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2013年7月6日土曜日

Detour: Veelinayakenpatti - Chennai

こんばんワニ。


昨日の夜Veelinayakenpattiを出てChennaiにやってきました。

やっぱりお別れはツラかったです。


C甥っ子ファミリー

次に会うまでこの娘たちは私のことを覚えててくれるんだろうか。


Mんちの家族

いろーんなことがあったMのおうち。

お父さんの具合がよくなりますように。


この写真、昨日Dindigulのバス停で撮ったものです。

と思ったあなたは大正解です。

予約していた電車に乗り遅れバスでやってきました苦笑

22時10分の電車に乗るために
21時くらいにVeelinayakenpattiを出ればいいと言っていたのに
21時をすぎてもお別れがつらくて
ダラダラしていたら出発が21時半近くに。

案の定「40分あれば大丈夫」なーんて言っていた
お兄ちゃんRも半ばあきらめムード。

でも電車ってよく遅れるし!と思ってDindigul Junctionについてみると
電車がない。

あの~、Chennai Expressはもう行っちゃったんでしょうかと聞くと
このプラットフォームから出るよとのこと。

あーよかった!と思って歩き出すと、
ん?
電車がホームのあーーーっち側に停車しているではありませんか。
というか、停車じゃなくて動いてる。

えーーーーーーーーーーーーーーーーーー!

と思って走って、走って、走って、走った!

でも私のバッグをひとつ持っててくれたMが追いついてこなかったので
無念、あきらめる。

このまま帰って明日行けばいいじゃないという甘い誘いを断り
バスで行くことにする。

幸い、バス停についたらちょうどChennai行きが出発するところ。

この間の夜行よりシートふかふかで乗客も少なかったので悪くなかった。



Adai Aviyal

昨日の最後の晩餐は私の大好きなAdai Aviyalを作ってもらいました。
夜食にと少し持たせてくれたけど結局食べられずに朝ごはんにしました。
おいしいけど、やっぱりひとりで食べるとさみしい。

次にこれを食べるのは…いつになることやら。


は~。疲れた。

今日はChennaiでショッピング三昧!
とかではなかったです。

Chennaiの街を何をするでもなくぶらぶら~とすごしました。

本当は電車のChennai Egmore駅の近くに泊まっていろいろ計画してたけど
それもおじゃんってことで苦笑。




2013年7月3日水曜日

終わりの始まり (3) 先生の涙

こんばんワニ。


と、いうようなことがあったのでイライラがまた爆発しそうになり、ここ数日アーユルヴェーダやらの薬でお腹の痛みと戦ってきた私ですが、なんとか卒業できそうな雰囲気です。

学科長の言葉を信じようというか信じないとやってらんねーと思いつつ今日も大学へ向かいました。友人宅のあるVeelinayakenpattiNilakottaiからちょっと離れているのでAutoに乗りNilakottaiのバス停へ。

ここ2年間何度も「うちに住んで大学に通えばいいよ」と言われてきたのでそれを今になって試しているような感じです。結論、日本でも満員電車の通勤はしたことあるけど、インドのラッシュアワーバス通学はつらそうだわ、ものすごく。あとは想像にお任せします。

学科長との約束の10時前に学科に到着。E教授も来ている。蚊を追い払うのに疲れたので外で待つ。すぐ学科長も現れる。

まず学科長とP先生が学科長のオフィスで話をして、そのあとE教授が呼ばれ3人で話している。E教授は昨日ぶつぶつ言っていたようなことを学科長に伝えているようす。謝礼がどうのこうの、とか。

少しして私も呼ばれ中に入る。E教授はご丁寧にもうだうだと理由を書き連ねたレターを用意してきたようで、それを学科長に渡して熱弁している。学科長には先週の金曜日に「7月4日にDindigulから電車に乗るのでそれ以降は来られません」とレターを渡しているのに今になって「いつここを出るんだ」とまた聞かれる。「4日です」「4日…?」「7月4日です」「7月?」…ってオイ、先週話したじゃん…。E教授は「なぜ学科長にも私にも連絡していないのにP先生にだけ(出発日の)連絡をしたんだ」と言われる。いちいち全員に話さなきゃいけないのかよ。

