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2013年5月6日月曜日

My Master's Thesis...WAS (2) 何があったんでしょう

こんばんワニ。


タカハシヒカルさんってご存じですか。

セレブネコ
ぐぅぱぁネコミーヤちゃんの本や
かご猫シロちゃんのDVDなんかを手がけている
編集者さんです。

「立ち読みしてみわちんに買おうと思った」
と店頭で自分も笑ったというMちゃんから
タカハシさんの本をいただきました。

その名も

帰国時は病み上がりだったので
修士が終わる前に
また病気になったり、
落ち込むことが起こったり、
インドにいたら何かしらあるだろうから
ヘコんだときに読むね」と言って
バッグに入れてこちらに戻りました。

(とか言って、日本から帰るのがちょっと悲しかったので
帰りマレーシアのトランジット待ち中に
ちょっと読んでプッと笑ってたけど。)

ということで、
落ち込んだときのためにとっておいたこの本。

先週2週間、ものすごく気分が落ちていて
すっかりこの本のことさえ忘れていました

なんていうか、すごく重症だった気がする。

先日のポストを読んだ友人Yちゃんに
これまた冬の帰国中にあった
「宮エピソード」を思い出して(詳細は割愛)元気出して、と言われ
思い出したら「プッ」と笑えたので
その旨Facebookで書いたら

あれーそういえば、「プッ」のネコの本。。。
このときのためにもらったようなものじゃないですか!

と思い出して、
昨日ひっぱりだしてきました。

元気出た


と、いうのが
元気が出てきた唯一の理由ではないのだけれどね。

先日のポスト以降
いろんな人に連絡をもらって、
メイルで返事をしたり、
Facebookで返事をしたり、
チャットで話せる人にはちょっといきさつを伝えたり、
としているうちに、
ちょっと気分が落ちつきました。


「そのうち何があったか書くよ」と
伝えている人もいるので
ちょっといきさつを書きたいのですが、
ヘタするとこの大学院留学自体否定するような文面になりそうなので
(そう思っている節がありますので)
注意して書かないとね。。。


ということで、簡潔にまとめようと思う。


あの日、内容を切れ、もしくは所見つきでサインと言われ
内容を切らないでそのまま出したいと決めた私。

同じ日、学科長とB教授、P先生の3人が話した結果
「切らないで所見つきでいいでしょう」
ということになった。


次の日、担当教官E教授に
「所見つきでお願いします」と伝えたところ
ものすごく強い口調で
「変える気がないのか」
と言われ
「ないです」と言う。

「Then leave it」(じゃぁそのままで)
とこれまた強い口調で言われ、
なんなんだよと思いつつ、それで話が済んだものと思う。

次の日(金曜日)もサインをしてくれる気配がないので
「学科長と話した結果所見つきでサインということになりました」
というレターをE教授宛てに書き、
学科長に承認のサインをしてもらってから渡そうと
学科長のところに行くと
「E教授と話し合ったのか」
とまた聞かれる。

「でもこの間の話し合いでこういうことになりましたよね」
と言うけれど、
「P先生を呼んできなさい」と言われる。

P先生が来て、
(たぶん)どうなっているんだと学科長がたずねる。

結局、これは私とE教授が話し合わなければと言われ
P先生と3人で話してこいと言われる。

変えなくていいって言ったじゃんね?
これ以上何を話し合うの?

E教授のところに行くと
「君の論文の何が問題か教えてやろう」
と言われる。

サインがほしいだけなのに、と思うけれど
学科長が助け舟を出す気配はなし、
P先生も話を聞く気満々だけど私を弁護する気配はなし。

だから、
私やっぱり修正しないと提出できないんだ
とうすうす感じ始める。

で、E教授とP先生と3人で座って
何がダメか、話を聞く。

だけどもう教授の顔を見ることさえできない私。
下を見て、黙って話を聞く。

そこで言われたのは
なんだったかよく覚えていないのだけど
つまるところ、
「タイトルがふさわしくない」
「事業の成果を受益者ではなくNGOから聴取するのはダメ」
ということ。

タイトルに関しては「計画」「ガイドライン」と
どちらも含んでいるのがダメ。

二つ目に関しては、
事業の成果は(事業を運営している)NGOから聞き取りをすると
いいことばかり並べるのが当たり前なので
受益者である農民の人たちから聞かなければ
Validではないということ。

はぁ…。

言いたいこと言うだけ言って
自分の作業に戻る教授。

P先生は今の話をひと通り聞いて
わかってんだかわかってないんだか
(たぶんわかってない)
タイトルを変えろということばかり言ってくる。

らちがあかないのでもう一度学科長のところに行く。

「E教授の言いたいことはわかります。
わかるんですけど、
何でそれを今言われるのかはさっぱりわからないです」

「E教授を呼んできなさい」

「ランチに出てしまったようですけど」

「本当か」

…話にならん。

P先生が
「E教授がランチから戻ったら連絡するから
とりあえず部屋に戻りなさい」
と言う。

部屋に戻って
どうしたらいいんだろうと思っていると、
論文でちょっと大変な目にあってると数日前(たぶん)に話をした子が
「提出できたの?」
と聞いてくる。

「もうどうしたらいいかわからないんだけど…」
と話をしていると、
寮の子たちがわさわさ集まってくる。

印刷をしろと言われてから訂正と言われた、ということ、
E教授が「最後の最後に」こういうことをする人だということ、
をみんなが話し合って、
「訂正する必要ないわよ」と
言ってくれる。
「そんなのおかしいでしょう」と。

