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2013年7月4日木曜日

終わりの始まり (4) 2 years

こんばんワニ。


ものすごくどうでもいい話ですが最近くっつけたGoogleのTranslate(画面右側にあるはず→)でこのウェブログを英訳するとこんばんワニが"Crocodile tonight"になります。ハイ、どうでもいいですね。

まぁ、いろいろ昨日もありましたが今日レポートを提出して修士課程が一応終わりましたことをここにご報告します。

つか。

学科長がE教授にヒミツでレポートを別途提出しろというので今日もわざわざ行ったわけです。で、いつもは大学近辺で印刷の類はするのだけど(プリンタ持ってないからいつも外で印刷してました)、今日はNilakottaiでやったわけ。ChinnalapattiエリアにはBrowsing Centres(ネットカフェのカフェなしのようなところ。つまるところネットができてコピーなどもやってくれるところ)の連合のようなものがありどこへ行っても一律の値段で印刷ができるのだけど、Nilakottaiにはそういった仕組みがないのかそれともどこの店でもそうなのか、Chinnalapattiでは1ページあたり1ルピーが相場なのに今日は5ルピーもとられました。この間100ルピーちょっとだったレポートが500ルピー近くになってしまい半泣きになる。でも仕方ない。

と思って提出しに行ったのに、学科長が「E教授に提出したレポートも入手した」と言う。つまりもう1冊は無駄。大学まで行ったのも無駄足・・・。

でも最後にまたマニプリの子たちにあいさつをしたかったのであんまりおいしくないケーキとイトコちゃんが好きだというMaggiを手土産に部屋に行く。二人に買っていったものなのに、結局私にも振舞われる。3時にインスタントヌードルとケーキ食ってる女子って一体。。。

イトコちゃんに会ったのは1年前。デリーからイトコが来るとシスターズにいわれ、超都会からやってくる子がどうやってこのド田舎大学で生き残るのかと思っていたけれど、私なんかより数段ここでの生活をエンジョイしてるように…見える。というか、ちょっと都会から来るから高飛車な子なのかと勝手に想像していたのに、ものすごくdown to earthな子で、いつもテキパキと動き回っていて、いい子だなぁとしみじみ思ったものです。

実家に帰っているマニプリ妹ちゃんとも電話で話し、あ~最後にもういっぺん会いたかったねぇとしみじみ。

思えば2年前に大学にやってきたとき、当時の学科長(B教授)に紹介され、私のクソ重い荷物を運ぶのを手伝って寮に連れてきてくれたのは彼女でした。あの日医者が憎くてベソをかいている私を病院に連れて行ってくれたのも彼女。最後にきちんと会ってお礼を言えなかったのは心残りかな。

そしてお姉ちゃん。今日もうだうだと3時間くらい話をしました。同じ学科の妹ちゃんよりお姉ちゃんと仲良くなったのは彼女の方が私に年が近いせいか、同じように遠距離恋愛をしていたせいか、それともうちの大学への不満が同じくらい高かったせいか笑、わかりません。一緒に行ったKerala旅行は短かったけど楽しかったなぁ。私が具合悪いときも、悪くないときも、いつも気にかけてもらって、彼女の薬箱にはしょっちゅうお世話になったし、グチで過ごした時間は何日分にもなると思う笑。次にインドに来るのはお姉ちゃんの結婚式だろうなと思うくらい、大切な友だちです。

明日最終日もまた私が来ると思っていたらしいイトコちゃんに「さみしくなるよ~」と言われつつ、寮をあとにしました。

ぼけとる。

ぼけとらん。

バイバイ

今日記を書いていてふと気がついたこと。

2年前大学に来たのは6月の後半ですが、学期がはじまったのが7月4日の月曜日でした。で、修士課程が終了したのが本日7月3日。

ちょうど2年間だったわけです。

妹ちゃんが「2年なんてあっという間だよ」と言っていたのが信じられなかった。それが本当に2年前になってしまいました。




2013年7月3日水曜日

終わりの始まり (3) 先生の涙

こんばんワニ。


と、いうようなことがあったのでイライラがまた爆発しそうになり、ここ数日アーユルヴェーダやらの薬でお腹の痛みと戦ってきた私ですが、なんとか卒業できそうな雰囲気です。

学科長の言葉を信じようというか信じないとやってらんねーと思いつつ今日も大学へ向かいました。友人宅のあるVeelinayakenpattiNilakottaiからちょっと離れているのでAutoに乗りNilakottaiのバス停へ。

ここ2年間何度も「うちに住んで大学に通えばいいよ」と言われてきたのでそれを今になって試しているような感じです。結論、日本でも満員電車の通勤はしたことあるけど、インドのラッシュアワーバス通学はつらそうだわ、ものすごく。あとは想像にお任せします。

学科長との約束の10時前に学科に到着。E教授も来ている。蚊を追い払うのに疲れたので外で待つ。すぐ学科長も現れる。

まず学科長とP先生が学科長のオフィスで話をして、そのあとE教授が呼ばれ3人で話している。E教授は昨日ぶつぶつ言っていたようなことを学科長に伝えているようす。謝礼がどうのこうの、とか。

少しして私も呼ばれ中に入る。E教授はご丁寧にもうだうだと理由を書き連ねたレターを用意してきたようで、それを学科長に渡して熱弁している。学科長には先週の金曜日に「7月4日にDindigulから電車に乗るのでそれ以降は来られません」とレターを渡しているのに今になって「いつここを出るんだ」とまた聞かれる。「4日です」「4日…?」「7月4日です」「7月?」…ってオイ、先週話したじゃん…。E教授は「なぜ学科長にも私にも連絡していないのにP先生にだけ(出発日の)連絡をしたんだ」と言われる。いちいち全員に話さなきゃいけないのかよ。

E教授には昨日と同じように「7月4日にここを離れなくては行けない理由は何だ」と聞かれる。なので、「とっとと出ていきます」レターの件を学科長に思い出してもらう。E教授は「君が大学を離れるための許可を誰が出したんだ」と言う。卒業生が大学から巣立っていくのにいちいち許可が必要なのかよ。たぶんお前はガイコクジンだから大学の許可が必要なんだと言いそうなところ、学科長が「これ(私がインターンシップのあとにすぐに出ていくこと)は私たち(学科長とP先生)が指示したことだ」とビシっとツッコみを入れる。それなのにP教授は「それは私には受け入れられない。きちんと許可が必要だ。私は自分の意見をきちんと書いて正式に学科長に提出している。」うんぬんかんぬん。それで学科長の話がまだ終わってないのに勝手に出て行く。

E教授のレターに目を通している学科長。そこで、私も一応用意してきたんですけど…と、昨日マニプリお姉ちゃんのラップトップでこつこつタイプしたレターを渡す。内容はもうすでに学科長にもControllerにも伝えてあることなのだけど、一応きちんと文面にしたんで。電車やフライト、ホテルも予約していて、またアレンジしなおすのは難しいこと、奨学金も先月末で打ち切られていること、父が来ること、学科にはP先生を通して出発日が伝わっているものだと思っていたことなどなど。かなり腰を低くして書いたつもり。

それを見た学科長が「Let's go」と言う。またE教授のとこですか…とあきらめようとしたら、学科長はP先生と一緒に学科から出て行く。あわててあとについていく。

学科長が向かった先はOffice of Controller of Examinations。まぁ、うちの学科の隣の隣くらいの距離なんだけどさ。そして学科長とP先生がControllerのオフィスに入っていく。ここはテスト関連の書類があり生徒は勝手に出入りできないので外で待つ。