E教授には昨日と同じように「7月4日にここを離れなくては行けない理由は何だ」と聞かれる。なので、「とっとと出ていきます」レターの件を学科長に思い出してもらう。E教授は「君が大学を離れるための許可を誰が出したんだ」と言う。卒業生が大学から巣立っていくのにいちいち許可が必要なのかよ。たぶんお前はガイコクジンだから大学の許可が必要なんだと言いそうなところ、学科長が「これ(私がインターンシップのあとにすぐに出ていくこと)は私たち(学科長とP先生)が指示したことだ」とビシっとツッコみを入れる。それなのにP教授は「それは私には受け入れられない。きちんと許可が必要だ。私は自分の意見をきちんと書いて正式に学科長に提出している。」うんぬんかんぬん。それで学科長の話がまだ終わってないのに勝手に出て行く。

E教授のレターに目を通している学科長。そこで、私も一応用意してきたんですけど…と、昨日マニプリお姉ちゃんのラップトップでこつこつタイプしたレターを渡す。内容はもうすでに学科長にもControllerにも伝えてあることなのだけど、一応きちんと文面にしたんで。電車やフライト、ホテルも予約していて、またアレンジしなおすのは難しいこと、奨学金も先月末で打ち切られていること、父が来ること、学科にはP先生を通して出発日が伝わっているものだと思っていたことなどなど。かなり腰を低くして書いたつもり。

それを見た学科長が「Let's go」と言う。またE教授のとこですか…とあきらめようとしたら、学科長はP先生と一緒に学科から出て行く。あわててあとについていく。

学科長が向かった先はOffice of Controller of Examinations。まぁ、うちの学科の隣の隣くらいの距離なんだけどさ。そして学科長とP先生がControllerのオフィスに入っていく。ここはテスト関連の書類があり生徒は勝手に出入りできないので外で待つ。

ちょっとして何か書類をかかえてE教授がやってくる。なんだよコイツも来るのかよ!と思ったけどControllerのオフィスじゃなくて他のスタッフのいるところに入っていく。何をしているのかわからないけどすぐ出て行く。私の前を無言で通り過ぎる。私も見なかったことにする。

20分くらいして学科長とP先生が出てくる。学科長が「心配しなくていい、今日外部評価者を呼んでVivaをやるから。午後にまた来なさい」と言う。これは口約束ではないと思う。思いたい。

寮に行ってお姉ちゃんとイトコちゃんに何があったか説明する。二人も新しくマニプールから来ているオンナノコの入学手続きや寮の部屋確保でバタバタ忙しいのだけど、まぁ座りなよと言ってもらい話をする。んで、結局ランチもごちそうになる。。。

午後って何時くらいかな~…クラスのスケジュールだとランチは13時45分までということになってるけど。と思っているとNilakottaiのCが電話をかけてくる。「今Mと一緒にいるんだけど、学科の教授と話をしようか?」えぇ。

CとMのNGOはうちの大学ともつながりがあって、研修をここで受けたり、研修の講師として呼ばれることがあるほか、Mは実は私の大先輩に当たる人。2年前に私がここで勉強することになったとき、周りがみんな喜んでいる中で「あそこはpoliticsがあるところだから気をつけて」と唯一警告をしてきた人です。彼もかなり苦労したから、と。そんなわけで私はCをLocal guardian(遠方から来ている生徒はこの辺りに住んでいる人に保護者代わりになってもらわなくてはいけない)として大学に登録していました。

まぁそんなつながりはあるのですが、わざわざ学科と話をしなくても…と思ったので「大丈夫、きっとやってもらえるから心配しないで」と言う。Mが「でももしやるつもりがないようなら連絡して」と。

そのあと、またぼ~っと過ごす。

またCから電話がある。「今学科長と話をしたよ」と。??????????????

