込んでいったんだなぁと思います。そう考えるとすっごくおもしろい。
私、大学のころTheology(神学)に興味があったんですね。客観的・理論的に世界の宗教を学んでみたかった。
だけど。
私だけではなく、世界を旅する日本人がよくブチ当たる質問、というか問題は
宗教
のことだと思うんです。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
私の感覚で言うと(間違ってたらごめんなさい)、日本人って若い人は特に宗教にこだわらない人が多いでしょう?冠婚葬祭の婚は教会でやっちゃって、葬は仏式で、祭りはお神輿なんか担いじゃって神道じゃない。
(冠?)
私もその例にもれず、
元旦は、うーん、神社でも寺社でもいいや。交通安全祈願?神社かな。(教会のケッコンシキはゼッタイイヤだけど)でも仏像が好き!そのくせ八百万(やおよろず)の神様をちょっと信じてる。無駄な殺生はしない、は自分のポリシー。隣人は、まぁ、愛してるよ。喜捨もしたいよね、余裕がなくても。
という、typicalな日本人というか、なんでもとりこんじゃう宗教観を持っているのです。
だから、日本の外に出て困っちゃうのが
「日本の宗教は何?」「あなたの宗教は何?」
という質問。
ぶっちゃけ、背筋がヒヤっとして、「きたな、強敵質問」と思う。
もちろんみんながそうではないと思うんですよ。日本で周りにひとつの宗教を信仰している人がいないわけではなかったし(クリスチャンなのにお遍路してる人はいたけどね)。だけど日本人の多くには答えづらい質問だと思うんです。
宗教というのは(これも私の感覚で書きますが)その個人のコアな部分に大きな影響を与えるものなので、その宗教に属していない人があーだこーだ言うのは、かなり気に障ることだと思うんですね。結果、異宗教間の紛争が起こったりする。(今異臭共感って変換されて爆笑。)数え切れないので列挙は割愛。異宗教観じゃなくて同じ宗教のくくりになっている中でも争いが起こる。スンニ・シーア、カトリック・プロテスタント、等々。仏教でもいろいろあったと思う。
ましてや、言葉が通じない、もしくは意思疎通が十分にできない場合はなおさら、宗教の話は難しい。英語何年も話してても、まだ宗教の話は難しいと感じます。
ということで、お仕事でインドに学生さんや社会人の人を連れてきたときには、
「宗教の話は避けるようにしてくださいネ」
とか言ってたんだけど、私自身宗教の質問をされてたという笑
むずかしいのは、(1)特定の宗教に属している人で、(2)周りがそういう人ばかりの場合、宗教に属していないということ自体が理解できないようなのです。
たとえば、アメリカにいたときは、特定の宗教に属している人は友人にいたけれど、周りがそういう人ばかりではないので(Atheist、無神論者と自覚している人も多い)、「私特に何も信じてない」と言っても「あ、そう」で終わる。
でも、インドの農村部にいると、99%の人口はたぶん宗教に属している。なので、周りに宗教に属していない人がいないから、そういう人の脳みそが理解できない。
私は無神論者と言い切るつもりもないので、ますますややこしい苦笑
この前も。
昨日以前に書いた寮母手下が洗礼を受けることになったので、前日寮の人がちょっと集まってディナーがありました。私はもうサバ食べたあとだったから、座って話を聞いていただけなのだけど。
運悪く隣にその寮母手下(ヒンドゥ教信者だったんだろうけど、ボーイフレンド《同僚》 がクリスチャンのため洗礼を受けることになった。クリスチャンはクリスチャンとしか結婚できないという決まりがあるらしいので)が座っていて、
「ミワは洗礼に来てくれるのかしら」
と言われて、ついうっかり
「うーん、私クリスチャンじゃないけど、行っていいんですかね」
とか言っちゃったもんだから。あちゃー。
「あらぁ、じゃぁあなたはどの宗教に属してるのかしら」
と、きたわけですね苦笑
私「何も信じてないです、というかいろいろな宗教の教えには共感するけど、スピリチュアルな部分になると、どうもダメで」
と生半可な回答をしたので
手下「そうなのね。でも聖書を読むべきよ。聖書は科学的な書物で、いろいろなことが説明されているのよ」
ここです。背筋に来るの。こういう話になってしまうのが、一番苦手なんですね。
もちろん彼女の信じていることを否定するつもりはないですよ。でも何と答えていいのかわからないんです。
なので、きちんと聞いているような、うなずいているだけのような感じになってしまいました。←こういうのって相手に失礼だよねぇ。。。
運よく、別の話題にそれたからよかったのだけど。
ちなみに、宗教が変わる(変える)というのも自分にはよくわかりません。昔から信じてきたものを変えるって、大変なことだよねぇ?手下も時間かかってようやく洗礼だったのだろうけど。
とか思ってたら、今日マニプールシスターズに招かれてマニプールの生徒たちとランチを食べた際にもまた同じような質問が来たので、苦笑い。
「日本では仏教が主流なんでしょ?」
うーん。。。そうなのかなぁ。。。本当に帰依している人は、タイとかカンボジアに比べたら格段に少ないし。
幸い彼は社会学選考で、めっぽういろいろなことを正直に話し合える仲なので、日本には信教と仏教があって、それがごっちゃになって、天皇が神様とされた時期もあって…とにかく、日本人は宗教に興味なくなっちゃったんだと思う!
という私のちゃんぽん自説を語りました。で、
「じゃぁ君は無神論者なんだ?」
いや、ちと違う!笑
皆さんも、海外では宗教トーク、細心の注意を払ってくださいねー♪
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
マニプールにはクリスチャンが多くいて、うちの大学で勉強している子たちは全員クリスチャンだと思う。教義はいろいろ別のようだけれどね。
インドでは(悪いジョークなんだけど)ヒンドゥ教徒は牛を食べない、イスラム教徒は豚を食べない、でもクリスチャンは何でも食べる、とか言われていて、実際ここにいるマニプールの生徒たちも「地元には豚肉があってさぁ」とかDindigulのムスリムから牛肉を買ってきて調理をしています。
で、今日はやたらたくさん牛肉を買ってきたらしい。
「でも私肉は控えてるから…」
と言うと、
「じゃぁ魚も用意する!」
ということでわざわざお魚も買ってきてくれたみたいです。
でも台所から生肉のにおいが漂ってきたときに吐き気がしてしまって、どうも気分がよろしくなかったです。本当に肉が食べられなくなっちゃうんだろうか。
でもできあがった魚カレーはとてもおいしかったです。どうやってるんだろう。こちらでよく出されるなんか生臭い魚カレーとは違うんだよね。
彼らは東南アジアに近いこともあり、竹の子を食べる習慣があるので、(たぶんちょっと発酵してる)竹の子や玉ねぎ、唐辛子、干し魚、パクチーをマッシュして作った、南インドのものとは全く違う「チャツネ」をカレーやご飯に添えて食べます。最初はなんかクサー!と思ったけど、これが魚醤(fish sauce)みたいでクセになります。
しかし、今日の彼らは牛カレーの他に牛の脳みそも食していた。なんかトロリとしたソースみたいなものがあるかと思ったら…あぁ、手をつけなくてよかった。(フランス料理とかでも食べるみたいだけどネ…)
…狂牛病は、大丈夫なのかしら。。。調理すれば平気?
まぁ、そんなわけで、今日は手がまたサカナくさいよ。
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