ちょっとして何か書類をかかえてE教授がやってくる。なんだよコイツも来るのかよ!と思ったけどControllerのオフィスじゃなくて他のスタッフのいるところに入っていく。何をしているのかわからないけどすぐ出て行く。私の前を無言で通り過ぎる。私も見なかったことにする。

20分くらいして学科長とP先生が出てくる。学科長が「心配しなくていい、今日外部評価者を呼んでVivaをやるから。午後にまた来なさい」と言う。これは口約束ではないと思う。思いたい。

寮に行ってお姉ちゃんとイトコちゃんに何があったか説明する。二人も新しくマニプールから来ているオンナノコの入学手続きや寮の部屋確保でバタバタ忙しいのだけど、まぁ座りなよと言ってもらい話をする。んで、結局ランチもごちそうになる。。。

午後って何時くらいかな~…クラスのスケジュールだとランチは13時45分までということになってるけど。と思っているとNilakottaiのCが電話をかけてくる。「今Mと一緒にいるんだけど、学科の教授と話をしようか?」えぇ。

CとMのNGOはうちの大学ともつながりがあって、研修をここで受けたり、研修の講師として呼ばれることがあるほか、Mは実は私の大先輩に当たる人。2年前に私がここで勉強することになったとき、周りがみんな喜んでいる中で「あそこはpoliticsがあるところだから気をつけて」と唯一警告をしてきた人です。彼もかなり苦労したから、と。そんなわけで私はCをLocal guardian(遠方から来ている生徒はこの辺りに住んでいる人に保護者代わりになってもらわなくてはいけない)として大学に登録していました。

まぁそんなつながりはあるのですが、わざわざ学科と話をしなくても…と思ったので「大丈夫、きっとやってもらえるから心配しないで」と言う。Mが「でももしやるつもりがないようなら連絡して」と。

そのあと、またぼ~っと過ごす。

またCから電話がある。「今学科長と話をしたよ」と。??????????????

二人がなんと私の学科に行って話をしてくれたのだそうです。それによると学科長は「心配ない、今日15時に評価者をアレンジしたから」と言ったそう。わざわざ本当に話をしてくれるとは思っていなかったのでびっくりする。Vivaが終わったらまた連絡してくれと言われ、とりあえず電話を切る。

そのあと、同じ学科のB教授から電話があり、16時にVivaを受ける準備をしなさいと言われる。でも秘密だから、と。

ということで16時前に学科長のKVKオフィスへ。オフィスの前で待っているとB教授もやってくる。で、「レポートは?」と聞かれる。えぇ。「金曜日にE教授に提出して、自分の分は印刷していないんです」と言う。「そうか、ではあとで提出でもいいか確認しよう」と。そのうち車に乗った女性がやってきて学科長のオフィスに入っていく。学科長の車でこの女性を迎えに行ったスタッフが私にも中に入るように言う。

思ったとおり、この女性が外部評価者でした。8日に他の生徒が来るときにも担当になる人のようです。レポートはもう1冊印刷し、学科長を通してこの女性に渡してもらうことになりました。

この間の「冗談でしょ」のようなVivaとはちがい、なんだかんだで1時間くらい話をしました。口頭試験っていうか、2年間の総括のような質問が多かったかな。日本とインドの比較とか。糖尿病に関しては私もかなり熱弁しました。

でも「それでは、2年間のガンディグラムでの経験をまとめて、『何を日本に持って帰るか』という点に関してはどのように考えているか」なんて質問は今聞かれるには最悪のタイミングなわけで。

「2年間最悪な思いをしてきました。クラスメイトとの言葉の壁、インドのシステムあれこれ、修士論文での苦労、病気…。もう早くここを出たくてしょうがないんです」

…とかは言ってないです笑。かと言ってこの大学を褒め称えるわけにもいかないので「まぁいろいろ大変ですよ。私も、クラスメイトも、周りの村も、いろんな問題を抱えてますよね。それがわかったというのは貴重な経験です」とオブラートに包んだ返答をしました。

名刺までいただいて(そいえばこの間のVivaでも名刺もらったけど、どこにやったかな)、わざわざ2度も来てもらうことになることに感謝し、学科長とB教授に感謝し、KVKを出る。レポートのことがなければ今日が最後になるのでもう一度お姉ちゃんに会いに行こうと思ってたけど、また明日も来るしと思ってそのまま帰ることにする。通学(帰り)ラッシュにまたぶつかり、満員バスで帰る。

帰り、お世話になった人たちに「MBA終わりそうです」の報告とお礼のために箱詰めのお菓子を買う。思ったより高くて少々ビビる。

村に帰ってお菓子を配り、すっかりリラックスしてグーグー寝る。

では済まなかった。

お菓子を持ってCの家へ。

ここで何があったかを話したところ、Cに実は今日もともとうちの大学で用事があったと聞かされました。わざわざ来てくれたのなら申し訳ないと思ってたのでちょっとホっとする。それで、学科に行って話をした~、の一部始終を聞きました。

まずは学科長より親交の深いB教授のところにあいさつに行ったそうです。最初っから私の話をするのもあれなのでまぁ当たり障りのない話題から始まり、「そういえばミワのことは知ってますか」と切り出したそう。もちろん知っていると話がつながり、そこで「ずいぶん大変な目にあっていると昨日彼女が言っていたものですから」と伝えたのだそうです。実はその時点でもう学科長が外部評価者のアレンジをしていたのだけれど、B教授は「ぜひあなたたちからも学科長に話をしてほしい」と言ったそうです。

それで…私の話をしているとき、B教授が涙を流したと言うんです。

ルールにそって生きているような人で、生徒には厳しいし、キッツいこと言うし、人間性疑うこともよくあるのだけど(生徒をバッファロー呼ばわりとか)、私をDindigulに迎えに来てくれたあの日(実はあの日心配で朝4時からバス停と家を行ったり来たりしていたのだとか)から私のことを妹のように思ってくれていたのだと。(そこ、娘じゃないんだ?というツッコミ入れたかったけど。)

なんだか、こんなこととかあったけど、私のことをきちんと考えていてくれたのだと思うと、しばらく意識して距離を置いていたことなど、大変申し訳なく思いました。

B教授と話をしたあとCとMは学科長のところへ。学科長は今日どこかで会議があったのだけど、私のためにそれをキャンセルして大学に来てくれたのだそうです。E教授が書いたレターはちらっと二人に見せたあと、二人の目の前でそれをビリビリ破ってゴミ箱に捨てたんだって。あぁ、それ、E教授の前でやってほしかったわぁ。

Cの話を聞いたあとMの家に行って、同じように学科長と話をしてくれたことのお礼を伝えました。Mは在学中にB教授とちょっとモメた過去があるので、「普段Bがめんどくさいごたごたに生徒を巻き込むことが多いんだけどね。学科長もB教授も君のことを心から応援してくれているようだね」と驚いていました。

最後の学期に起こったあんなことやこんなことで本当に心底、うちの大学の評価が自分の中で急降下だったけれど、最後の最後に私のために今日のVivaを(こっそり)アレンジしてくれたControllerと学科長、B教授、それにP先生には、今後も頭があがらないでしょうね。

明日レポートをもう1冊提出してきます。これで終わりだと思うけれど、本当に終わるまで終わりとは言わないことにしよう。


おまけ:お菓子買う前に心配した父から電話がありました。心配、つきないね苦笑



2013年7月2日火曜日

終わりの始まり (2) What Do You Mean by MONDAY???

こんばんワニ。


今日ものすごくストレスを感じていて、そのせいかお腹もズキズキしているので簡潔に書きます。

やっぱり、今日Vivaはやってもらえなかった。それどころか、今日までアレンジに手をつけていなかったようすだった。

結論から言うと、思い出したくもない論文のときのような状況になっている。

E教授は私に選択肢を与えない。学科長は「大丈夫」と言っている。関わりたくないB教授は「きっと木曜までにはやってもらえるはずだから」と根拠のないassuranceをくれる。

約束の10時になっても誰も学科に来ていないので(金曜日に来なかった子だけ)E教授に電話。待っていろと言われる。

誰も来ないのでクラスメイトSに電話すると「この間Vivaを早くやってほしいとレターを書いたのはミワだけだったから今日はミワしかVivaをやらないとE教授が言ったの。だから誰も来ないわよ」と。他の人は全員来週月曜日にやるのだと。

しばらくしてE教授がやってくる。7月8日に来いと言われる。Controller of Examination (テスト関連の職務を行う部署のトップ。今ケガして入院中だか静養中だかのRegistrarのポジションも兼任している)が言うには外部から人をよんでVivaをするわけなので謝礼や交通費がかかる。私のために2度学科で外部者を呼ぶにはそれなりの理由が必要だと。私はもうすでに電車もフライトもホテルも予約していて、返金できないものも多いので、だから出発日は変えられないと言う。E教授はそれは全うな理由にならないと言う。じゃぁなんならいいんですかと聞くと出発日にヴィサが切れるとかそういう理由ならと言い出す。

ヴィサのごたごたが片づいたとき、学科長が「これで延長はしたけれど、結局は学生ヴィサなので修士課程終了後は速やかに大学を出るように」と言うので「とっとと出ていきます」といった内容のレターも書かされた。だからP先生が言ったようにインターン終了後「数日」で全部ものごとが片づいてこの大学とおさらばできると思っていた。P先生に7月4日に出ることは先週火曜日に伝えてあるので。それがE教授に伝わるものだと思っていた。

私のこの「思っていた」が間違いだとわかったのが今日。もともとうちの学部内部のコミュニケーションがお粗末なのはわかっていたけれど。

最初はニヤニヤしながら私の話を聞いていたE教授だけど、私が「じゃぁなぜ金曜日に無理なら無理だと言ってくれなかったのか」と問い詰めるとキレたのか「自分の手に負えることじゃないから学科長と話せ」と、とっととオフィスを出て行く。

呆然とその場に立ち尽くして、2分くらい座って考えて、何でまた、最後の最後まで、と思う。

学科長が電話に出ないのでControllerに直談判に行く。RegistrarのオフィスにいたControllerはE教授が今来たばっかりと言っていたけれど、私の事情はさっぱり伝わっておらず、あたかも私がわがままで日にちを変えてほしいとでも思っているようだった。なので全部説明する。私が「思っていた」で全部今後のスケジュールを立ててしまった非は認めるし、ルールを曲げてどうにかしてくれとは思ってないけれど、この時点でじゃぁ月曜日に来ますとは言えない。父との予定も話した上で、どうしたらよいか訪ねると、とりあえず学科長と話をして何ができるか考えると、ポジティブな返答をもらう。Controller自身E教授が来たあとに学科長に電話したけれどつながらなかったと。

そこで学科長にしつこく電話をかけまくる。あとでB教授と話したときに学科長は会議に出席していると聞いたけれど、しつこく電話する。13時とかになって学科長から電話あり。E教授がこうこう言っているけれど、金曜にも説明した通り4日に出発しなければいけないと言うと「E教授は何と言ったんだ」と確認してくる。「他の生徒と一緒に月曜にVivaを受けろと言われました」と伝えると「大丈夫、明日学科にきなさい、明日Vivaやってあげるから」と言う学科長。あなたの「大丈夫」ほど信じられないものはありません。

でもとりあえず学科長がこう言ったので、どうせまたE教授が説き伏せるのだろうけどお先真っ暗ではない気がする。でも今日中にControllerにもう一度会って学科長がこう言っていると伝えたかったのでControllerのオフィスへ。学科長は明日やってくれると言っていますがと伝える。

そのあと学科に戻りP先生と話をしているとE教授がやってくる。以下のようなことを言われる:朝の9時半から16時までいろいろな人に会ってなんとか君のVivaを早くやってもらえるようにお願いしたけれど、全員「全うな理由を言え」と言っている。それで誰かひとりでも推薦状を書いてくれるのならVivaのアレンジは私がしよう。と。

たったキャンパス内の4人と話をするために7時間かかるわけない。いちいち、「上の許可がおりるなら私が謝礼を払ってもかまわない」「許可が出るなら君がいる場所に私と外部評価者が出向いていってVivaをすることもできる」とバカじゃねーのとしか思えないことをぶつくさ言っている。立場を変えるP先生はさっきまで「外部評価のことはE教授も気がついていなかったし、早めにアレンジしているようすもなかった」「きちんとインターンシップの予定を立てていなかった」と文句を言っていたのに、E教授の横で「E教授は君のことを助けようとしているんだから」とうなずいている。一体何なんだ。

ともかく、明日また大学に行くことになった。今日が本当の最終日だと思って昨日はひと晩だけ寮に泊めてもらい、マニプリお姉ちゃんと楽しくLife of Pi(この映画すげぇ)なんて観てたのに。


ちなみに、E教授がインターン中に私たちを訪問したのですが、他のグループの受け入れ先には行ったようすがなかったので「なんでうちだけ」とムカついていた。で、何でですかねとP先生に聞いたら、うちに来たあとあともうひとつ訪問はした。だけどそのあとE教授事故ったから他のところには行けなかった、とのこと。

人としてサイアクな考え方だけれど、これはKarmaだとうれしく思う。心から。




2013年6月29日土曜日

終わりの始まり (1) MONDAY???

こんにちワン。


先日のポストインターンシップのレポートを提出したら修士課程が終了と書いたのだけど。

現実はそう甘くなかった。

っていうか、予想したくないけどこれも予想してた。

なんたってインターンシップの担当あのE教授だからね!そう簡単にはいかないよね!


ということで、昨日大学に行ってきました。

予定では午前中にレポート提出して、Viva Voce(口答試験)をささっと終わらせて、寮にいるマニプーリお姉ちゃんを訪ねて1ヶ月何があったか洗いざらい話そうと思ってたんだけど。

9時半に集合と言われていたけれど、大学の入り口でレポート印刷してたら時間がやたらかかり10時半くらいにやっと学科に到着。

スタッフが入り口に集まってるので何かと思ったら、学科長のいるKVKにみんな行っていると言われる。携帯電話チェック。誰かが私に連絡をくれた形跡なし(ムカ)。

KVKに到着すると地元西ベンガルでインターンシップをしていたN以外はみんなそろっている。KaraikudiのDも来ていました。

もうVivaがはじまってるのかと思ったらそうでもないようす。Karaikudiで会っていないクラスメイトと1ヶ月間の苦労を分かち合う。。。

しばらくして学科長のオフィスからB教授E教授と次々に出てくる。

ちと話が戻りますが。

インターンシップ終了日1日前に、私は学科に電話をしてP先生にいつレポートを提出するのか聞きました。先生は7月8日と言ったのですが、私は6日にタミルナドゥを出てしまうんですよね。なのでどうしたらいいんでしょうと聞くと、では28日(金曜日)に来なさい、特例だからと。だから金曜日に来るのは私だけの予定だったんです。

なのに27日になって連絡が来て、全員金曜日に来いと言われました。

んで、金曜日のKVK。

E教授が出てきて、レポートの提出は○○日(タミル語だったのでわからん)なので今日はもう帰ってよい、今日提出できる人やVivaを早めに受けたい人はレターを書いて事情を説明しろとのこと。

はぁ、めんどくせー!!!

私は今後一切大学に足を踏み入れるつもりはなかったので「P先生に電話したとき私の事情を話して今日Vivaやってもらえるということだったはずですが」と言うと

E「P先生がインターンシップの担当なのか?君は私の電話番号を持っているし、私は君の番号を持っている。なぜ担当(の私)に聞かないんだ

と言い放って出て行く。

はぁ?同じ学科のスタッフなんだから、P先生の指示通りに行動するの何がいけないのよ?

でも「P先生が言ったんです」が通用しないのはわかってる。こういうときP先生はしらばっくれるから

あーめんどくせーと思いつつ、学科長に事情を説明するレターを書く。P先生にレポートと一緒に渡すと、先生はそれを持って学科長のオフィスに入っていく。

ちょっとして先生が出てきて「3時にまた学科にきなさい」とのこと。Vivaをやってくれるものだと思う

このあと寮に行ってお姉ちゃんとうだうだ話す。ランチをごちそうになる。

15時前学科に戻る。クラスメイトも何人かは残っているようす。E教授がオフィスにいるので「あの~」と話しかける。

E「なぜ君は学科長あてのレターを私のデスクに放置しておくんだ」

見ると、私のレポートとレターがデスクに置いてある。

「P先生に渡したんですけど」と言うけれど案の定通用しない。

E「私あてのレターを書きなさい」

…自分でコピーすれば?ハゲ!!!!

イライラをおさせつつレターを書く。

そのうちE教授は午後のティーのために学科を去る(この人ゼッタイこれを欠かさない。ティーショップの人とデキてるんじゃないかとさえ思う)。で、そのうち学科長が来る。

学科長に直接話をしてE教授あてのレターに承認のサインをもらう。つまりこれって学科長も「私が今日Vivaを受けるべき」だと承認するということなのだけど、そのあとE教授がやってきてしばらく学科長と話をすると、やっぱり事情が変わる

E「Vivaのための外部評価の人を急いで探すので月曜の10時に来なさい。レポートは急いで読むから」

なんだよそれ、ハゲ!まだ探してなかったのかよ???

担当とかホザいてるけど、何もやってねーじゃねーか!

第一、インターンシップの外部評価なんてホントにあったのかよ(他の学科はやってないはず)。うちの学科だって去年なんかViva自体なかったじゃん(いっこ上談)!!!

超うぜー!!!!!

と、言うことで今日レポート出さなかった人には完全ムダ足の一日となりました。

私もNilakottaiから行くと時間かかるから、月曜にまた行くなんてイヤなんですけど。つか月曜って7月じゃん。次の学年だよ?

もうマジ、うちの学科どうかしてる。

このあとまた寮に行ってお姉ちゃんに不満をたらたらこぼしたのは言うまでもありません。

夜ご飯までごちそうになり、あわててNilakottaiに帰ってきましたとさ。




2013年5月26日日曜日

結婚してくださいの人と僕じゃだめですかの人 Palm Fruits

こんばんワニ。


どん

エキゾチックなインドの果物を食べる機会ももう少なくなってきたと思うので
あ~あれ、食べたいなぁと思ったものは
今のうちに食べよう、という魂胆。

まぁ、果物だけじゃないんだけど。

ということで今日はPalm Fruitsを買ってきました。

Palmってのはヤシです。

私さぁ、
ココナッツっていうのはヤシの木にはえるものだ
と思っていたから、
最初Palmのフルーツっていわれたときに
それココナッツじゃんって思ったんだよね。

で、もらってみたら全然違う代物だったわけで。

ココナッツがヤシの木にはえるってのは間違いじゃないんだけど、
ヤシにはココナッツの他にもたくさん種類があるんだって。

っていうのはPalm fruitsを食べてからわかったんです。

今ググったらPalm fruitsは正式にはPalmyra fruitというようです。
この果物をつける木のラテン名はBrassus flabellifer(たぶん)。
(ココナッツはCocos nucifera。)

で、これね。

この白っぽい果物がヤシの木にぶらさがっているわけではなくて、
「ヤシの実」の中に入っているわけなのね。

なんか古臭い写真だけど参考はこちら

この黒っぽいヤシの実の表皮をなたでちょっと切っていくと
中のやわらかいしろっぽいところに3つばかりのこの果物が隠れています。
これをなたでていねいにはがしていくわけですね。

果物3つ、つまり実ひとつぶんで10ルピーなり。

これはココナッツジュースやスイカ同様、
夏の時期に体温を下げると信じられているもののひとつで、
このシーズンよくそのへんでおっちゃんがなたを片手に売っています。

あっ、こっちのページの写真の方がわかりやすいかも。

この白い皮をていねいにはがして、
中の半透明の部分だけいただきます。
見た目どおり、ゼリーのような食感で、
中にちょっと果汁が入っています。

そんなに甘くないし、皮食べちゃうとものすごくマズいんだけど、
なんかクセになります。

ちなみに今日、
3つだけくださいと言ったあと
袋におっちゃんがつめている間にお財布から10ルピーを出しました。

顔を上げるとおっちゃんが最後のひとつを袋に入れているところで、
それがものすっごく小さいやつだったので
代えてもらおうかと思ったけど、
まぁいっかと帰る。

あとで袋の中を見たら
4個入ってました。

小さいのはおまけだったのね…

代えてくださいなんて言わなくてよかった苦笑


■  ■  ■  ■  ■  ■  


今日は半日ダラダラして、
半日部屋の中のものをゴミに出して
夕方、Chinnalapattiまでお散歩にいきました
(そのときにPalm fruitsを買ってきた)。

私はもう早くテストが終わってインターンを待つのみですが
夏休み中に特にプログラムがない寮生は
期末テスト最終日にたいてい寮を出ます。

そんな感じなのでここんとこ
寮を出るとやたらと荷物を持って実家に帰る人たちばかり。

卒業して出て行く人も
あんまり荷物がないので
(小さなスーツケースとダッフルバッグくらい)
どうやって2年間とか3年間過ごしてたんだろうと
不思議に思います。

私なんか4箱実家に送ったのに!

同じMBAの子たちでも
インターンシップが終わってないのはうちの学科だけなので
(他の学科は12月中にやっちゃったらしい)
2年間一緒に過ごしたメンバーを何度も見送りました。

さみしい。。。

それに私ももうすぐここを出るしなー

と、イヤなことはいったん忘れて
感傷にひたっていると

見慣れた顔が。

このへんで登場したMBAのケララのオトコノコM。

あら、まだいたのねぇ。

M「いつここを出るの?」

私「インターンシップがはじまるから月曜に出るよ
そっちはもうインターンシップは終わってるよね。
いつ帰るの?」

M「今日帰るんだ」

と、握手。

私「そうなんだぁ」

彼はこのあと軍隊に入るつもりで、
でもコンピュータやマネジメントなど
学士修士で学んだことを活かせる
そんなポジションにつきたいのだそうです。

とりあえずChennaiの部署に入ることが決まっているようなので
何かChennaiで必要なことがあれば
電話して、とのことでした。

はー。。。
最後までいい人だ。。。

(上から目線だけど)
私はオトコレベルがあまり高くないMBAの中でも
彼を一番高く評価していました。

気さくだし、あいさつは欠かさないし、
笑顔だし、
頭もまぁ悪くないようだし、
将来のビジョンをしっかり持っていて
ものすごく好感がもてます。

いつだったかなぁ、なんかヘコんでたときに
たまたま彼と話す機会があって
「MBAのあとは日本に帰っちゃうの?」
と残念そうに聞くので
「結婚してください」
と言いたくなったくらいです笑

私「わかったー、電話番号は変わらないよね」

M「うん、同じ番号。
Facebookでも連絡とろう。
それじゃぁ」

と、颯爽と去るM。

これからはFacebookでつながるのみか~。。。
惜しい男を逃がした。

と、大学の入り口まで来て
Chinnalapattiに向かって歩いていると
野菜やさんの隣の小さなティーショップで
MBAのオトコノコたちが集まっている。

今学期からかなぁ、
いっつもここで集まっているメンバー。

寮にまだ残ってる人じゃなくて、
家から通ってる人もわざわざここまで来て
だらだら~と過ごしているようです。

私が野菜をここで買うようになってから
話すようになった人もいて
(同じクラスにいても話さないオトコノコいっぱいいるから)、
そんなことも考えていると
さみしくなるなぁと思ってしまうのです。

と、そんな中に友人RMが。

RM「いつここを出るの」

私「月曜かな…」

RM「インターンシップがあるよね」

私「そうそう。月曜からだよ」

RM「日本に帰るのは?」

私「7月になるかな」

RM「そのあと、結婚するの?

私「笑それは、いい人が見つかってからでしょ」

RM「ひとつ聞いていい?」

私「うん」

RM「僕じゃだめ?

私「笑博士号とってから連絡して」

RM「博士号?」

私「ダンナは博士号かお医者さんか弁護士がいいから笑」

けっこう、コイツもお調子者だわ。


■  ■  ■  ■  ■  ■  


お客さんに私のことを「友だち」と紹介している
Ceylon Bakeryのお姉ちゃん。

最近Amla(グースベリー)のジュースを買うようになって
顔見知りになったGandhigram Trustのお店のお兄さんは
お店の前を通るたびにニコっとしてくれる。

Trustの前の小さなお菓子やさんのお姉さんも
道で会うたびにあいさつしてくれる。

「シスター、ブドウは?」
といつも声をかけてくれる
踏み切りの近くでブドウを売ってるお兄さん。

タミル語も結局全然上達しなくて
簡単なやりとりしかできないけれど
こうやって何度も顔を合わせて
あいさつをして
そういう関係が築けたのは
本当に幸せなことだと思っています。

明日が寮での最終日

ランチごちそうするわよと言ってくれるマニプリお姉ちゃん。

ホント、頭が上がらないです。

(今晩ホットケーキでお礼←足りねーわ。)




2013年5月25日土曜日

Sealing, sealing, shipping! 白い巨塔(2)

こんばんワニ。


と、いうことで、昨日の続きです。


今日は朝からトラブルでした。

トラブってたのは私ではないのだけど。


昨日白い布ぐるぐる巻きにつきあってくれたマニプリお姉ちゃん。

帰りに荷物を乗せてAutoで帰ったときに
いつもの大学入り口野菜やさんで
マンゴーを購入。

私はマンゴーにアレルギーがあるので、
このマンゴーシーズン、
店頭で黄色く輝くマンゴーを眺めつつ
あぁ、食べてみたいなぁと思いながら
ブドウを買う毎日です泣

で、お姉ちゃん昨日部屋に戻って
2個たいらげたらしい。

夕方くっちゃべってたときに
「ひとつ食べたんだけどあんまり新鮮じゃなかった」
と言っていたので
まさか2個目食べるとは思わなかったんだけど…。
2個目は友だちと電話で話しつつ食っちゃったって。

マンゴーって、私みたいにアレルギー持ちの人でなくても
お腹をこわしちゃう人、多いみたいなんだよね。

マンゴーシーズンに入りたてのときとか、
みんな喜んで食べるけど
クラスメイトのKなんか
舌が真っ赤になっちゃったりするんだよね。

じゃぁやめとけよ、と思うけど。

で、お姉ちゃん。
この人、ものすごくお腹(も体も)弱い人です笑

すぐお腹こわすし、
すぐ熱出すし、
頭痛もしょっちゅうだし、
ついでに腰痛もよく出るし、
虫によく刺されるし、
やたらと薬を飲んでいるのを見かけます。

マンゴーでお腹くだすのもしょっちゅうなのに
2個も食いやがって。

昨日はぐるぐる巻き待ってる間にアイス食べたし、
ご飯でグリーンチリ多めだったようだし、
全部ごっちゃになって
夜からお腹下り坂だったようです。。。


そんなこんなで今朝。

10時にAutoに来てもらうことになってたので
15分前に確認の電話を入れることになっていたのですが
その直前にお姉ちゃんから電話。

「電話した?」

私「いやまだだけど、もうすぐかけるよ」

「10時半に来てもらって」

私「わかった…何かあった?」

「昨日からお腹の調子が悪くって。
今薬飲んだから10時半には行ける

私「えぇ じゃぁ休んでてよ ひとりで行けるよー」

ひとりで行けるわけないでしょ

…うぅむ、そうかも。

お姉ちゃんにも妹にも
ずぅっとお世話になりっぱなしな私。

他の州から来ている彼女たちは
ガイコクジンの私と同じようなもん。
言葉もなんとなくしかわからないし。

だけどChennaiで何年かすごしたあとにここに来ているので
ものごとがうまくいかない」ことに慣れているし
どうやったら対処できるか知っている。

私のようにやたらブチ切れることもない。

だからいろいろつきあってもらっているのです。

今日も具合が悪いのなら休んでいてほしかったけど、
郵便局でまた変な要求をされたり
やたら待たされたりといったことが不安だったので
結局、来てもらいました。
ありがたや。


病人待たせたら、ダメっしょ!!

と思ったけど、
今日はキモチワルイくらいに物事がスムーズでした笑


前述の通りうちの大学の郵便局では大きい荷物を受け取ってもらえないので
Dindigulの本局(?)へ。

AutoでDindigulについてみたら
何やら政治デモか何かで
道がごったがえしている。

あーめんどくせーと思ったけど
小さい隙間にズンズン入っていく
ドライヴァーS(最近パパになりました)のおかげで
無事到着。


窓口に並んで、
「あ~担当が英語きちんと話せなかったら困るな~」
と思ったけど、
まだ研修生らしいその子は
流暢に英語を話し、
ていねいに対応し、
的確な説明をし、
仕事きっちり!

さすが、本局


というのも。

少し前に大学の郵便局でマニプリ妹とイトコちゃんが荷物を出そうとしたとき。

職員「今停電してるから処理ができない」

妹「発電機があるんだから使ってください」

職員「発電機を作動させる人が2時にならないと来ない
(注:それまでにはおそらく停電時間は終了している)

妹「そんなに難しくないでしょ」

職員「私たちじゃわからないのよ」

妹「その人早く呼んでよ。
電気がないからといって仕事をしなくていいというわけじゃないでしょう」

と言い合ってるうちに
郵便局に来ていた客に
職員が何やらタミル語で話しかけ、
客が発電機作動させたっていう。。。

と、いうのが大学の郵便局の対応なわけです。
客を客と思ってない。


なのでしばらく郵便局への信頼はマイナスだったわけですが
今日の彼女の対応で希望が持てた


まぁ、ちとめんどくさいことはありましたよ。

上記大学郵便局で
これ書いて持ってきてと税関用のフォームをもらったのだけど
昔のフォームのオリジナルをくり返しコピーしているような代物で
よく読めないし、大丈夫かこれ。。。
と思う。

ネットで同じフォーム見たら
まるっきりレイアウトが違うし。

でも書かないわけにはいかないので
書いて持っていったら
デキる窓口の子が
これじゃだめよ」とバッサリ。

新しい、4連複写式くらいの用紙をもらい
全部書き直し。

内容は日本から海外に出すときに書くようなものと同じです。
たぶんこのページのCN 23。

ちなみにこれ、
日本のフォームみたいにシールじゃないので
(気がきかないねぇ)
セロテープ(←持参)で貼り付け。

支払証明のステッカーも
片側しかのりがついてないので
結局セロテープ貼り付け。


また、郵便局に宛てて
私はどこそこにどんな荷物を送ります。
返送されても郵便局に責任を問いません
という恐ろしい内容のレターを書かされました。

届いてくれ。。。泣
返送されても困る。


それと、「総重量がわからない」と言ったら
じゃぁこっちで測ってと窓口の反対側にあっさり通される。

自分で測るのは別にいいけど、
客を作業場に通しちゃっていいのか。。。

で、総重量は箱の上にマジック書き。
(フォームにも書くけど)


このあと、昨日やった「封蝋」ではちょっと足りないということで
再度やることに。

「そうじゃないと開けて中身が抜き取られるわよ」

という窓口の子の言うことはごもっともなんですが、
郵便局職員がそれ認めちゃっていいのかって笑

まぁ、私は傍観者なので写真を撮りました。


ぺたぺた

左に立てているろうそくで赤い封蝋スティックをあたため、
箱の角と糸の始末をしているところにくっつけます。

(ぼったくり仕立て屋はまず箱のサイズでミシン縫いの袋をつくり
それに箱を入れてとじるところだけ手縫いをしています。
ミシン縫いのところはしっかりしてるので封をする必要ナシ)


ぺたぺた

蝋をつけたところにルピーコインを押し付け、
しっかりと固めます。


できあがり

これで完了。

ちゃんと届いてください。

ちなみにお値段はSAL(Surface Air Lifted)で

5.7キロ 1807ルピー
9.1キロ 2591ルピー
10.7キロ 2815ルピー
9.7キロ 2703ルピー
でした。

1万ルピー以内におさまった!Yay!

20日で届くといわれたので
多分その倍の40日くらいかかるでしょう。。。

まぁ、私が帰る前には届いてるかな。


写真にちょっと写っている封蝋やってくれたお兄さん、
マッチも買ってきてくれたし
2ルピーもお兄さんのポケットから出したものだったのね。

作業を終えてすぐに出て行ってしまったので
コインも返せず、
お礼もできず。

どこに行ったかわからないので
「これちょっとですが渡してください」と
心ばかりのお金を窓口の子に渡そうとしたら
「必要ないですよ」との答え。

まぁ、サービスの一部だと思えばいいのだけど
わざわざマッチも買ってきてもらったし、
どうしようと思っていたら
なんとお兄さん郵便局の目の前でティータイムでした。

まずコインを渡して
「あと、これ、私からです」と
お礼を渡そうとすると
「やめてください」との答え。

公共のサービスだからこういうチップみたいなものは
受け取れないのかな?と思ったけど
こういうのにがっついてくる人たちに慣れてしまっていたので
(ホテルとか、チップくれって言ってくるんだよ)
なんだか拒否られたのが新鮮で
すがすがしく感じられました。


さぁ、荷物も送ったし、
あとは部屋を掃除して、
月曜からのインターンシップに臨むのみです。




2013年4月7日日曜日

2 Priceless Cakes (続)節目

こんにちワン。


昨日(土曜日)に三十路の大台にのっかったみわです。

メイルやFacebookでのたくさんのメッセージありがとうございます。


ヘコむことがいくつかあったのですが
まぁよしとします。


さて。

元同僚でこれまた私が心底尊敬しているFさんが
20代最後に何かしたほうがいいんじゃないと
(Fさんの場合は浅草でサンバを踊った。)
言われたので、
30になる前に何かしよう!と思っていたけれど
結局そんなこともなく
時計が20時半(インド時間)をつげると
日本では0時。

独身でうんぬんかんぬんはこの前書いたけど

その時間に何をしていたかと言うと、
圧力鍋貸してました。笑

部屋にパタパタと聞き覚えのあるサンダル音がやってきて
(最近はノック音以外にサンダルの音でも誰か予想がつく)
部屋にずかずか入り込んできたのは
案の定マニプーリシスターズお姉ちゃん。

ご飯炊くから圧力鍋貸して!

何でも、使ってる圧力鍋でチキンをこしらえたので
お米を炊くために別の鍋がほしいそう。

いつも台所用具貸し借りはよくあるので
よく考えずにどうぞと渡す。

姉「もう料理終わったの?」

私「(オートミールで済ませようと思ってたのでちと恥ずかしい苦笑)
まだだけど、すぐ済むから大丈夫。
ご飯なら20分しないで終わるでしょ」

姉「じゃぁ先に作りなよ」

私「いいよ。待つから」

というのが20時半ころの会話。

21時をすぎても圧力鍋がかえってこない。

まぁ、私のってデカいぶん
(ひとり分しか作らないのに寮でいちばんデカい圧力鍋を所有している笑)
火が通るのに時間かかるしなぁ。

と思ったけど。

うーん。。。

彼女たち、いつも3人分(シスターズとイトコちゃん)
作っていて、圧力鍋はひとつしかないにしろ
3品くらいきちんと作ってるし、
何で今日は必要だったんだろう。

そういえば、以前に圧力鍋貸したのって…

まさか。。。

と思っていたらイトコちゃんが圧力鍋を持って戻ってくる(21時半くらい)。
まだほかほかの鍋。

イ「ごめんね、遅れて。怒らないで」

私「別にいいよ。大丈夫」

そのあと私の調理はさくっと終わったのだけど
(オートミールあっためるだけだしね…)
鍋を洗っていたら不思議なことに気がつく。

がんこなすす汚れ

Kerosene stoveの特徴としてすす汚れは当たり前だけど
お米炊いてこんなについちゃうのってなかなかないので
やっぱりまさか、と思う。


そして
まさかがやっぱりになった23時56分。




手づくり

やっぱり。。。<3 

彼女たちの圧力鍋はちと小さいので
クリスマスに彼女たちがケーキを焼いたときには
私が置いてった圧力鍋を使ったんですね。

焼き方(蒸し方)はこのへんで説明済み


ちょっと期待しちゃってた自分が恥ずかしいけど
本当にお祝いに来てくれた彼女たちに大感謝。


キャンドルがないからマッチですけど。ドンマイ。


さて、それではきちんとインド式にお祝いしましょう。

すっぴんでごめんなさい


ふー!