二人がなんと私の学科に行って話をしてくれたのだそうです。それによると学科長は「心配ない、今日15時に評価者をアレンジしたから」と言ったそう。わざわざ本当に話をしてくれるとは思っていなかったのでびっくりする。Vivaが終わったらまた連絡してくれと言われ、とりあえず電話を切る。

そのあと、同じ学科のB教授から電話があり、16時にVivaを受ける準備をしなさいと言われる。でも秘密だから、と。

ということで16時前に学科長のKVKオフィスへ。オフィスの前で待っているとB教授もやってくる。で、「レポートは?」と聞かれる。えぇ。「金曜日にE教授に提出して、自分の分は印刷していないんです」と言う。「そうか、ではあとで提出でもいいか確認しよう」と。そのうち車に乗った女性がやってきて学科長のオフィスに入っていく。学科長の車でこの女性を迎えに行ったスタッフが私にも中に入るように言う。

思ったとおり、この女性が外部評価者でした。8日に他の生徒が来るときにも担当になる人のようです。レポートはもう1冊印刷し、学科長を通してこの女性に渡してもらうことになりました。

この間の「冗談でしょ」のようなVivaとはちがい、なんだかんだで1時間くらい話をしました。口頭試験っていうか、2年間の総括のような質問が多かったかな。日本とインドの比較とか。糖尿病に関しては私もかなり熱弁しました。

でも「それでは、2年間のガンディグラムでの経験をまとめて、『何を日本に持って帰るか』という点に関してはどのように考えているか」なんて質問は今聞かれるには最悪のタイミングなわけで。

「2年間最悪な思いをしてきました。クラスメイトとの言葉の壁、インドのシステムあれこれ、修士論文での苦労、病気…。もう早くここを出たくてしょうがないんです」

…とかは言ってないです笑。かと言ってこの大学を褒め称えるわけにもいかないので「まぁいろいろ大変ですよ。私も、クラスメイトも、周りの村も、いろんな問題を抱えてますよね。それがわかったというのは貴重な経験です」とオブラートに包んだ返答をしました。

名刺までいただいて(そいえばこの間のVivaでも名刺もらったけど、どこにやったかな)、わざわざ2度も来てもらうことになることに感謝し、学科長とB教授に感謝し、KVKを出る。レポートのことがなければ今日が最後になるのでもう一度お姉ちゃんに会いに行こうと思ってたけど、また明日も来るしと思ってそのまま帰ることにする。通学(帰り)ラッシュにまたぶつかり、満員バスで帰る。

帰り、お世話になった人たちに「MBA終わりそうです」の報告とお礼のために箱詰めのお菓子を買う。思ったより高くて少々ビビる。

村に帰ってお菓子を配り、すっかりリラックスしてグーグー寝る。

では済まなかった。

お菓子を持ってCの家へ。

ここで何があったかを話したところ、Cに実は今日もともとうちの大学で用事があったと聞かされました。わざわざ来てくれたのなら申し訳ないと思ってたのでちょっとホっとする。それで、学科に行って話をした~、の一部始終を聞きました。

まずは学科長より親交の深いB教授のところにあいさつに行ったそうです。最初っから私の話をするのもあれなのでまぁ当たり障りのない話題から始まり、「そういえばミワのことは知ってますか」と切り出したそう。もちろん知っていると話がつながり、そこで「ずいぶん大変な目にあっていると昨日彼女が言っていたものですから」と伝えたのだそうです。実はその時点でもう学科長が外部評価者のアレンジをしていたのだけれど、B教授は「ぜひあなたたちからも学科長に話をしてほしい」と言ったそうです。

それで…私の話をしているとき、B教授が涙を流したと言うんです。

ルールにそって生きているような人で、生徒には厳しいし、キッツいこと言うし、人間性疑うこともよくあるのだけど(生徒をバッファロー呼ばわりとか)、私をDindigulに迎えに来てくれたあの日(実はあの日心配で朝4時からバス停と家を行ったり来たりしていたのだとか)から私のことを妹のように思ってくれていたのだと。(そこ、娘じゃないんだ?というツッコミ入れたかったけど。)

なんだか、こんなこととかあったけど、私のことをきちんと考えていてくれたのだと思うと、しばらく意識して距離を置いていたことなど、大変申し訳なく思いました。

B教授と話をしたあとCとMは学科長のところへ。学科長は今日どこかで会議があったのだけど、私のためにそれをキャンセルして大学に来てくれたのだそうです。E教授が書いたレターはちらっと二人に見せたあと、二人の目の前でそれをビリビリ破ってゴミ箱に捨てたんだって。あぁ、それ、E教授の前でやってほしかったわぁ。

Cの話を聞いたあとMの家に行って、同じように学科長と話をしてくれたことのお礼を伝えました。Mは在学中にB教授とちょっとモメた過去があるので、「普段Bがめんどくさいごたごたに生徒を巻き込むことが多いんだけどね。学科長もB教授も君のことを心から応援してくれているようだね」と驚いていました。

最後の学期に起こったあんなことやこんなことで本当に心底、うちの大学の評価が自分の中で急降下だったけれど、最後の最後に私のために今日のVivaを(こっそり)アレンジしてくれたControllerと学科長、B教授、それにP先生には、今後も頭があがらないでしょうね。

明日レポートをもう1冊提出してきます。これで終わりだと思うけれど、本当に終わるまで終わりとは言わないことにしよう。


おまけ:お菓子買う前に心配した父から電話がありました。心配、つきないね苦笑



2013年6月28日金曜日

Internship は終わった。

こんばんワニ。


昨日インターン先のMYRADAを出てVeelinayakenpattiに来ました。

ホッとしたせいか、それとも1ヶ月間さっぱり飲む機会がなかった牛乳をガブガブ飲まされているせいか、お腹が急降下しています。オナカイタイ…


こんなところに泊まってました。

最終日は事務所があいてスタッフが来たらすぐに鍵を返して帰ってきました。だって、6時間くらいかかるんだもん。


MILK…

事務所の近くにビスケット工場があって、通るたびに焼きたてビスケットのいい香りがしていたのでぜひ帰る前にこのビスケットを食べようと思っていました。地元企業っていうか、たぶん他の場所ではあんまり買えないと思ったからね。

おとといやっと売ってるのを発見したので購入。

Milk Bikisのパクリのようなネーミングとパッケージがそそります。


Gobichettipalayamって書いてある

で、昨日帰る前にあけてみたら。

おいしくない。

というか、Milk Bikisと同じような味を期待していたからね、きっと。これはこれでマズくはないはず!

でもクラスメイトには不評でした。


 ●  ●  ●  ●  ●  


あの家のその後。

お父さんの具合がずっと悪くて、お姉ちゃん(10月?に出産予定)もちょくちょく家にくるようになったみたいです。

私が昨日ついたとき(17時くらい)、これからダンナさんがNilakottaiで待ってるから帰ると言っていたのだけど、お父さんにそれを伝えるとまたお父さんが泣き出してしまったので、「あと4日くらいここにいようかな」とお姉ちゃんは残ることにしました。

私もしばらくお姉ちゃんと時間を過ごしていなかったのでうれしいな。

でも私が来週ここを出るときにまたお父さんが泣いちゃったらどうしようとも思う。泣いてくれなくてもちょっとさみしいけど。笑


 ●  ●  ●  ●  ●  


明日大学行ってレポート提出してきます。

これでホントに修士課程終了

ハライタイ。




2013年5月4日土曜日

My Master's Thesis...WAS.

こんばんワニ。


更新がずいぶん遅れました。

最後に書いたのがずぅっと前のような気がします。


VPPに行っていました。


…ウソです。




…ウソです。


Veelinayakenpattiでブラブラしてました。


…ウソです。


かなり間があいてしまっていたのはわかっていたけれど、
ちょっとウェブログを書く気にならなかったです。


よく読んでもらっている人もいるようなので
ちょっと心配されちゃうかも…
とか思ったけど
そんなこと、なかったですよね笑


なので、先日「ちょっと心配している」と
両親からメイルが来たときは
さめざめと泣いてしまいました。エヘ。

父のメイル件名は「どうした」で
笑えたけど泣けました。


なんかこの1週間でいろんなことがありすぎたし、
ストレスでどうかなっちