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2013年5月13日月曜日

You come to my house! アフリカンコネクション

こんばんワニ。


母の日ですね。

母の日ですねー、なのに
電話してくれたのが母でした。

母の日ですねー、なのに
父とも電話で盛り上がりました。

こんな倉林家です。


どんっ

な、なんだこれは。


今日、生まれて初めて2回目くらいに
アフリカ料理を食べました。

あ、3回目かも。

1回目はエジプト料理屋さん(一応アフリカ)

そして3回目の本日は
ホームメイドケニア料理!


…あれー
倉林さん、アフリカで勉強してるんだっけ?

ちがいますー。

前にサトウキビのくだりでスワヒリ語うんぬんかんぬんと書きました。
あの日Palayamkottaiに一緒に行ったのは
ケニアからの留学生だったんです。

うちの大学、ひと昔前は
アフリカ人の学生のために別の寮があるほど、
たくさんの生徒がアフリカ大陸から勉強しに来ていたんだって。

ちょっと前にゲストで話をしに来ていた人なんかは
そのころに勉強していたんでしょう。

今ではケニアからの4人だけ。

自国での大学システムが発展したからなんですかね。
ものすごく数は減った。

とはいえ、同じ留学生として
苦労を分かち合っているような貴重な仲間
と私は認識しています。

で、前置きが長くなりましたが、
今日その4人の中のふたり、
お兄ちゃんRと妹Jが住んでいるおうちに
おじゃましてきました。

Rはもう、大学中の人と友だちなんじゃないかと思うくらい
気さく(うざいくらい)な人で、
私がここに来てすぐに声をかけられ、
そのときから(たぶん会って初日から)
ぜひ家に遊びに来いと言われていました。

けれど、Ambathurai(歩いても30分くらい)に住んでいると言われても
なかなか足が運ばず、
そうこうしているうちに
二人が博士論文のデータ集めで帰ってしまうことが判明。

「いつか遊びに行く」が
かなわないままでは申し訳ないので
テスト中にもかかわらず気分転換と称して遊びに行くことに。


ついてみたらホントーに
Ambathuraiの村で家を借りて住んでいて、
裏にはニワトリとウシを飼っていて、
近所の人はみんなRを知っていて、
なんか…
なじみすぎだろ!

と思うけれど、それがRのいいところなのです。


妹J、一緒に行ったマニプリお姉ちゃんと私(元気だぜ)

Rは(今日はじめて聞いたけど)
タミルナドゥとケニアのマネジメント教育について
というテーマで論文を書いているそうです。

妹Jのテーマは詳しく聞いてませんが、
女性とかマイノリティとかに詳しい教授のもとで研究をしているので
そういったテーマなんでしょう。

ちなみにJ、お客様が来るにも関わらずインドの寝巻きNightyで
やっぱなじんでやがる、という感じ笑


Rと私

兄妹親戚がたくさんMaduraiにいるそうで、
あんまりさみしくないとは思うけれど、
帰国も久しぶりだろうから
ちょっとウキウキしているように感じられました。

家に遊びに来い!

が達成したかと思ったら
今度は

ケニアに来い!
連れてってやる!
家族に伝えとけ!

だってさ笑

私アフリカはおろかヨーロッパにも行ったことないのですが
(西はムンバイが限度)
開発を勉強している人間として
アフリカにもいっぺんは行ってみなければ
と思ってはいたけれど。

2人が博士を終えて帰るのであれば
ケニアに、行ってみちゃう?と
ちょっと考えています。

(その前にヨーロッパにも惹かれるけどね…)


あー、で、これ、料理の話。

なんかそのへんの露天で売ってそうな
ドーナツのようですが、
●●という料理です。

ハイ、名前忘れました。笑

たぶんこれ(Mandazi)

小麦粉に水とオイルを入れてこねて、
平たくのばす。

ここまではチャパティのようなのだけど、
これを油に投入。

で、この感じだと
タミルナドゥでよく食べられるPuriになりそうですが
ふくらまず、分厚いまま揚がります。

これに今日はチキンのスープ状のものをかけていただきました
(私には玉ねぎ、トマトとあわせたスクランブルエッグ)

揚げ物か。チッと思ったけど
恐れていたほど油っこくなく、
ちょっと甘みがあって、
スクランブルエッグともよく合っておいしかったです。


さて、勉強勉強。





2013年4月11日木曜日

Extension Education, Education Extension 届いた~

こんばんワニ。


ありがとうございます

まだまだ誕生日が終わった気がしません。お気遣いありがとうございます。


うぅむ

EMSって普通インドでは都市部にしか送れなくて、このへんはMaduraiのみサービス圏内だったはずなのに何度か受け取ったことがあります。

推測ですが、多少大きい郵便局に行くと、EMSに慣れている職員の人が、まさかサービス圏外宛てに荷物を送る人がいるとは考えず、忙しいのもあって調べずに受け取ってしまうのではないでしょうか。

と言うのも、私の実家の近くの小さな郵便局はおそらくEMSを送ることが稀なためか、EMSをお願いすると資料をひっぱりだしてきていろいろ調べるんですよ。で、サービス圏外ですねと言われる。

とか言うと郵便局の人に怒られそうですが、ちゃんと調べてないのは確かだし、それでも送れてしまうのだから(インドの郵便局がこれで文句言ってきたことはない)じゃぁいいじゃんって気もする。早いし、安いしね。

こちらは日本のダブルYさんたちからでした。真っ赤なバッグ、ありがとう。使ってます!


ぼこぼこ

去年チョコレートスープを送ってくれたMちゃんもめげずにまた荷物を送ってくれました。

箱がまたかなり冒険をした感があり、中身が見えています笑

ふったらカサカサ音がしたので今度は何が壊れているんだろうと思う。


かわいい

日本の郵便局にもこんなにかわいい箱があったらいいのにね。


Happy?


KinderのHappy Hippoはあんまりハッピーそうじゃない感じでした。

でもたいやきとか「ひよこ」とか食べるときにも罪悪感を感じてしまう私なので、カバさんの形がなくなってカバスープになっている方がありがたくもあります。

ちなみにKinderはインドでもKinder Surpriseなど購入可能です。買ったことないけど、同じようなセンスのないおもちゃ(子どもながらにセンスのなさにビックリしたなぁ、昔)が入ってるのでしょうか。あとbuenoも売ってるかな。

この他にせっけん、インスタントスープやら紅茶?やらいろいろ送ってもらったのですが何しろドイツ語表記なのでやっつけるのに時間がかかりそうです。ダンケー。


さて。


このブログで書いたか覚えてないのですが、私学生ヴィサ期限切れ前に日本に帰ることができそうにないんです

もともと、ふたつ目の専攻12月に論文のデータ集めをやる、うちの学科だけインターンシップを期末テスト(ESE)のあとにやるというとても厄介な最終学期のスケジュールのせいで、MBAの生徒、特にうちの学科は他の人が卒業しちゃったあとにまだやることがあるんじゃないだろうかと言っていたんですよね。

で、この超重要な最終学期に入ってあーだのこーだので大学が3週間くらい?閉鎖になったため、授業がすすまない、定期テスト(CFA)ができない、期末テストが遅れる、インターンシップも遅れる、という結果になってしまったんです。

2年で終わると思ってたので学生ヴィサも2年分しかとってなかったのに、しかも出発直前にとったから無駄はなかったはずなのに(インドのヴィサって発行から○○年、なので学生ヴィサでも学期はじまりからというわけではないんですよね。だから早めにとると帰国も早まっちゃう)、6月13日の期限までにはとても出国できそうにない、ということがわかりました。

まぁ何が言いたいかというと、学生ヴィサの延長手続きをはじめましたよ、ということなんですー。

こういう手続きの類ってインドではなかなかすすまないし、賄賂をせびられるだろうし、できれば避けたかったんだけど、不法滞在するわけにいかないからね。

6月13日のヴィサ期限と一緒に切れるのがここ(大学)に滞在する許可証です。これはこのへんで書いたようにDindigulFROで作ってもらったもので、延長する場合はこれが切れる2ヶ月前に申請してくださいと書いてあるわけ。つまり4月13日、今週の土曜日です。

この申請を早く始めたかったのに、いつ期末テストがあってインターンシップがあるかわからなかったし、わからないまま延長申請はできないだろうと思ったので、こんなギリギリになってしまったんですね。最近になってようやく期末テストは5月はじめだろうと言われたので、じゃぁ、ということであちこち連絡をして、書類をそろえました。

インドの移民局のサイトによると、学生ヴィサの延長には

1) Visa Extension form .(延長申請書)
2) 1 Recent passport size photographs.
3) Bonafide certificate from College/University/Institute (In original).(学籍証明書)
4) Copy of passport/VISA/Registration Certificate.(パスポート、ヴィサ、滞在許可のコピー)
5) Copy of valid and notarised Lease/Rent agreement OR Copy of C-Form from the Hotel OR copy of recent electricity/telephone bill along with the letter from the landlord, towards proof of residence.(滞在先の家主との契約書や電気・電話の請求書など、住所証明になるもの)
6) Passport and Registration Certificate in original.

が必要とのことでしたが、DindigulのFROに電話したら

1) Extension FormはFROにあるので申請時記入
2) Financial guarantor/ee certificate(延長分の滞在費を払えるという証明書。私の場合はICCRに奨学金もらっていますというレターを作ってもらいました。)
3) パスポートとヴィサのコピー

持ってきてねと言われました。念のためいろんな書類を全部コピって持参。

期限切れホントギリギリに行って何かトラブルがあるといけないので、今日(10日)授業を休んで朝行ってきました。11時に来てくださいと電話口で言われたから。

DindigulのCollector's Officeに行くのもひさしぶり。てくてく歩いて奥のFROへ。

2年前のことはうろおぼえですが、あいかわらずほったて小屋のようなところで作業をしているFRO職員。。。

そしてあいかわらず同じ書類(申請書)を何度も手書き。今日は4通同じものを書く。コピーじゃだめなんだろうか。

そして書き終わると職員が消えている。。。

15分くらい待って職員が帰ってくる。書類を渡してみてもらう。

3ヶ月でいいの?

え笑

3ヶ月で十分、だと思うけど。別にもうひとつ学位をとるわけではなくて、閉鎖のために仕方ないことなんですと説明。なんか納得がいかないような表情の職員。

「書類持ってちょっと待ってて」

と、また待たされる。

他にも来ている人が何人もいたので職員はそっちを対応。その間、「延長の費用はいくらだっけな~。。。日本はー…」とブツブツ言っている。

なんだかんだで1時間くらい待った気がするんだけど、

今担当の人が急な会議で。電話するから

と、言われる…。やっぱ、今日中には終わらないか。。。

午後は授業に出たかったので「じゃぁ電話してください。そしたらまた来ます」と書類を全部渡して帰る。費用もしくは賄賂のことは何も言われなかったけどよかったんだろうか。

ちゃんと申請受理されますように。。。


あーちなみに、上記理由で期末テストまでがんがん授業とばしていきます!てな感じだと思ってたのにまたメガ週末です。明日はテルグ新年で、あさってはこの間(閉鎖中)土曜日に職員だけ勤務したので振り替え休日、それに土日の4日間。論文ラストスパートってとこでしょうか。

論文提出は来週の金曜日です。


それと、タイトルについて。


うちの学科はDepartment of Extension Education(農村教育学科と言ったらいいのでしょうか)というのですが、今回は私のEducationExtension(延長)ってことですね~。



2013年3月7日木曜日

Biz Quiz '13 やればできるじゃん

こんばんワニ。


Kolam

今朝早起きしてKolamを描くお手伝いをしてきました。

よく考えたらKolam描きは初めてでした。

粉がうまくパラパラできず、線からはみ出してメーワクかけた。。。汗

これを描くときには履物はNGだそうです。

足の裏真っ黒になっちゃった。


Biz Quiz 13

なんで朝6時からKolamなんか描いていたかというと、
今日MBA Programmeの主催でManagement Meetというイベントが行われたんです。

私はもともと自分がビジネスの学生だとはあんまり思っていないので
他の大学で行われるマネジメント系のイベントや会議等には
ふだん出ようとも思わないので
Management Meetっちゃなんね?
って感じだったんですが、
そんなビジネス学生が集まって
クイズなどビジネスの知識やスキルで競い合う
というものらしいです。


受付

右が私の学年、左がいっこ下。

なんでマネジメント勉強する人のユニフォームがサリーなんだと
以前にぶつくさ書いてますが
いっこ下はオンナノコもスーツを購入(させられた)。
5,000ルピーだって。大変な支出です。

ダークブルーのスーツにピンクのシャツなんてダサいけど(丈の長さも変)
サリーよりはマシ、と思っていました。

でも靴を見てください。
なにこの靴…オンナノコはヒールじゃダメですか?


証明書書き

私は参加証明書兼賞状に名前を書くという係でした。

もともとうちの大学の証明書はダサいと思っていたので
この係になってデザインをするつもりだったのに
フタをあけてみればデザインなんてもともとするつもりはなくて
あるものから選ぶってことだったらしくて
じゃぁ意味ないじゃんみたいな。

つかね。

「生徒主体でやってね」と
MBA Coordinatorの刺客(名前が「物乞い」という言葉と同じらしい)
がふっかけてきたこのイベント。

主体でやってねと押しつけているあたりでもう変でしょ、みたいな感じでしょ。

で、総括のリーダーを決めて話し合いがはじまったら全てタミル語。
なんなんだよ。それでもMBAかよ。

と、思ったけどデザインがやりたかったので
他の子を誘って証明書の係になったのに
係のリーダーから何も指示がなく、他の子も参加するだけでいいよと言ってたので
「あぁ、係になれなかったのかも」と思っていたのに
数日前MBAのオフィスの近くの張り紙を見たら
私の名前が係のところにバッチリ記載されている(いつもと同じミススペルで)。

なんだよ結局係なのかよ。。。


右から刺客、Kannanの社長(ゲスト?)、VC、Coordinator、どっかの学科長

でも私の英語を解さない総括リーダーと時間をムダにするのはいやだったので
何か自分から率先してやろうとか思わず
いわゆる「何もしない生徒」になりさがった私。

ちょっと自己嫌悪。

でも、ホント、タミル語わかんない人がいるのに
タミル語だけでコミュニケーションとろうとする人がいるってのが
本当にイヤなんです。


ゲームのひとつ。トピックについてベラベラ話しつつ歩き回る(イミフメイ)

そんなこんなで迎えた開催前日。

学科の教授が電話をかけてきて
「宿題のマイクロファイナンスの会社訪問の件
担当とアポがとれたから明日午後行きなさい」
と言われる。

「あのー…明日はManagement Meetがあるんですけど」

君、役割あるの?

何その言い方。

「賞状書きは午後なんで」

「どうにかしなさい」

どうにかするって、どうするのよ!!!


わいわい

そして当日。

参加者のリストがあがってこないと証明書の名書きもできないので
会場に座っていると
(つってもアサイチでKolam手伝ったあとですよ)
上記刺客がやってきて

役割ないの?

なんだよその言い方!

「証明書書きはまだ始まらないので」

「あぁ、何も仕事を与えられてないのかと思った」

与えられる?ふざけんな。

周りが全部タミル語で回ってて、自分から何かしようということもできない。

だから座ってジャマしないようにしてるだけなのに
何なんだよ。

でもやっぱり、
タミル語ができない自分、自己嫌悪。


うちの大学のパフォーマーたち

と、いうことで朝はショゲていましたが

結局今日マイクロファイナンスの会社に行かなくていいことになり
仲良しメンバーでつるんで名前書いてたら
あぁ、こんな時間も悪くないかもと思えるようになって。

写真のパフォーマンス部門(各大学の出し物みたいな)になったら
Onamのときみたいに、あぁ、楽しいなって感じました。

これだけのイベントを運営できるんなら
いつもは「やる気がない」と言われ続ける彼らだけど
やればできるじゃん。




ボロボロパフォーマンスだったけれど。


参加者たち

こんな田舎に誰がくるんだよと思ったけど
12のカレッジから参加があり
会場もいっぱいになりました。


優勝カレッジの発表を待つ

4つのゲームと最後のパフォーマンス
計5つで各カレッジの得点を合計して、
優勝カレッジを決定しました。



Fatima College

優勝は、MaduraiFatima College
女子大です!

けっこうオトコノコの比率が参加者には多かったけど
なんと優勝がオンナノコチームとはね。

インドのマネジメントはオンナノコにかかってるのかも<3

ということでトロフィーが授与されました。

が、これ来年返還!

今年から毎年やるつもりらしい。

タミル語が第一言語ではない生徒が多いいっこ下。

来年はどうぞ英語で運営してちょうだいね。。。






2013年3月4日月曜日

Double Standard お父さんの涙

こんばんワニ。


Ootyにて

ある村にやってきた新任の先生。

村の先生たち専用の宿舎に住み込みで働くようになった。

その村で育った男性とその先生は恋に落ちる。

小さな村で二人のことはすぐに噂になったかもしれない。

この村では事件に値するようなことが起こる。

なんと先生は子どもをもうけていた。

彼女は身分の高い家の出身、彼にはそのころあまり収入もなかった。

彼には高嶺の花だったのだが、二人は愛し合っていた。

そのうち、先生の任期が終わったのか、それとも家族の圧力なのか、先生は実家に戻ることになった。

しかし彼女を忘れられない男性は彼女の村まで会いに行った。

もちろん、彼女の父は男性に彼女を会わせようとしない。

そしてある日、二人は駆け落ちした。

彼女が村の近くの川で水浴びをしようと出かけたとき、彼はやってきて彼女と逃げた。

そのまま二人はお寺に行き、祭司に結婚をとりおこなってもらった。

これは、携帯電話なんかない、手紙でのやりとりだけのころの話である。一体どうやってこの計画を立てたんだろうか。

そうして彼女は村に戻ってきた。

そのうち、彼女の父がやってきた。

今度は夫となった彼が、彼女には会わせないと言う番だった。

悲しみにくれた父は、せめて他の家族には会わせてやってくれと彼女の姉やその夫をよこした。

次第に彼も心を開き、彼女の家族を家に入れるようになった。

そうして少しずつ、彼と彼女、彼女の家族は和解していった。



20数年後。

この彼が、娘が身分の違う男性と結婚するのは許せないと言う。

この彼が、娘があまり収入のない男性と結婚するのは許せないと言う。

彼女は言った。

「あのときあなたは今のようにお金をたくさん持っていたわけじゃない。

でも私はあなたと結婚したのよ。」

でも彼は話を聞こうとしない。



● ● ● ● ●


おわかりかと思いますが、Veelinayakenpatti駆け落ち友人Sの家のその後の話です。

このお父さんとお母さんの話は20数年前ではかな~りスキャンダルなことだったんです。

でも駆け落ちどうのこうのというのはそのころでもたくさんあったことらしくって、今日Veelinayakenpattiに行った際に友人Cからいろいろと話を聞きました。

寮のルームメイトは同じ村出身のオトコノコと仲がよく、オープンキャンパスの日には彼がお菓子や花を持って彼女に会いに来ていた。ある日そんなオープンキャンパスの日に彼女の両親が訪問。同じ村出身の彼を見つけて「何してるんだ」と聞かれる。とっさに彼は「妹がここで勉強を…」と言ったけれど苦しまぎれのウソ。その後彼女の父は彼女にお見合いをさせようとする。それがいやだった彼女はある日、ガラスのバングルを割って飲み込み自殺を図ろうとした。寮長は即彼女を家に帰す。

別のルームメイトはそのころ男子オンリーだったカレッジのオトコノコと恋に落ちていた。ある日彼が交通事故にあい、彼女はどうしても彼のところに行って無事を確かめたかった。だが寮長は外出許可を出さない。とうとう彼女は門番にワイロを払って大学を抜け出す。帰ってきたら門番のシフトが変わっていて、事情を知らない門番は彼女を入れようとしない。寮長が呼ばれ、彼女も家に帰されることに。

などなど。20-30年前でもこんなことは当たり前にあった。村でも都市でも。

だから私の友人のことだって別に驚くことじゃない、というのが私のクラスメイトの反応だったのかなと今になって思うのだけど。


今日村についたときに、Sのうちを素通りしてCの家に来てしまったのだけど、CのうちについたらSの妹とお母さんが来ていました。

何かマジメに話していたようで、私の方をみて力なくニコっと笑い、また話を続ける。いつもは大歓迎でおおはしゃぎをしてくれるのだけど、こんなときだから仕方ないな、とちょっとさみしくは思っていたら、二人ともさめざめと泣き出す。

わけもきけずに話を黙って聞く。やっぱりSのことを話しているようでした。

数日前に、Sは見つかったの?無事なの?とCに聞いたときに「Sは無事よ。今は旦那さんの家にいるの。」と聞いていたので、あぁよかったと思っていました。

それに、妹の方も、以前に書きましたが、ボーイフレンドというか結婚したいのが親戚のオトコノコなので、まぁ問題はないよなと思っていたのに。

どうやら、お父さんは妹の結婚にも反対しているのだそうです。

その親戚のオトコノコは、お母さん方の親戚。つまりブラーミン(祭司カースト、もしくは最高カースト)。お姉ちゃんの方でモメていた、カーストに関しては問題ないじゃないと思っていたのに。

今度はお父さんは、彼のうちにはお金がないと言っているのだそうです。

この親戚のオトコノコは銀行で仕事をしているのですが、パーマネントではなくて契約か何かだそうで、お寺で祭司の仕事もしています。お父さんも同じように祭司として働き、お母さんも図書館で働いている。それだけがんばっていても、Maduraiのような都市部では家を購入することはできず、賃貸に住んでいる。

というのがお父さんの気がかりなことなのだそうです…。

確かに、「あの家ではお金があまりにもないので、お客さんが来たときにティーショップでティーを買うときはツケでお願いするしかなくて、その日の夕方誰か家族がお金を持って帰ってきたら払っている」なんて聞くと、本当にお金がないんだなぁとは思うけれど。

妹ちゃんもChennaiの大学院を出ているから、今はNilakottaiのNGOで働いているけどMaduraiの彼のうちに住んで、何かMadurai内で仕事を見つけることは可能なはず。

と思う反面、お父さんはきっと結婚したころお金がなくて、Nilakottaiの花市場でビジネスをしたりして、今はようやく自分の貸し物件を持てるようになったくらいだし、自分が苦労した分娘たちにはいい生活をさせてあげたいと考える、そういうのもよくわかる。

All You Need is Love! なんて数年前なら言えたかもしれないけれど、30を前に、私も将来のことを現実的に考えなくてはいけないと思うから。

けれど、お父さんも、妹も、親戚の彼も、みんな譲歩しなくてはいけないと思うわけ。例えば、彼も彼女もきちんと仕事をみつけて、将来のことがもう少ししっかり見えるようになってから結婚を許してくださいとお父さんに言うのであれば、お父さんも許してあげればいいじゃないと。

それなのに今はお父さんはお金のことばかり話しているとみんな言うんです。お金のある人とだけ結婚をさせたいのだと。それは違うんじゃないかなぁ。

それで…。

今日、お母さんと妹がさらさら泣いたあとに、Maduraiに行きました。オトコノコの家に行って、お父さんが結婚式に来ないと言っているけどそれは問題がないか、と相談に行ったのだそう。「でもすぐに結婚するってわけじゃないでしょう」とCに聞くと、数週間以内におそらく結婚の準備はできるだろうとのこと。えぇ。

何でも、お父さんが気にふれたようになっていて、早くオトコノコと結婚しないと何をするかわからないとみんな思っているらしいのです。昨日Cに「(妹ちゃんの)髪を少し切って、ショールと一緒に持ってきて」と言ったらしくて。なにやら儀式をして妹の考えを変えようという、黒魔術みたいなことをしようとしているんだそう。。。

どうしちゃったのよお父さん。

と思っていたら、お父さん方の親戚がCの家にやってきて、「お父さんがCを呼んでる」と言いました。昨日も今日もCのうちで、妹も含めてみんなで話し合ったけど結論は出ていない。だから話し合っても仕方ないし、自分の立場としてもどちらかの肩だけ持てないしとCがまごついていたら、「お父さんが歩いてくる」と親戚が言いました。

私も、今、どんな顔をしてお父さんに会っていいかわからないし、妹やCの話だけ聞いて一方的に「お父さんったら…」と思っていたし、毎日お父さんは泣いていること、糖尿もちの体調がずっとすぐれないことを聞いていたから、正直お父さんに会いたくなかった。

でもCの玄関先に来たお父さんを見たら、胸がいっぱいになってしまって。

お父さんは、家のことは自分が決める!というようなタイプの人で、いつもびしっとシャツを着こなし、ひどく具合が悪くても朝はきちんと毎日出勤という人です。3ヶ月一緒にいたから、お父さんがとても厳しい人だというのはわかっているし、朝の水浴び、ヒゲそりから夜のティーまで、お父さんの日課もよく知ってる。

そんなお父さんが、ぼさぼさの髪で、よろよろとやってきて、鼻水と涙をすすりながら、こうなんだあぁなんだと話をするのを見ていたら、お父さんどうしちゃったのよ…と思うしかなかったです。

何を言っているのかわからなかったけど、Cの反応を見ていたら、お父さんの話が支離滅裂なことはわかったし、Cも何を言っていいかわからないようでした。あとで聞いたら、お父さんは同じことを何度も繰り返して言っていたそうです。

本当は勇気を出して、「お父さん、自分のことを考えてみてよ。お金がなくってカーストが違っても、お母さんと結婚したじゃない。今はお金がなくても、二人は何とかやっていけると思うよ」と伝えてもらいたかったけど、そんなことを言ってもお父さんは聞く耳を持たないだろうなとわかりました。

お父さんに必要なのは泣くことじゃなくて、とりあえず健康第一にゆっくり休んで、これからのことは少し待ってから考えればいいじゃないと思うのだけど、そんなことも言えませんでした。

お父さんが全然食べていないんだろうなというのは明らかで、Cがいろいろと食事をすすめたけれど「吐いちゃうんだ」と全て断っていました。

そして話の途中で何度も何度もお父さんは泣いていました。お父さんが泣くのを見たのは、私がインターンから帰るとき以来だった気がする。あの時こっそりキッチンで泣いているお父さんを見つけて「お父さん…」と思いました。でも今日、あのときとは全く違う気持ちで「お父さん…」と思いました。

そのうちお父さんはまたよろよろと家に戻っていきました。

この家族がどうしたらいいかわからないし、私がどう言ってあげたらいいか全然わからないです。自分はこう思う、というのはあるけど(お父さんDouble Standardじゃない?Hypocrite!)、それを言ってお父さんやお母さん、お姉ちゃんや妹、あとお兄ちゃん(はお父さんの考え方に賛成している)と仲が悪くなってしまうのもいやなのです。

ちなみに。

お姉ちゃんの方は旦那さんの家で大事にしてもらっているそうです。お父さんは旦那さんがコロニー(Scheduled Caste、不可触民の人たちが住んでいる、村の特別地域)でほったて小屋のようなところに住んでいると思っていて、お姉ちゃんがかわいそうだとなげいていますが、彼の家はきちんとコンクリで作っているようなおうちで、豪勢でないにしても、つつましく通常の暮らしをするのに不便はないとお姉ちゃんはCに伝えたそうです。ブラーミンダイエット(Pure vegetarian)で育ったお姉ちゃんのために、旦那さんの家族も肉魚を絶っているそうですよ。

お姉ちゃんと連絡がとれるらしいことはわかったので、いっぺん会いに行くつもりです。



● ● ● ● ●



なんかいろいろ劇的な話をたくさん聞いたのだけど今日も要領オーバーです(ウェブログがじゃなくて私の脳みその話ね。。。)

朝からお腹いっぱい食べさせてもらい、私のお腹も要領オーバーさ。




2013年2月24日日曜日

集合した Nellai Halwa

こんばんワニ。


昨夜、TirunelveliのConferenceから帰ってきました。22時ころに帰れると思ったのに、電車がDindigulについたのが22時50分、夜ご飯を買って寮に戻ったのは0時すぎでした。疲れたー。


出発からトラブルがあったといえばあったよね…。水曜日、出発時間が夕方から昼すぎに変わったのが全員に伝わってなかったらしくて。今私たちはたいてい平日の午前中しか授業がないので、授業のあとに荷物をとりに行こうと考えてた自宅から通ってる子の中には、朝あわてて荷物をとりに帰るって人もいたみたいだし。当日になって行かないとか言い出す子もいたりとか(結局来たけど)。電車が来るギリッギリの時間まで来ない子もいたねぇ。まぁこの子はキャンパス外に行くとき(VPPとか)には必ず遅れてくるからいつものことなんだけど。。。でもたまたま電車が遅れたから乗れたけど、そうじゃなかったら取り残されてたよ。乗ったのは事前予約ナシ、席指定ナシの、いわゆるPassenger trainというものです。全員座れたけどね。

まぁなんとかTirunelveliに到着したら、迎えに来ていたのは企画団体SCADが運営する高校のバス。。。大学院生が高校のバスに乗り込んでいるとさすがに恥ずかしいものがあります。それで、駅から近いのかと思ったら1時間半ガタコト揺られ続ける。遠い。。。

到着したのはSCAD College of Engineerig and Technology。おぉ、会場のカレッジキャンパス内に泊まれるのか~と思ったら、実はこれは会場(SCAD Francis Xavier Engineering College)とは別のカレッジだったんですねぇ。いくつエンジニアカレッジ運営してるんだって感じ。


宿泊先から会場まで25キロ。。。会場は駅に近い怒


泊まったのは寮ではなくておそらくゲストハウスのようなところなのだけど、普段使わないせいか水をくみあげてなかったらしく、夜おそーくまでおトイレも使えず。窓に網戸がはってあるのにデッカい蚊がぷ~んと飛んでるし。

ご飯は寮生が食べるところ(いわゆるmess foodですな)で食べたのですが、ここの生徒があまりいない時間に…と言って夜ご飯はめっちゃ遅く、朝ごはんはめっちゃ早く食べました。男の子の食堂だったようで、クラスメイトのオンナノコたちはじろじろ見られて落ち着かなかったみたい。そうそう、ここはGandhian思想にのっとったどうのこうのなんてのはもちろんないわけで、寮のご飯といえどNon-vegアイテムがメニューにありました。夜ご飯には魚のフライとゆで卵がついていたようです。育ち盛りの男の子には必要かもね。。。(うちの大学のオトコノコたちはどうなんだって感じだけど)私はVegだけいただきました。アイスクリームもついてきて、うれしかったけど。


Conferenceの入り口

で、肝心のConferenceは…なんかイマイチだったかな。

2015年までに達成しようというミレニアム開発目標(Millennium Development Goals: MDGs)ってありますよね。その中のひとつに環境の持続可能性確保(Ensuring environmental sustainability)というのがあるのですが、それと並行して持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals: SDGs)というのが去年の国際会議Rio+20で提唱されました。

そのMDGsとSDGsを例の"Convergence"の枠組みでどうやってやるか、という話がこのConferenceのメインだったようですが、SDGsにしても、このConferenceにしても、2015年を間近にして今さら…と思ってしまいます。もちろん大事なことなのですが(こういった話をするのに遅いということは決してないとは思うけれど)、今この時期にインドでこのConferenceをやる意義がイマイチ伝わってこなかった。

インドの学生にもわかりやすくするためか、イギリスからのお客様がものすごくシンプルに物事を説明している気がして、研究者とかにはイマイチな内容だったのではないだろうかとも思います。

んで。このConferenceの開会式。


? ? ?

うちのVC(Vice Chancellor)が主賓だったんですよ。

いつもVCがうちの大学でしゃべるときはタミル語なので、英語話せるのかと思ってたけど、流暢な英語だった。当たり前か。

でも話の内容がさっぱりわからんのですよ。言ってることはわかるけど、それと会議の内容とどうからんでくるのかわからなかった。気候変動等でRajasthanなど砂漠化がすすみ、このままでは首都デリーも砂漠化の危機にさらされるらしいですよ。あと、これも環境の変化のせいで、タミルナドゥのあちこちの川の流れが変わっているという話を延々としていました。海外から来てる人(私も含め)にはどこそこの川と言われても地理感ないのでわからないですよ。あとでマニプーリ妹にそれ(川関係…)がVCの専門分野だったことを聞いたので、なんでそんなに川トークをしたかったのかはわかったけど、結局何が言いたいの?というのがわからなかった。

それと、配られた資料を見てたらVCの肩書きが「Professor」で「Dr」ではなかった。博士号持ってないのかな。

写真で一番左端に座っているのが現在の学科長です。学科長が来るのはきいてなかったので朝ビックリした。一生懸命に聞いてるように見えるけど、たぶん彼も「???」と思っていたはず。


そのあと、メインConferenceの最初のセッションで話したのがうちの大学のGandhian思想の教授だったんだけど、授業のときと同じように支離滅裂なスピーチで、VCに続きうちの大学の代表がこの人じゃ、大学のイメージが損なわれるのでは…と本気で思いました。

SCADの代表がうちで博士号とった人だから大学の人を呼ばざるを得なかった、と思ってあげたい。

まぁ、そのあと、私が興味あるrain water harvesting(雨水をためて家庭や学校、企業で使えるようにする仕組み)をわかりやすく説明してくれた人の話なんかはおもしろかったんだけど、他には特筆するようなことはないので割愛します。2日間丸々いたのになぁ。


がんばれ子どもたち

1日目のプログラムの終わりに文化プログラムがありました。SCADの運営する学校の子どもたち。

そういえば会議中、高校生くらいのオトコノコで立派に意見を述べている子がいたなぁ。いっつもシャイなGandhigramのオトコノコばかり見ているのでこういう子を見るとホントにびっくりする。(インド人はUNとか国際会議の場で黙らないとジョークで言うけれど、インドの人がみんなそうというわけではないですよ。)


木の人。

たぶんこのダンスにはストーリーがあったんだと思う。前でガサガサやってる木?が切られたり、川が汚染されたり、アルコールを飲んだりというような「よくないこと」がいくつもダンスの中に織り込まれていました。にしても、木のオンナノコには心から拍手を送りたいよ。


会場にて。髪のびたべ。

1日目が終わったあと、勝手に写真撮影。


仲良し

1年半ずっとつるんできたメンバー。今Kだけ選択科目が別なので、さみしい。

この写真を撮ったあと、夜ご飯はこの会場で食べました(ランチもここだったけど)。ケータリングがとてもよかった。うちの大学でもイベントとかによくケータリングが来るけど、あんまりおいしいなって思ったことないんだよね。Dindigulはビリヤニが有名なのでしょっちゅう出るけど、おいしくない。この日はNellai(Tirunelveliの通称)の特別料理らしいものが出ました。私の大好きなIdiyapam(ビーフンみたいな麺がIdlyのような形になっているもので、ココナッツミルクなどと一緒に食べます)に白いスープ状のソース?がかかっているもの。ニンジンが入って、なんかクリームシチューのようなのだけど、これは味気なかった。


宿泊先に戻ってKと話す。仲良しの3人はみーんなelope(駆け落ち)するかもとのこと。そうですか。。。話を聞いてみると、3人ともどうやらカーストが別の人とお付き合いをしているようです。Sの場合は実はクラスメイトのオトコノコと仲良くやっているのですが、彼とはやっぱりカーストが違うのでムリだと思っているらしい。友人のこともあるので私はフクザツな気持ちでした。

Kは私が来たばかりのときに「私のこと忘れちゃう?」と聞いてきた例の子ですが、最近よく「数ヵ月後」「卒業後」のことを話しているとこの「忘れちゃう?」が深い意味合いを持ってきたなと思います。Kと一緒にやらかしたたっくさんのことは一生忘れないけれど、疎遠になってしまう気がして、それはいやだなぁと心から思うのです。


Santhi Sweets

2日目の閉会式の前、ティータイムに「音を立てないように」との付き添い教授(写真左端に移りこんでいるイカつい人)の指令を受け、会場を抜け出し駅へ向かいました。

その途中で、出発時から「買いたい食べたいオネガイシマス」と言い続けていたTirunelveli Halwaのお店へ!

ここで書いているように先週も私はTirunelveliに来てたんですけど、その3日後、日曜日のThe HinduSunday Magazineという別紙で驚愕の事実が発覚。このMagazineでは毎週"Food Safari: In Search of..."という記事で、各地の有名な食べものや作り方を紹介しています。で、この間の日曜日の記事で紹介されていたのがNellaiのHalwaだったんです。

Halwaというのはもともと「甘いもの」という意味があるらしくて、いろんな国で食べられていて味も見た目も全然違うものだったりするのね。有名なのはトルコのいわゆるTurkish Delightsとかね。NellaiのHalwaは小麦を水につけて発酵させたものに砂糖とギー(バター)をたっっっっぷり入れて(小麦1に対し砂糖4、ギー3)作るもので、鍋でぐつぐつ煮てどろっとしたジェリー状になるまでかき回し続けるとできるそうです。オレンジのペーストのようなHalwaは超!甘い!です。

はじめて食べたのはMadurai Junctionの向かいのお菓子やさんで、葉っぱにのせられたHalwaは甘すぎてとても食べ切れないと思って、あんまりいいイメージがなかったのだけど。この記事読んでたら、そんな有名なものを食べなかったくやしさと、おいしそうな表現に誘惑されましたね。えーーーーー!知らなかった!行ったばっかなのに!悔しい!ということで、今週行ったら絶対買って帰ってこようと心に誓ったわけですよ。だって、Nellaiに行ったら必ず買って帰らなきゃいけない、というようなものらしいので。

Kいわく、Nellaiに行く人はおみやげに必ずHalwaを買ってくるそうです。おもしろいのが、Halwaにくっついているイメージ。式を挙げて数日の新婚さんは、ダンナがHalwaを奥さんにあげてあま~い関係を作り上げるのだとか。また、浮気をしている男の人は奥さんが怪しまないようにわざとやさしくして、Halwaを買って家に帰るみたいです。ともかく、女性が喜ぶHalwaは男性の武器になるってことですかね。今夜は甘い夜を過ごしたいという男性は、Halwaとジャスミンの花をセットで買っていくようだし。男性諸君、参考に!というわけで、Nellaiに行くと言うと「Halwaをおみやげに買ってきて」と言われるのと同じくらい、「ジャスミンの花も買ってこようか!」というジョークが言われるようです。

さて、写真はNellaiで有名なHalwaやさんのひとつ、Santhi Sweetsです。Nellai出身だと言うと「Iruttukadai HalwaとSanthi Sweetsとどちらがおいしいの?」と自動的に聞かれるくらい、Nellai Halwa界大御所2件のうちのひとつ、みたいです。向かいにもHalwaやさんがあったけど、だーれも並んでない。でもここにはたくさんの人が並んでる。とは言えSanthi Sweetsは登録商標をしていないので似たような名前の場所がたくさんあり、私たちの行ったとこがホンモノか怪しいところですが。500グラム70ルピー、どっしりした袋をたくさんかかえて駅へ向かいました。

イカツイ教授も1キロ買いしてました。奥さんとうまくいってないんでしょうか。


Bye Nellai!

帰りも事前予約ナシPassenger train。始発駅だったにも関わらずものすっごい人の数。私たちが待ってた女性専用車両は20しか席がなくって、座るどころか立つスペースもなし!付き添いE教授に電話すると別車両に席を確保してるのでそちらに来いと言われる。だけどひとつのcompartment(通常8人用)に16人はムリだべ。。。だけどここはインド。無理無謀なことが起こらない日はない(そういえばHyderabadでのテロの件でやたらと領事館からSMSが届いていたので、多少電車に乗るのをひかえようとか考えるべきだったかな)。ひざに乗ったり、荷物専用の棚(寝台列車ならこのスペースもヒトの席になりますが、Passengerでは荷物専用)にも乗る!


荷物になったNとB

私もなんとか座れたけど、立ってるほうがマシかもと思うくらいぎゅうぎゅうだった。お尻も腰も痛くなるし。みんなと違って若くないんだからムチ打ってという感じ苦笑

けど、こんなのひとり旅ではゼッタイしないだろうし、勉強になったしいい経験になった。こういう電車ではところかまわず人が座りねっころがるということもわかった。みんなとこうして電車に乗るのも最後だろうし。←と思うとなんだかしょげる。

なんだかあまりいいイメージがなかったイカツイ教授E。私の修士論文担当とはいえ、クラスも受け持ってもらったことがないし、あまりいい噂を聞かないので、なんとなく距離を置いていた存在。彼もそれなりに学科の生徒と過ごす時間がないことを気にしていたようで、みんなが楽しく過ごせるようにジョークを飛ばし、イジられ生徒はとことんイジり(いいんだろうか、これ)、私にも多々声をかけてくれたので、かなり「ヤなヤツ」イメージは払拭された。

と思ったけど、フレンドリーの度を越えて「メガネで5歳老けて見える」とか言わないでいいですから!余計なお世話だ、こんちくしょー!それと、インターンシップで私をSCADに送り込もうとするのは本当に勘弁してほしい。。。


Nellai Halwa


まぁ、なんとか、寮に帰ってきましたよ。0時過ぎにご飯を食べ、sinfullyに甘いHalwaを食べていいものだろうかと思ったけど、待ち切れずに食べちゃいました。以前に食べたものより断然おいしかったぁ。ちなみにカシューナッツ入りです。


食べすぎ

こんなに甘~いものをおいしいと思うようになるっていうのは、やっぱり味覚が変わってしまったということなのかしらねぇ。

ヤバいヤバい!ダイエット…は明日から!




2013年1月16日水曜日

インドナプ事情(6) Pongal 2013 1年越しの訪問

こんばんワニ。


昨日2泊3日のOoty旅行から帰ってきました。

いろいろあったのでこれはまた明日書きます。

今日は友人の家に行った話。


今週は月~水が祝日でお休みです。

昨日月曜日がポンガル

今日火曜日がThiruvalluvarの日。

明日水曜日はUzhavar Thirunalと言うポンガルの2日目にあたるお祝いの日です。

Thiruvalluvarはタミル詩人としては超超有名な人で(タミルナドゥ内だけかもしれないけど)、軍事から家族のことまであらゆるテーマをカバーした傑作Thirukkuralを書いたと言われる人。南インドの先っぽKannyakumariにつっ立っているでっかい像はこの人です。

Thirukkuralは1330の2行連kural)からなる詩・韻文で人が何をすべきで何をすべきでないかと言った内容が書かれていて、私も英語に訳されたものをかじる程度に読みましたが、けっこうおもしろいです。一応日本語にも訳されているらしい。

んで、生きてた時期もあやふやなのになぜかこの日がThiruvalluvarの誕生日とされているらしい。なのでお休み。

明日水曜日はポンガル(バターでにつめた黒砂糖粥…と言うとまずそうですが、作り方は去年のポスト見てね)を牛さんたちにあげる、といったことをするようです。

と、牛さんたちを崇めておいたあとに、お金を角にくくりつけて若い男の子たちがそれを取ろうと奮闘するというJallikattuというタミルナドゥでは超ポピュラーなイベントも各地で行われます。個人的には闘牛と一緒で、殺さないにしてもかわいそうなことをするよなぁと思っています。ただ、相手はヒンドゥ教では「聖なる」生き物とされる牛さんなので誰でもこのイベントを開催できるわけではなくて政府の許可がいるみたいです。

と言うことで今日はポンガルってわけじゃないのですが、この週は「Pongal Holiday」と呼ばれていて、3日もお休みなんてポンガル様々です。


Ootyから帰ってきてちと疲れていましたが、去年のポンガルに時間がなくて行けなかったクラスメイトSの家に行きました。1年越しかよと言われそうですが苦笑

…と思ったら、日に数本しかないバスが唯一の公共交通手段だったSはOddanchatramという町の近くに11月に引越しをしたのだそうです。ということでおうちに行くのもかなり楽チンになったようでした。

Sと、おばさん

案の定ご飯をいっぱい食べさせてもらったあと弟君が帰宅。Sと妹さん弟君を見比べるけど、Sと二人は顔がちがーう。

「私はお父さんのXerox copyだから」

と言うS。確かにSはお父さん似、二人はお母さん似かな。

お母さんや妹さんの写真は撮らなかったんだけど、写真のおばさん(お父さんの妹かお姉さん)の方がSに似てる気がするもんね~

とか言う私も父似です。高校生のときの父は、私です


Sのお母さんですが。会ったとき「は?近所のお姉さん?」と思ったくらい若い。お母さんいくつ?とSに聞いたら「三十…いくつだろ」とハッキリはわからなかったようですが、お母さんが結婚したのは16才のときだったそうなのでSが22としてもおそらく(たいてい結婚するとすぐ子どもを出産するので)40前は確実。

わかーーーーーーーーーーい!

40になる前に大学院生の子どもがいるなんて…

私は日本語で知り合いのお母さんのことを「おばさん」と言うように、こちらで誰かのお母さんのことをAmma(お母さん)と呼んだりするのだけど、私はSとお母さんの間くらいに入るので、とても「お母さん」とは呼べず…。どちらかというとAkka(お姉さん)だもんね。。。

帰りがけにも

お姉さん、また来ます。あー、じゃなかった、お母さん苦笑」

と言ってしまいました。


もう昨日ポンガルは作って食べたそうですが、「今年は逃しちゃったなー」と言う私のために、ランチはまたポンガルをわざわざ作ってくれました。しかもお持ち帰りまで。

うぅん、ポンガルはやっぱ1年に1度でいいかな。。。タベスギタ~


うちのわんこの写真撮ってよ

なんか足が短くて「まさかダックスフンドとかの血が入ってるのか」と思わせたSのワンコ。

「写真一緒に撮って」とSに言われたのですが、


グゥ。

相当眠かったらしい。


違う会社


戻ってきましたナプ話シリーズ

今日OddanchatramでSが迎えに来てくれるのを待っている間にブラブラしていたら、Apolloの薬局を発見。

Apollo PharmacyはChennaiからインド各地に広まったApollo Hospitalsグループの会社のひとつ。Apolloの病院は日本から駐在に来ている人たちもよく行っているようなことをネットで読んだ気がする。私の行ったような病院ではなくて質のいいヘルスケアを提供する病院として有名です。Maduraiが最寄だと思いますが、まだお世話になったことはないです笑。でも薬局はけっこうあちこちに展開しているので行ったことあります。

これ、いわゆるプライベートブランドみたいな。よくスーパーとかが他の会社が作ってる製品と同じような品質で低価格のものを売るやつ、です。

色合いはWhisperだろみたいな、ね。


ではコピーチェックいってみましょうか。


お花の香りで生理中も気持ちよく過ごせます。

従来のナプキンより断然の薄さ。

SAPテクノロジーが経血をジェル化して何時間もガードします。

滑らかで絹のような表面層が心地よさとドライさをプラス。肌荒れを防ぎます。

追加された空気層が湿気を何時間もガードします。


う~ん、なんか、なんとなくあいまいな感じが。

何分の一の薄さになりましたー!とかじゃないしね。SAPっちゃなんね。


追加の情報:


清潔さと心地よさを保つために1日に3~4回はナプキンを替えることをお勧めします。


いや、日によるだろ


ちなみに、買ってから気がついたけど、ナプキンって消費期限があるのね~。製造から36ヶ月だって。

これ、去年の1月製造なんだけど。。。

1年間売れなかったんだと思うと、やっぱりプライベートブランドでは大手に太刀打ちできないということなのでしょうか。


で、さっき開けてみたんですけど。

細かい話になるんですが、ナプキンの個包装ってよく、開けるとことに小さなテープがついてますよね。

日本ではそんなことないかなって思うんですが、こっちのナプキンってこのテープを開けるときに包み本体(プラスチックのカバーって言うんでしょうか)を破っちゃうことがあるんですよね。それってつまりテープの粘着面側に包みの一部がくっついてしまうということなんです。

そうすると、使用済みナプキンを包んでポイするときに、このテープの粘着面が使えない→テープで閉じられないということになっちゃうんです。

もちろんきちんと包んで捨てればいいんだけどさ。オープンになって捨てられているナプキンほどおぞましいものはないですから


これも細かい点ですが。こっちのナプキンって、包みを開けるとき、両側の閉じられている部分がきれいにぴりぴりと開かない場合があるんです。包みがなんか避けちゃったりとか。

これも特に大問題ではないけれど、きれいに開かないのってなんか気分悪い笑


このApolloのナプキンはこの2点をクリアできてないですね~。本体はまぁ悪くないけど。

お花の香りは。。。うーん、どうなんだろ。気がつかなかった。




2012年11月19日月曜日

改名 Yet Another Wedding

こんばんワニ。


この色の組み合わせ、すき。

海外にいると
よく名前を間違われます

「トヨタさん」とか「スズキさん」とかだと
会社と結びつくので覚えてもらえなおかつ発音もきちんとしてもらえる
と思うのですが。

私の名前は
「クラバヤシ ミワさん」

どうしても、苗字がきちんと読んでもらえない
最後まで読んだこと自体を誇りに思ってんじゃねーかと
いうような人さえいる。

でもね。

下の名前はStraightforwardだし
分かりやすいと思ってた。

けれど、
インドに来てから下の名前も間違われるようになった

クラスで毎回みんながクスクス笑っていたのが
私のことを
マイワ」と呼ぶ教授と
ミワミ」と呼ぶ教授。

名前を覚えてくれない教授もたちが悪いけど
間違われるのも気にくわない。

勝手に改名しないでください

両親にもらった大事な名前なのだから。

まぁ、怒りはサイドに置いておいて。

この「ミワミ」と私のことを呼んでいた教授は
ガンディ思想Gandhian)の教授。

この人すごくめんどくさくて
私が海外から来ているからなのか
やたらと怪しげなイベントに招待してくるんですよ。

前もMaduraiでのナントカ会議に来いだの、
最近もKodaikanalでのYouthイベントに来いだの
言ってきて。

(後者は私年齢制限越えてたんだけど苦笑)

誘っていただくのはありがたいのですが
ハッキリ言って自己啓発の類のイベントはまっぴらごめんなんですよ

少し前にキャンパスを歩いていたときに
向かいからこの教授が来て
バイクを止める。

いつもこのパターンで何かに誘われるので
やべぇと思ってしまったのですが、

「今度私の息子が結婚するんだ
結婚式に招待するからぜひ来てほしい」

…うぅむ。。。

11月って期末テストの時期じゃんと思ったんだけど
日曜だし、
わざわざ招待状持ってきてくれると言うので
「行きません」とは言わず。

でもそのあとなーんも音沙汰がなく
常になるべくこの教授は避けるようにしているので
招待状をいただくこともなく、
行かなくていいかもとか思い始めた矢先

奨学金申請の書類でバタバタしていた2週間前。
寮のお金のことで事務所に問い合わせていると
同じ寮のP(Bernalくんの妹)がやってきて
「教授が呼んでる」と言う。

見つかっちまった


この事務所の向かいが

Museum of Constructive Programme of Mahatma Gandhi
という場所なんですね。

そこにいた教授に見つかったというわけ。。。

で、行ってみると
上記Kodaikanalのイベントと、招待状の話で。

Kodaiの話はきっぱり断ったけど
招待状はとりあえずいただくことに。

こちらでは結婚式の招待状は基本手渡しと決まっていて
招待状の封筒には招待客の名前を書いています。

で、すでに私の名前が書いてある封筒があんのかと思いきや

「名前のスペル教えてもらえるかな」
と教授。

やっぱ知らないから余計な「ミ」がついてたんだろうか

「M, I, W, Aですけど」

あぁ、ミワね

そうです、それが私の名前なんですよ
ミワミじゃないですよー


 ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  


と招待されたはいいものの。

うだうだ続いているやら頭痛やらのせいで
これっぽっちも行く気にならない。

今朝、一応早起きしてみたものの
イ、イキタクナイ…」
と切実に思う。

しかし今後またキャンパスで会った際に
何で来なかったのかと聞かれて
具合が悪かったんですと言うのもなんか
ウソくさく聞こえそうなので
ちょっとだけ顔出して帰ろうということにする。

しかし肝心の場所がよくわからないので
(招待状にはChinnalapattiのバス停の近くと書いてあるものの)
Pに一緒に行っていいか聞いてみる。

「8時15分か30分くらいに出発するから
一緒に行こう」

いやぁ、ありがたい。

で、結局出発は9時笑
(ちなみに私は9時までぶっ倒れてたのでこれもありがたかった)

Autoを呼んでChinnalapattiへ。
ホント、バス停の目の前だった。

こちらの結婚式は
新郎新婦へのギフトか
小額のお金を渡すという習慣がありますが
なーんにも準備していなかった私は
誰かのお金封筒に一緒に入れさせてもらおうと思っていました。

(この封筒っていうのも
どこでみんな買ってくるのかわかんないけど
小さい茶封筒みたいなものなんですよね)

という旨をPと彼女のルームメイトに伝えると
あなたはまだ学生だから気にしなくていいわよ
(Pとルームメイトのひとりは博士号過程=scholarで「学生」ではない
もうひとりは音楽の先生

…あ、そうですか。

まぁ、新郎新婦個人的に知ってるわけじゃないし。
まぁいっか。

いやはや。
会場についてみたら。

Chinnalapattiでやるなんて規模が小さいな!
とか思ってしまっていたのだけど
実はでっかーい会場
800人ほどのゲストが所狭しと座っている。

結婚式の式自体は終わっていて、
ゲストが列に並び
新郎新婦にギフトを渡して写真を撮るのを待っている。

私たちもいったん会場に座ったのだけど
「朝ごはん食べてください。なくなっちゃうから」
と言われ階下の食堂へ。。。

なんだかうちの大学をそのままここに持ってきたように
どっちを向いても大学関係者。

大好きな教授も大嫌いな教授も
みんな座ってむしゃむしゃ食べている。

カウンセリングの講師はなぜか
Tシャツにジーンズ。

以前からこの人は授業でもジーンズで
何考えてんだと思っていたけど
結婚式にTシャツって。。。

あと、ジーンズ生地のシャツにジーンズはいてたとき
あれも許せなかったわぁ。

なんだか知らない人も
私のことを知っているかのように声をかけてくるので
ホントに私この人知ってるのー?
それとも熱で忘れてるんだろうかと思った。

で、まぁ一通りご飯をいただき
再度会場へ。

やたら海外からのお客様もいらっしゃる。
コネが広いのかしらね、この教授。

列がやっと短くなってきたので並ぶ。

写真を撮る。

かわいらしい花嫁さんにおめでとうございますと伝えると
花婿(息子)の隣に立っていた教授が
彼女は日本人なんだ」と言っている。

いや、それ必要なコメントなわけ?

なぜかくりかえし新郎新婦に伝えている。

息子さんにもおめでとうございますと伝え
教授にもおめでとうございますと言って
とっとと帰ろうと思っていると

握手のために手を差し出した教授

「来てくれてありがとう、ミキ

だ、誰よ


おみや

帰りがけ、会場の入り口で受付の人がバッグを渡している。

こちらの結婚式でお持ち帰りのおみやげ(?)
というのは見たことがなかったので
へぇ、こんなのもあるのねと思う。

でもよく見てみると
新郎新婦の名前がばっちり書かれ
結婚式の日取りや教授の名前まで記載があるという。

後日ものすごく使いづらいバッグであります。

余談だけど
息子さんはガンディ思想どころか
シンガポールでエンジニアの仕事をしているらしいです。


中身

で、何が入っていたかというと。

ココナッツ笑

四角いパックは食後にむしゃむしゃするミントのようなもので
ビンロウBetel nut)です。