Happy Birthdayの歌は万国共通(ウソ。でもインドは同じ)。

ただ何かスピードが遅いです。

歌に合わせてキャンドル(もしくはマッチ)を吹き消す。


カット

切るのは誕生日本人の役目。





First bite...

こうして本人がまず食べさせてもらいます。

おわかりのように手です。もちろん。

フォーク?冗談じゃない。


ほぉれ、お食べ

このあと、お集まりの友人に食べさせてあげます。


お約束

このあとクリームを顔につける(つけ合う)という儀式
があるのですが

30代のお肌にバタークリームはオイリーすぎる

と勘弁してもらいました笑

まぁ、でも、
アーユルヴェーダとかギー(バター)顔にたらすよね。
一緒?笑


最後の

ここでお祝いするのは最後の誕生日
のはず。


実は土曜日はMaduraiにお買い物に行こうと予定していました。
けれど前日(金曜日)になって一緒に行くKがバックれる。

「ストレスがたまっていて…」

「土曜日授業があると思ったから…」

「かわりにDindigulに行こう」

と、私の意向を無視したことばっかり言ってくるので
ふざけんなと思って

もういいから!祝う気ないし!うちで論文やってな!


と言い放ったんだけど、その後も

「私がお祝いしたい気持ちは関係ないんだ?」

「私寮まで行くからさ…」

とうじうじと言ってくるので

あぁ、めんどくさいと思う(自分は心底イヤなヤツだと思う)。


でも夜が明けて気持ちも晴れたので
ちと言い方きつかったかなと思って
わびの電話を入れる。

K「誕生日おめでとう。I wish you many more returns
(幸せな誕生日がこれからも訪れますようにということです)」

私「いや、誕生日は来てほしいけど、もう年取るのはイヤだわ!笑」

と二人で笑う。

K「ねぇー、お願いだからDindigulまで来てよ」

と言うので、
まぁ、Kと過ごす誕生日も最後だろうし、と思って
行くことにする。

私「アイスクリーム食べに行こうか。おごるよ」




そのあとネットサーフィングをしている最中。

数日前からなんか頭皮の一部が痛いので
この間100均で買って持って帰ってきたヘアターバンで
しめつけちゃったのかと思ってたんです。

でも昨日なんとなくその位置をさわってみると
何だか水…膿?が出ている。

ひぃぃと思ってマニプーリシスターズの部屋へ。

Dindigulの皮膚科、どこにあるって言ったっけ?

イトコちゃんが頭を見てくれる。

彼女のリアクションっぷりを見る限り、あんまりよろしくない状態らしい
(鏡ではよく見えないんですよ…)

応急手当として、以前に彼女たちが
その皮膚科でもらったパラフィン(…?)を塗ってもらう。


今年は皮膚科かよ…と思いつつ
シスターズ妹になんとなくの場所を聞いて
Dindigulに出かける。

バス、暑い。。。。





そしてDindigul到着。

やってきたKの手には箱。



今度はキャンドルつきだぜー

来るなり、

私のバスでお祝いするほうがいいと思うの。誰もいないから。
アイスクリームパーラーには人がいるでしょ」

というトンチンカンなことを言い出すK。


と言うことで、Kが乗ってきたばかりのバスに乗車。

フツーのことであるかのようにケーキ箱をあけたところの写真がこれ(上)
バスのシートの上です。。。

Kがいつも乗っている路線なので
車掌さんもドライバーも顔見知りのよう。

ということで、
バスで車掌とドライバーに見守られつつ
二つ目のケーキのキャンドルを吹き消し
カットをしたわけです。。。

誠にプライスレスな状況です笑

Kと私と食べさせあい、
彼らにもケーキを食べてもらいました。

んで、そのころにはこれからバスに乗る乗客もいたので
ガキにケーキを分け与えました。

私たちなんてやさしいんでしょう
(配ったのは車掌くん)。


てんこもり

そのあとibacoへ。てんこもりのアイスを食べて心から幸せだと思う。


んで。

忘れちゃいけない皮膚科。

どうやらここの近くにあるということなので、
Kと一緒にクリニックを探す。

17時に整理券が配られるから
18時の診療前に行った方がいいってことだったのね。

ABMクリニックだと思ってたらAVMクリニック。

Kが見つけたそのクリニックは
なんと私の歯医者の隣

なんだよここかよ、と思う。

で、もらった整理券は「1」

たくさん人が待ってるのにどうして?と思う。

「前に10人くらい待ってるみたい」

とKが言うので
あぁ、11人目ということなのね、と思う。

そのあとKをバス停留所まで見送って皮膚科に戻る。

18時の診療開始前にたくさんの人が来ている様子。

つけられたテレビの映画を観つつ
待つ。待つ。待つ。

そのうち「ミワ」と聞き覚えのある声がして見上げると
なんと前学科長がつっ立っている

彼もなんか皮膚疾患があったらしい。。。

待つ。待つ。待つ。

18時はとっくに過ぎてるのに人が診察室に入っていく気配なし!

19時になり、待合室の一番前に座っていた男性が

(たぶん)「6時からって言ったじゃないか」とブチ切れる。

そーだそーだ、と思って心から応援する。

その後診療開始。

「15番までの人来てください」と言うので
立ち上がったけど、実はその15番というのは
朝待ってて診てもらえなかった15名だということが判明。。。

それが私の前の「10名」←じゃないじゃん
ということが分かる。

そのあと15分くらい待って
「あなた1番よね」と言われる。

そのあとまた診察室の前で5分ほど待ち
ようやく中に入れたのは20時前でしょうか…

こうこうこういう症状でと医師に伝えると

「髪の毛染めてない?」

シラミはいない?

と聞かれる。

いない、と思うけど…泣

ともかく、飲み薬と軟膏、
それに患部を洗うもの(塩化ナトリウム?)をもらいました。

飲み薬の中に私に効かなかったParacetamolがある泣

眠れないくらい痛かったら月曜に、
そうじゃなければ火曜日にもう一度来て」

だそうです。こんなに待たされるのはもうごめんです。




ということで
30代最初の日に皮膚科という
なんとも体の衰えを感じるようなスタートでしたが
何か思い深い1日でした。

帰りにはBaalaji BhavanAdai Aviyalを買って帰りました。
あぁ、おいしい<3

終わりよければ全てよしって感じ。


さて、大学院生活も残すところわずかですが
今年1年充実したものになりますように。

重ねてになりますが
たくさんのお祝いメッセージありがとうございました。




2013年3月30日土曜日

おせっかいを通り越してはたメーワク Student Protest (3)

こんばんワニ。


数日前「夜寝るとき天井のファン使う」を解禁しました。

寝るときにACやらファンやら使っていると朝ノドが痛いので多少暑くても使わないのだけど、さすがに夏に向けて暑くなってきたので。


そんな今日はGood Friday(聖金曜日、キリストが死んだとされる4月の金曜日)。ここにいる東北部の子たちはたぶん全員クリスチャンなので、マニプール出身の先生んとこに集まってservice(お勤め、式)があるようです。

クリスマスも含めたまにこういった会にも呼ばれるのだけど、なぜかクリスチャンの集まりだと尻込みしてしまう私。

いつも自分は無宗教ですと言っているけれど、心のどこかで多神教(八百万の神様…)を信じているからなのかなぁと最近思います。


さて今日は夜ご飯何にしようと夕方Chinnalapattiまで行ってきました。

よく行くCeylon Bakeryにはキリストの絵がかけてあるのでオーナーがクリスチャンなんだろうな。クリスチャンの祝日だから今日はお休みだろうと思っていたけど、行ったら開いてる。携帯電話のプリペイドチャージ(をベーカリーでやってんだけど笑)担当のおじさんはいないけど、ベーカリー部門は通常営業って感じ。

働いている子に「今日休みじゃないのー?」と言ったら「違うのよ。言ってやってよ」とおじさんの息子(たぶん。同じ顔だから)に目配せ。

そこで息子氏に私から「何で今日休みじゃないんですかー」と言うと「でも休んでたらあなた買い物できないでしょ」と返される。

「休みだと思ってでもチェックしにきたのよ笑!」

おじさんの方は今日どっかでお祈りの式があるとかでちゃっかり休んだらしい。

働いてるオンナノコとオトコノコもてっきりクリスチャンなのだと思ってたけど、そうではないんだって。じゃぁ休みじゃなくても文句言うな笑


で、そういえばこのお店って「Ceylon」ベーカリーじゃんね、と思う。

Ceylonというのは「セイロン紅茶」と言われるように、スリランカの旧名です。

スリランカ政府に対するバッシングがタミルナドゥ中で盛り上がりすぎちゃってる中、ここも被害受けたりするんじゃないかと思ってたけど、そんなことはぜーんぜんなさそうな感じ。

Dindigulの本店は被害受けてたりして。

…そんなことない気がする笑

まさか地元の人はセイロン=スリランカだって知らないわけ?


と、私が言うのにはきちんと理由があるわけです。


反スリランカ政府運動がはじまってから、スリランカと名のつくものはやたらと襲われているんですよ。


たぶん最初に襲われたのはChennaiのBank of Ceylonだと思う。マスクをした12人が押し入り、銀行員を襲い銀行をメチャメチャにしたんです。

あとSri Lankan Airlinesのオフィスに石を投げつけたヤツもいました。


まぁここまでは、よく中国でも日本企業を襲うってことがあるので、ありがちだなぁと思っていたのだけど、次第に変な方向にエスカレートしていったわけです。


スリランカのシンハラ人たちには仏教徒が多いので当然お坊さんもいるんですが。Thanjavurを訪れていたそんなお坊さんが例の寺院で地元タミル人に襲われるという事件もありました。

そのあとすぐにまたChennaiで仏僧が電車の駅で襲われています


最近新しいカトリック教皇がアルゼンチンの内戦時代に殺戮を見てみぬフリしたなんて話も出てきたけど、かといって教皇が人を惨殺していたわけではないだろうし、このお坊さんたちだって進んでタミルの人たちを殺していたということはないと思うのです…


そしてもうなんかメチャクチャじゃんかと思われる事件が。


タミルナドゥの中に海岸エリアを切り取って別の特別行政区にしているPondicherryというところ(もともとフランス領でその影響が今も残りおいしいワインやフランス・インドフュージョン料理が食べられるという夢のような場所)があります。

ここにあるSri Aurobindo Ashramashramというのはヒンドゥ教の教えだったりヨガのレッスンをしたりするような場所)も最近50人のタミル人がやってきて施設を襲いました

で。Sri Aurobindoというここの創設者がシンハラ人でしたというならまぁなんとなくわかるのですが、Aurobindoは西ベンガル出身。

はい?

でも、ここが襲われたのは彼が西ベンガル出身だったからなんです。

じゃぁスリランカと関係ないじゃんと思うのですが。実は。

西ベンガルの州知事Mamata Banerjeeが国連人権理事会の決議(スリランカ政府の内戦時のタミル人に対する行いを非難するもの)に反対していたから、なのです。

…やっぱ関係ないじゃん!

これってつまり。日本政府がこの決議にちょっとでもイチャモンをつけようなら私がそこらへんでボコボコにされるというようなものなのです。恐ろしい。。。

(そういえば西ベンガル出身のクラスメイトNは無事だろうか笑)


そして、政治と切り離されるべきだと私が常日頃考えているスポーツ界にも影響が。


インドの国技ではないにしろものすごく人気があるクリケット。

インディアンプレミアリーグ(IPL)というのがプロクリケットリーグで、インド国内だけではなくて、クリケット選手が多い旧英国領の国から多くのプレイヤーが集まっています。

例によってタミル人の気持ちをくみとってますよと主張したいわがタミルナドゥ州の州知事Jayalalithaaは「スリランカの選手はうちの州でプレイしないでほしいわ」とIPLに言い出す。

でIPLもそれを聞き入れちゃって、Chennaiでの試合にはスリランカ選手は出ないことになったのです。スリランカの選手が襲われないようなセキュリティ体制が整えられないというのが理由らしいけれど。

アホか。こういうときだからこそ、スポーツではフェアに、気持ちよく、タミル選手もシンハラ選手もプレイさせるべきじゃないの???

けどねー。。。パキスタンの選手もしょっちゅうインドに来るなと言われるんですよね。クリケットは人気がある分政治が介入しやすいんだろうか。

にしても、シドニーオリンピックで北朝鮮と韓国が一緒に入場したことにエラく感動した自分としては、パレスチナとユダヤの子どもがサッカーを通じて交流しているなんてことにものすごく感銘を受ける自分としては、なんでインド人はこういうことができないんだと思うのです。


そして、もうはたメーワクとしか考えられないようなことも起こっています。


まぁ、以前から言ってることですが、タミルナドゥ州政府はタミル人が多い北スリランカを独立させろと言っています。

これはつまり、規模は違うけど、中国が横浜のチャイナタウンを独立させろというようなものです。

スリランカのことは、同じ民族であれ、他の国がとやかく言うことではないし、スリランカタミルがそうしたいのであればそれが実現するようにサポートを国際レベルで(国連とかね)することが必要だと思うのです。

まぁ、タミルナドゥ州政府にとっては「だってインド中央政府はタミルの気持ちわかってくれないんだもん!」ってところでしょうが、ウダウダ言う前に何もしてないスリランカ人の安全確保をしなさいよ。


で、今日の新聞で読んだけど、このゴタゴタでスリランカ出身のタミル人だってメーワクこうむってるのです。


最近の混乱で、スリランカから留学している生徒たちが物件を借りられないということが起きています。スリランカ人だと言うと、通常の書類の他に警察に行っていろいろ手続きがあるとかで、大家がめんどくさがって貸さないとつっぱねてしまうんだそうです。

これがシンハラ人だけだったらまぁ、ねぇ、こんなご時勢だから、と思うけどこれはタミル系スリランカ人にも当てはまることなのです。

というのも、Rajiv Gandhi(スリランカ内戦時にIndian Peace Keeping Forceを送り、結果タミル系スリランカ人と戦わせるハメになった)の暗殺(タミル組織LTTEによると言われている)からずーーーーっと、タミル系スリランカ人には警察の厳しい目がついて回っているわけで。

今回の反スリランカ政府デモに至っては、「タミルナドゥにきている難民の人たちはデモで先導きってるんだろう」なんて思うけど、実際には「スリランカの生徒はデモに参加しないように」と大学からきびしく言われて、寮で待機もしくはヒドい生活環境の「難民キャンプ」に帰っているそうなのです。


つまり、タミルタミルと言っているけど、本当に運動を起こしているのはスリランカの、本当にツラい思いをしたタミル人ではなくて、タミルナドゥで育って、最近になって「お隣の国でこういうことがありました、許せません」とわかってしまったインド人なんですよね。


結局誰のための運動なの?と思う。