「学科長に話をしたの?」と聞かれ
「大丈夫だって言ってたのに助けてくれない」と言う。

「それならVC(大学副総長)と直接話をするべきよ」
「今までだってこの教授はトラブルばかり引き起こしてきたんだから」
と言われるけれど、
私には
「学科長を通り越して上に訴える」ことが
できない理由がありました。

ちょっと話が前後しますけど。

同じ担当教官のもとで研究をすすめていて
ヒドい仕打ちを受け、

そのNのしたことを
学科長は快く思っていなかったのです。

学科長いわく、
「Nは他の州から来ていて、
自分はいつも彼のことを気にかけているし、
弟のように思っている。
論文の件だって学科内で解決できたことなのに
彼は外部で話してしまった。
結果関係者はうちの学科を非難している」
ということだそうです。

Nが学科長に助けてくださいと頼んだとき
学科長は私に言ったようにDon't worryと言ったけれど
特に何もしなかった。

だからNは学科の外で戦うしかなかった。

それに、これはNが自分から言い出したことではなくて
Meetingの席で「論文の進み具合はどうだね」と
直接Nが聞かれたので出てきた話であって。

だからNに非はない。

だけど、学科長は学科の名誉が汚されたと思っている。

私だって学科長が何もしてくれないのがわかってきたので
上の人に話をしたいけれど、
学科長が敏感になっているときに
今学科長を敵に回すようなことをしたら、
卒業できなくなるかもしれない。

だから上の人とは話ができない。

と寮のみんなに伝える。

「もう一度学科長と話して修正したくないって伝えなさい」
とみんなに言われる。

午後、P先生が連絡をくれるのを待っていたけど
ランチの時間がとっくに終わっているのに
連絡なし。

部屋でひとりで待っていると頭がおかしくなりそうなので
学科に行く。

学科長がいない。

学科長はキャンパス内の別の団体の責任者でもあるので
そちらのオフィスにいることが多い。

なのでそっちに行って話をすることにする。

途中、生物学科の建物の前に
学科長のスクーターが止まっているのを見かける。

あれと思ったけど
学科長が生物学科に用事があることはないだろうし
学科長のスタッフが使うこともあるので
気にせずそのまま通り過ぎる。

すると学科にいたマニプーリシスター妹から電話。

「今学科長が来たの。
生物学科でA(シスター姉)の担当教官と話をしていたみたい」
と言われる。

…なんだそりゃ。

私がランチタイムに話をしていたとき、
おかしいだろそれと思ったお姉ちゃんが
自分の担当教官に私が「こういう仕打ちを受けている」と
言ったらしいのです。

彼女の担当教官と私の学科長は
プライベートでも親交がある仲なので
さっそく担当教官が学科長に連絡をして
話をしていたらしい。

あとでわかったことですが、
Don't worryと私に言っていた学科長は
お姉ちゃんの教官に対して、私が
「訂正をするのを拒んでいる」
「最終原稿を出さずに印刷をしてしまった」
「奨学金を受けているから(再印刷も?)問題ない」
などと言っていたらしいです。

まぁともかく、
学科に戻る。

学科長に、
朝こうこうこういうことを言われましたと伝える。

「E教授と話をするから少し待っていなさい」

しばらく学科長とE教授が話をしたもよう。

じっと待っているのも疲れるので学科長のオフィスをのぞく。

学科長が
「つまりE教授が言いたいのはこういうことなんだ」
と説明をしてくる。

あのー。。。。

じゃぁ、学科長は、
E教授の言い分をきちんと聞く前に
「訂正しなくて大丈夫」
って私に言っちゃったわけですよね?

で、今になって言い分をちゃんと聞いたから、
「変えなさい」
ってことなんですよね?

「だから、E教授のおっしゃっていることはわかるんです。
間違いだったら直したいと思うんです。
だけど、それを今になって言われるのがわからないんです」

「だけどね…」と学科長。

E教授が呼ばれ、
E教授の言い分がまたはじまる。

新しいタイトルをすらすらと言い出し、
それを書き留めるP先生。

「これがものすごく問題だと思うんです」と、
NGOが事業のスポンサーに提出している事業報告書の部分を学科長に見せる。

そこで言っていたのは
私が収集しているデータは他に提出しているものではいけないと
言われる。

「論文のはじめの誓約書の部分で
『論文のどの部分も他で発表・提出していないオリジナルである』と
書いているだろう」
と言われるけれど、

私の場合「学位のために提出したことはない」と
書いているのであって、
NGOがどこに提出していようと関係ないだろと思う。

それに、スポンサーに提出している正式なものなのに
それを「内容が問題だ」と言われるのは
正直心外だった。

でも論文の3章には2次データを入れてはいけないんだと。

言うだけ言って出ていくE教授。

で、学科長は、
「E教授とP先生と3人で話し合いなさい」
と言われる。

じゃぁ、学科長にに今まで話をしてきたのは全部無駄ということなんですよね。

もう何を言っても無駄なのはわかったので
訂正をすることにする。

P先生と3人でと話をしなさい、私も戻ってくるからと言って
会議に行く学科長。


ところが、E教授は帰宅済み。

この人、17時までオフィスにいたことがない。
しかも金曜は「金曜のお祈り」がある日で
6時間目前(15時45分)にはとっととオフィスを出る
(毎週お祈りに出席しているかは不明)。

そのあと、呆然としながら
P先生と話をして
私の言い分(何で今?)を伝えたけれど
「過去は忘れなきゃ」
と言われる。

どうやって忘れるんだ。

この日、部屋に戻って訂正をしました。

タイトルを変え、
NGOが提出した事業報告書をカットし
(これは事業の成果の比較のために入れていたものなんですが)、
他にNGOスタッフがインタビュー中に話してくれた事業の成果部分をカットし、
こうした成果から得られた私の考察をカットし、
これから得られる私の提案部分をカットし、
その他これによって変わる細かい訂正をしました。

あと、NGOインタビュー中に
「あるNGOは資金の運用がヘタで事業を途中でやめてしまった」
「政府の事業はここがダメ」
と言っているのもカット。

NGOといい関係を築いているうちの大学は
NGOのバッシングがダメなんだと。

あと、学科長があとで言ったことですが、
留学生が政府のバッシングをすると
「外国人のくせに何がわかる」と言われるので
インド人生徒が政府の非難をしても何も問題がないけど
私はダメ、と言われました。
だからカット。

これが一番頭に来る。
同じ学生なのに。

インド人の人が「当たり前」だと感じていることを
私は当たり前だと思わない。

インド人の人がいいと思っていることを
私は必ずしもいいことだと思わない。

外部者だからこれはおかしい、と言えることがあるでしょう?
外部者だから客観的に見えることがあるでしょう?

第一、正直な意見を書けない、
それが学問なの?

それに、収集されたデータから得られることだけ書きなさい
と言われました。
それがscientificなのだからと。

それはわかるけど、
収集されたデータから明らかなことだけ述べる
(『インタビューしたNGO5つのうち4つがYesと答えたのでこれは多数ですね』とか)
それがscientificということなの?

データだけではなくて、
文献から学んだことも織り交ぜて、
そこから得られたことを考察や提案を書く、
それは修士論文に許されないことなんですか?

それがscientificということなんだったら
私はscientificな学問なんかくそくらえ。

I'm a social science person. Not a science person.
I want to say beyond what is obvious.
Because I THINK.

まぁそんなこんなで。
バッサバッサと私の論文はカット。

週末明けて、もう腹をくくり、
「切れと言われたらなんでも切る。ともかく早く提出したい」
と思ったので
月曜・火曜にまた訂正を言われ
最終的に50ページくらい切ったけれど、
正直もうどうでもいいやと思った。

(ということでこのポストのタイトルになるわけですな。)

苦痛だったのが
火曜日になぜかE教授の機嫌がものすごくよく、
印刷するところまで一緒に来てくれると言い出し
一緒に行くのはいやだったけど私に選択の余地もないので
P先生と3人でこの印刷やさんへ。

停電もあり、待ち時間もかなりあったので
14時から18時くらいまでずぅっとE教授と過ごすハメに。

ここでもフォントがあぁだこうだ、目次はこうだと
E教授はDTP店主にいちいち修正を申し付けました。

最初は快くやっていた彼ですが、
私の論文の長さに正直うんざりしていたようです。

「自分の博士号過程が論文を仕上げるときは
いつもここに来て修正をしてもらっているんだ。
彼は頼りになるから」
と言っていたE教授ですが、
今までに博士号ひとりしか担当したことないのを
私は知っています。

この間ものすごくフレンドリーに
私の家族のことやこれからの予定を聞いてきたり
自分の家族や家のことを話してきたりと
E教授が長々と話すので、

本当に、この人がよくわからないです。

私に何か非があって
故意に最後になるまで待っていちゃもんをつけてきたんだか、

それとも本当に
最後の最後になるまで私の間違いに気がつかなかったんだか。

でも本当に間違いに気がつかないわけがないんです。

最初から
こういう目的で、
こういう手法で、
こういう場所でデータ収集して、
こういう方法でまとめます、
と逐一報告していたのだから。

私が論文の部分部分を書き上げるたびに提出していたものを
全く読んでいなかった
そうとしか考えられないんです。

まぁともかく。

論文の冒頭に
担当教官がサインをするページがあり、
そこを先に印刷したので、
E教授はサインをして帰りました。

そのあとP先生と私は停電までまた1時間ほどねばり
あとの作業を店主にまかせて帰りました。

次の日5月1日は
インドでもメイデーなので祝日。

朝9時半にできあがると言われていたものの、
製本作業の一部を外注している店主は
「18時にならないとその店があかない」と。

なのでその日もストレスを感じつつ過ごしましたが、
18時40分くらいに「できました」と電話が。

19時過ぎにとりにいき、お金を払って寮に戻る。

次の日、5月2日に提出。
というより学科に積み上げてとっととテスト(CFA)に行きました。

火曜からE教授には会ってません。
必要がなければもう会わない。
そう思います。


はい、これが一部始終です。

これかなり感情うすめで書いてますが、
心底辛かったです。

いろいろ感情入りで書くと、
本当に将来が心配になるので
やめときます。


ちなみに、

私が滅入っている最中に
政府の人材開発省(Ministry of Human Resource Development)の
大臣がうちの大学にやってきました。

それに際して
うちの大学はいろんな州から生徒が来ている
ということをアピールしたい大学は
数日前に他の州や国から来ている生徒を集めて
「数日後に大臣が来るから」と伝える
「副総長と語らう会」と設けました。
(私は行ってないです)

そこで副総長が言ったことには、
「ひとりにつき故郷でひとり、うちの大学で勉強するように
人を集めてきてくれ(Each one, catch one)」
だそうです。

絶対無理

今後来る人たちが
私と同じような待遇を受けないと
保障ができるでしょうか?
できません。


2013年5月4日土曜日

My Master's Thesis...WAS.

こんばんワニ。


更新がずいぶん遅れました。

最後に書いたのがずぅっと前のような気がします。


VPPに行っていました。


…ウソです。




…ウソです。


Veelinayakenpattiでブラブラしてました。


…ウソです。


かなり間があいてしまっていたのはわかっていたけれど、
ちょっとウェブログを書く気にならなかったです。


よく読んでもらっている人もいるようなので
ちょっと心配されちゃうかも…
とか思ったけど
そんなこと、なかったですよね笑


なので、先日「ちょっと心配している」と
両親からメイルが来たときは
さめざめと泣いてしまいました。エヘ。

父のメイル件名は「どうした」で
笑えたけど泣けました。


なんかこの1週間でいろんなことがありすぎたし、
ストレスでどうかなっちゃいそうだったので
今の時点で頭を整理して書けるかというと
そうでもない感じです。


まぁでもご報告として、
昨日の朝、修士論文を提出しました。


今日最後の定期テストCFAが終わり
来週から期末テストESEがはじまり
18日に論文の発表があり
20日前後にインターンシップ開始、
1ヵ月後にレポートを提出し
それで私の修士課程が終了します。

今は正直、早くここを出たいです。



2013年4月5日金曜日

なんとか明日! Counting D-O-W-N...

こんばんワニ。


しばらく沈黙状態でごめんなサイ。


火曜日の朝「明日CFA(定期テスト)だって」といきなり言われて

冗談でしょ。笑

と思っていたら本当にテストでした。

通知(circular)が学科に届いたとのことでしたが、掲示板にはってないので、正式に通知したことにならないじゃない怒!とブチ切れましたが。

今週末ゆっくりしたかったのでよしとする。


そんなわけで水曜木曜とテストがあり今日の午後終了。

今朝のテストのあと知らないオッサンに呼び止められ「社会学科の学科長が君を探している。いつ会える?」といきなり聞かれ

なんなんだよ。。。なんで面識ない人に呼び出されるんだ。。。

と思ったけど午後(テストのあと!)社会学科に行く。


つまるところ学科長は日本の電子辞書がほしいんですって。

前に日本人の学生(たぶんBさん)にもらったのが壊れちゃって、新しいのがほしいみたい。

イマドキの電子辞書はものすごく高いから、電子書籍リーダー買って辞書ファイル買ったほうがいいかもしれないけどねー。


で、その流れではもちろんないのですが、

「社会学的観点から興味があってね」

と学科長と話を長々としてしまいました。

日本にはカーストのような仕組みがあるかとか、結婚はお見合いなのかとか、まぁ、普通のインド人でも聞きそうなことだったけど。

で。

その流れで

どうやら私は明日(金曜日)結婚しなければいけないことが判明した。



さぁ、どうしましょう。


もう寝る。。。

おやすみなサイ

2013年2月20日水曜日

Convergence 集合~

こんばんワニ。


Ootyにて

CFAが今日終わりました。と、思ったら、選考によってはなぜか午後のテストが延期になって明日までという人もいるようです。かわいそうに。

それで、明日彼らがテストを受けた直後、お昼からTirunelveliに移動します。

Tirunelveliというのは、この間行ったPalayamkottaiとぶっちゃけ同じ場所というか、PalayamkottaiはTirunelveliの中にあるというか、川をはさんで一方をPalayamkottai、反対側をTirunelveliと呼んでいる、というところらしいです(オックスフォードどうのこうのというのもTirunelveli全体のことをさすようです)。

つまり先週行った場所にもっかい行くということなんですねぇ。。。

しかも今回行く場所はSCAD Francis Xavier Engineering Collegeという、この間行ったカレッジ(St. Xavier's College)に名前似てんなぁ、みたいな笑

で、なんで行くか。

今回はまた学科長の思いつきみたいな感じです。

どういう経緯だかよく聞いてませんが、うちの大学副総長が招待されているconference(会議?)の招待メイルがうちの学科長に転送されて、例によって「おぉいいプログラムだ」と学科長が思ったので、農村開発マネジメントの生徒たち15名が強制参加となったわけです。

テスト終わって課題もたまっているのに、メーワク極まりない話です。

なんでも企画運営している2団体のうちどちらかの責任者が、学科長のもとで博士課程を修了した人だったから…とかなんとか。

学科としては、こういう時期に生徒を送り込み、コネを作り、インターンシップや雇用までこの団体に面倒見てもらおうというもくろみがあるようです。

日本からもお客様が来るような大規模のようなイベントのようなことを学科長が言っていましたが、どーなんでしょうね。

で、そのconferenceなんですが。

Global Convergence on a Finite Planet

というなんだか壮大なタイトルがついています。。。

限りある惑星で地球全体集合!というオート翻訳みたいなタイトルにしてみたらいかがでしょうか。

なんにしろ意味がよくわからないタイトルだし、要綱を読んでもよくわからないし、なんだかなぁと思います。

開催場所のカレッジの名前についているSCAD(Social Change and Development)というのがインドの団体で、ConvergenceというのはEUの資金でまわっている国際団体らしいです。

convervenceっていうのは収束とか収斂とか、集合って意味の言葉です。この団体は温暖化ガスの問題を社会開発と共に考えていこうというようなことをしているようです。たぶん、こういう会議をあちこちで開いているんでしょうね。

テーマは持続可能な発展にこのconvergenceのコンセプトがどうからんでくるかというものらしい。

団体名そのものがテーマかい

まぁともかく、付き添いなんだか授業するのがめんどくさくて来るのかわからない教授Eが「修士論文のことは置いておいて楽しみなさい」とか言っていたので、2日間はこちらに集中しようかなと思います。だってこの教授が私の修士論文の担当教官なんだもーん。

でも…課題が…泣





で、いきなりこんな写真の話になりますけど。

これ、この間いったPalayamkottaiのカレッジの寮の写真。控え室ってほど時間を過ごしたわけではないですが、企画者神父が私たちのために用意しておいてくれた部屋。

他の大学の寮を見るという機会もあまりなかったのでおぉと思ってつい写真を撮ってしまった。

洗面所がきちんとついているというか、


バスルーム

バスルームが部屋の中に作りつけ。私の部屋は寮の中でひとつだけ特別バスルームがついているのだけど、ここでは全室ついてるのかな。(他にも「棟」があったので他の建物はつくりが違うかもしれないけどね)

シャワーつき、洋式トイレ。すごいね。

と、思うのだけど、



このボックスがバスルームなんですが、天井、あいてるんですよね。。。

シャワーをあびれば湿気がこもるし(窓、開けるんだろうけど)、おトイレを使えばニオイもこもる(!)。ひとり部屋じゃなくてふたり部屋だし、なんかねぇ。

ということで、結論、私の部屋のほうがいい<3


そんな部屋で過ごすのもあと2ヶ月少し、かなぁ



2013年2月17日日曜日

Mani... 読めない




祝?300ポスト目。

なんとか、続いてますなぁ。


Ootyのバラ


こんばんワニ。

延期されつづけた定期テストCFAがようやく明日から。次のCFAが3月のあたまなので、やる意味あるのかって感じだけど。

ということで勉強しなくてはいけないので短く。


 ●  ●  ●  ●  


Ootyに行ったとき。

私は行きのバスで他のメンバーと少し離れて座っていたのですが。

隣に座ったおばあちゃんが、私をつついて、「いくら?」と言ってくる。

え?と聞き返すと、また「いくら?」とのこと。

えぇー、バスは乗ったところと降りるところで料金が変わるからおばあちゃんの料金はわかんないよ。

よく見ると、おばあちゃんはすでにチケットを買ったあと。

なんだ、もう買ったんじゃん。「いくら?」は私の聞き違いかなと思って、ちょっとワカリマセンという顔をする。

でもちょっと考えて、やっぱり「いくら?」だったよなぁと思う。

チケットを指差して、「これ?」と言うと、そう、とおばあちゃんがうなずく。

私タミル語の数字がどうしても覚えられなくて、11から上はなかなか言えないんだけど、たまたまわかりやすい数だったので(18だったかな)、これはXXだよとおばあちゃんに言う。

チケットはタミル語表記がしてあって、いくらっていうのも数字で大きく書いてあるんだけどなぁ。第一、おばあちゃん自分で買ったんじゃない。と思って窓の外を眺める。

でもそのあと考え直したんです。

おばあちゃん、チケット読めなかったんじゃないかなって。

よくバスに乗っていると、「(場所の名前)まで」と言って10ルピーとか20ルピーとか車掌さんに渡しているのをよく見ます。バスって、会社によって値段が変わるので、同じところで乗って同じところで降りても、値段が違うことがあるんです。だから私もいちいち料金聞いてから出すのがめんどくさくて、小銭じゃなくて紙幣で払ってお釣りをもらうことが多い。

それで、チケットとお釣りをすぐにくれない場合があるんですよね。車掌さんによっては、お金をまずみんなから集めて、そのあとチケットとお釣りを配る人もいます。よくお釣りの金額覚えてるなぁと思うけど、間違われたことはないです。すごいよね。

それで、このおばあちゃんの場合も、お釣りをあとからもらっていました。

たぶん、20ルピー渡してチケットだけ先にもらい、お釣りを待っていたのだけど、いくらお釣りがくるのか知りたいので、チケットがいくらだったのか聞いてきたんじゃないかなって思うんです。

紙幣やコインは色や大きさでいくらか違いがわかるのだろうけど、チケットは毎回変わるからね。いくらか、わからないのかもしれない。



 ●  ●  ●  ●  



先日Dindigulから帰ってきたときのバス。

うしろからつつかれて、ふりかえると、おばあちゃんが前方を指差して何か言っている。

マニ、マニ

Money?なんのこっちゃ。

前方を見るけど、ただバスの前面ガラスがあるだけ。

わかんないですという顔をしたけれど、ちょっと考えて、Maniは「~時」だったことを思い出す。

しかし時間の伝え方がわからない。~時ぴったり、だったら言えるんだけど…汗

と思っていると隣の女性がおばあちゃんに教えてあげていました。

バスの前面にはよく時計が下がってるんですね。おばあちゃんはそれを指差して、私に何時か言ってもらいたかったんだと思います。時計があるのは知っているから見えない、ということではないと思うんです。時計が読めないんでしょうね、きっと。




 ●  ●  ●  ●  




チケットが読めなくても、時計が読めなくても、生活ができているおばあちゃんたち。なんか不思議だなぁと思います。

しかし、周りにタミル語を話す人はたくさんいるのになぜ私に聞くんだーーーー。





 ●  ●  ●  ●  




あと、全然別の話ですが。

先日Palayamkottaiに行ったとき。

一緒にうちの大学で博士号過程をやってるケニヤの人と(だからスワヒリ語の話になったんですけど)、Tさんのホスピスでボランティアしていたドイツの親子と一緒に行ったんです。

ドイツの二人は医師をしているお母さんと医師になる勉強をしている女の子でした。お母さんが例のセミナーの主賓ってことで、ドイツの高齢化について話をしたんだけどね。

Tさんが運転して、お母さんが助手席に座り、ケニヤの彼と私、娘さんが後ろに乗りました。私真ん中。

木曜日の朝出発したのが早かったので、後ろの3人はウトウトしてたわけ。

そのうち、右となりの女の子がもたれかかってきたんです。

数年ですが茨城から都内まで電車通勤をしていたので、こういうのって慣れてるっていうか、「疲れてるんだなぁ、かわいそうに」くらいに思っていたんだけど。

電車で隣の人がもたれかかってきても、ちょっとしたら「はっ!」て気づいて体制整えるじゃないですか。で、またどしーんみたいな。私もこんなことしょっちゅうあるので、なんていうかある程度は「おたがいさま」だと思っています。

しかしドイツ人医学生。起きない

もたれかかってるっていうか、もう私を枕に寝ている感じ。

で、こんなこと言うの失礼ですが、彼女背が大きくて、横に広い人ではないにしろ、重い。

重い。

重い。。。。泣

ヴァレンタインデーに、ロマンチックだわぁと心の中で苦笑いしていると、ようやく「はっ!」と気がついたようで体制を整える彼女。

支えていた左手・腕がしびれてるよーと思いつつ、私も体制を整えました。

5分後。またどしーん

重い。。。。


お母さん、助手席でフフと笑ってないで娘を起こしてください。




2013年1月30日水曜日

Variance ばらつき Apdiyaなランキング

こんばんワニ。


今みたら、JASSOでICCR奨学金の要綱がアップデートされていました。駐日インド大使館も。

つか、2月1日締め切りだからまさかこれから書類集めようなんてチャレンジャーはいないと思うけれど。。。

出願者の皆さんがんばってください。


Ootyにて

他の学科は定期テストCFAをやっているのですが、12月まるまる授業をつぶして修士論文のデータ収集に当たっていた私たちMBAの生徒はまだテストやってもらえません。

あんまりのばすと、次のテストまで時間がなくなっちゃうんだけどな~。。。


 ●  ●  ●  ●  ●  


今日はばらつきについて書きます。

と言ってもたいしたことじゃないんですが。

たとえば、日本で、ポッキーを買いますよね。ポッキーじゃなくて何でもいんんだけど。

袋を開けて、ポッキーを出したら、さくっとして、チョコは甘くて、おいしい。

次の日、ポッキーを違うお店で買ったとする。

袋を開けて、ポッキーを出したら、さくっとして、チョコは甘くて、おいしい。

と、思うんです。

こちらに来て気がついたことなのですが、同じ会社の同じ商品でも、違う場所で作っているっていうことがあるんですね。

日本でもそういうことはあると思うのだけど、気にとめたことがなかった。

商品についている製造番号というものでおそらくどこの工場で作られているかというのがわかるようになっていると思うんです。ポッキーみたいに消費量が多いものはひとつの工場で作ってないだろうし。

インドみたいにでっかい国だとなおさら、ひとつの商品をインドの中ひとつの工場で作ってたら、輸送コストがかかっちゃってしょうがない。タミルナドゥで作っているものをカシミールまで持っていくよりは、北インドで作って運んだほうが安い。

というのは当たり前の話なんだけれど、日本にいてそんなことを考えたことはなかった。それはある商品を買ったら、どれも同じ品質で、味だから。

少し前から消費期限切れだの某国から輸入しているキケンな野菜を使っただの、いろいろ消費者を悩ませる問題は日本でも出ていますが、それは特異なケースであって。

普通ポッキーを買ったら、何回買ってもどこで買っても同じ味でおいしいはずなんです。

しかし。

インドではそうでないことがわかった。…のはずいぶん前の話なのだけど、ここに書いたことはなかったような。

私がプチ憤慨しているのは最近ハマっているBritanniaNice Timeというビスケットのせい。これ、砂糖がまぶしてあるココナツフレーバーのビスケットで、以前からあるものなのですが、最近になってウマ~い!と気がついたのです。

だけどね。。。

大学の入り口のベーカリーで買ったら、味が全く違ったんですよ

変なところに置いてあったからシケちゃったのかと思ったけど、味が違うのはちょっと湿気以前の問題かなぁと。なんか味つけの配合がともかく違うって感じ。(ちなみに、これしっかり封がしてあるものですからね)

なぜか好きになるビスケットはBritanniaのものが多くて、インターン時代からずっと大好きなのが(成長期の子ども向けの)Milk Bikis。これもたまに「オイシクナイ…」というものに出会うことがあります。

マーケティングか何かのクラスで、ばらつきがあったらイケませんよと教わったけど、そんなものがない(に等しい)国で育った自分にとっては、「ばらつき?なんのこっちゃ」という感じ。

でも国際的にはばらつきがないことのほうがめずらしいのかもしれないよね。

まぁともかく、これからは同じビスケットでもおいしいと思って買わない方がよいかも。。。



 ●  ●  ●  ●  ●  


奨学金の話が出たので。

このウェブログをはじめて1年7ヶ月になるのに、毎回おもしくない話で申し訳ない限り。そんな文章を皆さんに読んでいただいて感謝感謝の毎日です。


ここで、本ウェブログ人気のポスト5位までを発表したいと思います(今日付け)。


第5位:2本立て 2 Weddings

54ビュー

幼稚園からの友人と、妹ちゃんの結婚式について書いた2012年12月のポスト。


第4位:再び病院 Why This Kolaveri, Da?

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タミルナドゥのみならずインド各地で爆発的な人気となったWhy This Kolaveri, Di?について説明したからなんでしょうかね。たくさんの方に読んでいただきました。このあとこの歌が使われた映画"3"観ましたよ。すばらしかったです。2012年4月のポスト。


第3位:Way to India (4) ICCRに出願:分厚い袋

79ビュー

2011年7月に、ICCRへの出願書類一式についてながっながと書いたポスト。やっぱり書類そろえるのに苦労している方が多いんでしょうね…GoogleでもICCR奨学金で検索すると私のポストが出てくるくらいです。どうぞどうぞ参考になさってください。でも参考までね。今年は違うかもしれないんだから。ばらつきじゃなくてね。


第2位:げじげじ Are you stupid or...

150ビュー

何でこんな話を読んでもらっているのかサッパリわからないけれど、ICCRの出願書類よりタメになる話なのでしょうか。トイレでげじげじを救出しようとがんばった2012年11月のお話。


そして栄えある第1位は…



496ビュー!

…なんでだ…。

このウェブログの最初のポストだから自動的に読む人が多くなるようになってることってありますか?笑 2011年6月の投稿でした。



ちなみに、Apdiyaって何のことか書いたことがない気がするのですが、なんで誰にも聞かれないのでしょう。。。サミしい




2012年11月5日月曜日

Dengue? デが出た(か出なかった)

こんにちワン。。。でもないか。こんばんワニ。


わかる?


私のしょぼカメラではわからないかもしれないけど、けっこうもくもくしてます。いぶされてる感じです。

定期テストCFA最終日、うちの寮は大変な騒ぎだったんですね。

…火事じゃないです。


最近ですね。タミルナドゥではデング熱がはやってるんですよ。デング熱ってのは(外務省ページ参照)特定の蚊を媒介に感染する病気。早く治療すればどってことないんだけど、放っておくと大変なことに。

近くのマドゥライでは死者が出ているし、デング熱患者専用の入院室も作られているとか。

と、思っていたら、最近大学の目の前のChinnalapattiでも出たらしいと聞き、そろそろここもヤバいんじゃんと考え始める。っていうかChinnalapattiに買い物に行くこと自体危険なんじゃんみたいな。。。


土曜日の朝テスト最終日。出かけるときにやけに階下がうっさいので何だろうと思っていると、やけに男性がいる。うちの寮は基本的に外部の男性は入れないので何かあったのかな~と思いつつもテスト前なので気にしてるヒマなし!

お昼休み。最終テスト前でちょっとホっとしつつ勉強しているとドアをバンバンたたく輩が。ムシしようかと思ったけど、声の主が寮母手下だったので笑、しぶしぶドアを開ける。

「はい、なんでしょう」

「ミワ、うちの寮で3人デング熱患者が出たのは知ってるわよね

「うちの寮!!!!!??????」

要約:その日保険局が来て熱が下がらなかった(?)3人の生徒のデング熱陽性が判明。3人は政府病院の特別デング熱病室へ搬送。その日の午後に蚊対策のスプレーをするので、食べものはきっちりしまいこんで貴重品も鍵のかかるところに保管すること。

このうちひとりは、彼女ですよ。

で、大パニックになって勉強そっちのけでマニプールシスターズのところに行くと、実はその前日から騒ぎは始まっていたのだとか。

要約:金曜日の夜、ずっと熱っぽかったミゾラム出身のMが血液検査をしたところ、デング熱陽性。なのに寮では寮母手下とその手下になりつつあるうちの学科の博士号過程が「ただのウイルス性の熱よ」と言い張り、大きな病院に連れて行こうとしない。

結果出てるじゃん!
ていうか、ご飯もろくに食べられず動けないMを見てもどうにかしようと思わないわけ?

でも土曜日の朝VC (Vice Chancellor = 大学の副総長)が寮に来て、よーやくいろいろ動き出したよう。3人は病院に連れて行かれる。っつっても、タミルナドゥ政府の病院はとても設備・サービスが劣悪なことで有名で、「どの病院に行ってもいいけど政府の病院には行くな」と私は言われたことがあるくらい。てなわけで他の州から来てる3人にはかわいそうな仕打ちというわけ。

で、1時間で終わるはずだったこの散布作業がながなが~と続き、まっくらになってようやく部屋に帰ってきたときのようすがこの写真ってわけです。

どんな薬剤なのかわからないけどぷ~んとくさくて、服全部洗わなくちゃいけないんだろうかと思ったけど、かったるくてそんなことやってられん。


と、いうのも。

私も火曜日当たりからダルかったんですよね~笑

だからこの話をきいたときにパニックになったわけ。

私もデング熱かも!!!!

だからテスト終わって翌日、VeelinayakenpattiのCのおうちに行って論文の話をしつつも、なんか熱っぽくてダるくて、ガタガタ震えちゃってたもんだから、Cが血液検査しよう、一緒に行くからって。

まぁ、自分の中でも大騒ぎした割に結局陰性でしたけどね…でもきちんと検査するのは大切なことでしょ?

だけど手下に結果待ってるとき「今念のため血液検査してます。結果が出るのが1時間後なのでちょっと寮に戻るのが遅くなります」って電話したら

どこで検査してるの?そんな風に採決するのはよくないわ

…はい?

要約:何度も何度も検査をして3人は結局陰性だった。私立のクリニックは信用できない。パニックにならなくていい。早く寮に帰って来い。

…何言ってんのこの人?

土曜日に「政府の」「きちんとした」「医師」が来て3人とも陽性だって言ったんじゃないの?だから3人ともきったない政府病院に運ばれたんじゃないの?今陰性って、治療したからなんじゃないの?第一、3人が陽性だって最初に私に言ったのはアンタでしょうよ。

あきれて物も言えず「はぁ」だけで会話終了。

一生政府の汚い病院で治療受けてろ。



3種の神器 2/3


で、私の信用するNilakottaiのドクターの息子氏(彼も医者)いわく

「ただのウィルス性の熱だから大丈夫。ParacetamolGlucoseで様子を見てください。」

でました、パラセタモルとグルコース。

こっちで病気になるとしょっちゅう出てくるこの2アイテム。私は効果のほどはよくわからないけどみんな使っている治療法3種の神器の2つだと思ってます。

具合悪い人に医者と会ったかきくと

「大丈夫、Paracetamol飲んだから」

ダルそうな人には

「Glucose飲んだほうがいいね」

まぁ、薬は別として。このグルコース。グルコースって炭水化物が体の中で変化するやつじゃなかったっけ(テキトー)。砂糖水じゃだめなのかね。ポカリみたいな扱い?

この「ウィルス性の熱」ってのも、デング熱だってウィルス性っちゃウィルス性なんだから、何のウィルスなのか教えてくれなくちゃ怖いじゃんね?なのに「ウィルス」で済ませるんだもんな~。。。全く持って、解決ばかり見ていて原因を見ないインド(田舎)医学。どうなんでしょ。

あ、ちなみに最後の神器は7-UPです。



停電~。。。

2012年11月2日金曜日

Festive Blast! (4) インドで一番伝統(電灯)のあるお祭り

こんばんワニ~

ちょっとよれよれ

明日で定期テストCFA終了です。

ということでFestive Blast続きですよ。やっと本題のDeepavaliにたどりついたー。今年は11月13日、期末テスト開始の2日前!笑

去年はこんな感じでした




Deepavali: インドで一番伝統のあるお祭り

[今「でんとう」が電灯に変換された。あながち間違いではない。なぜかというと。]

オイルランプのやさしい光、新しい服をはじめて着る楽しみ、やさしいお母さんにしてもらうオイルバス(水浴びする前にココナッツオイルを塗りたくること。体温が下がるらしい)…
お菓子を気持ち悪くなるまで食べる…
たくさんの花火が打ち上げられて煙となるのを今か今かと待っている…

これが伝統的、そして現在のDeepavaliまたはDiwali

現存する書物でDeepabaliに言及のあるものはVatsayanaの’Kama Sutra’が最古のものである。
7世紀に王様Harsaが書いた'Nagananda'というお芝居(Banaが書いたという説も)はDeepavaliのお祝いについて記している。

Deepavaliの語源はサンスクリット。
Deepaとは光、Avaliとは列のこと。
つまり、光の列。

Naraka Chathurthi[Narakasuraが地獄に送られた日]というのはDeepavaliの別称である。
伝説によれば、力強い悪魔Narakasuraはゾウのふりをして天国の創造者Viswakarmaの娘をさらった。

悪魔に被害にあった人たちはVishunu神に何とかしてくれと頼み込む。
そこでVishunuはSri Krishnaとして地におりたち、Narakasuraの悪行にピリオドをうった。

悪魔の母はVishunuに懇願する。
どうか息子の命日に光と花火を使うことを許してくれと。
母の願いは聞き入れられた。

Kala-RatriというのもDeepavaliの別称。
この1年でいちばん特別な夜に女神Kaliは舌を長く出し、ヒトの頭蓋骨を持ち、悪霊たちに囲まれる。
この日こんなKaliを人びとは崇める。
現在でも北インドの各地で見られる伝統だ。

北の人たちにとってはDeepavalというのはSri RamaがAyodhaに戻った日だ。
光と共に祝われるのはRama Raiyaだ。

イルミネーションと共に女神Lakshmiに祈るのもこの日の大事な行事である。
伝説はこう語る。
DevasとAsurasは互いへの憎しみを忘れ手を取り合い、Milky Ocean[ヒンドゥ伝説の7つの海のひとつ]を飲み込む。
こうやって不死をもたらすというネクター[神の酒]を手に入れようとしたのだ。
この過程でこの海は多くのものをもたらした。

その中にLakshmiがいる。
彼女はVishunu神と結婚した。
というわけで、ムンバイの人にとってはDeepavaliはLakshmiのバースデーである。

この日にはLakshmiだけにささげられるPooja[祈りの儀式]がある。
彼女が家に富をもたらしてくれるよう祈るのだ。

昔話だけではなくて歴史的にもDeepavaliは重要な日である。

3世紀に北インドをおさめた王Vikramadityaは責めてきたHuns[フン族]を追っ払った。
歴史家たちはこの日がVikrama Eraという新しい時代の幕開けだという。
王の勝利を祝って花火や光を用いるのだと。

Vijayanagarの統治時代には盛大なお祭りとして祝われたが、このころの行事は現在のものとほぼ同じだったようだ。

アンドラプラデシュ州のKumbakoramにあるSarangapani寺院には金のプレートと真珠で祝ったお祭りがあると記述がある。
王たちは寺院に土地を寄進した。
Vikrama王の時代には、Deepavaliは1年の始まりだった。

グラジャート州やマハラシュトラ州の商人たちはこの日に新しい帳簿を使い始め、契約を結ぶ。

ベンガルの人たちにとってはDeepavaliはKali-Poojaである。
話によるとKaliはかつて火の神Agniの7つの舌のうちのひとつだった。
火を崇める、伝統的なしきたりを守っている人びとにとっても重要な日なのだ。

シーク教徒にとってもこの日は特別な日。
AmiritsarのGolden TempleではDeepavaliの日に何千ものシーク教徒がつめかけ、Darbar Sahibというタンクで祈るのだ。

マハラシュトラの子どもはユニークな祝い方をする。
お菓子、クラッカーに新しい服のほか、砂の白を築きShivaji王を讃える。
この王は毎年Deepavaliの日に他国を征服するのを決まりとしていた。

ジャイン教徒はまたちがった理由でDeepavaliを祝っている。
彼らにとってはこの日はジャイン教を創設したMahavirの命日である。

この日Mahavirは肉体をすてNirvana[不生不滅]を手に入れた。
ジャイン教徒の鳥葬場には18人の王が眠っている。

もともと、イルミネーションを取り入れたのは彼らのアイディアである。
光り輝く聖なる知識が失われた。せめてイルミネーションで私たちを照らそうではないか」と。

[いい話じゃないですか。]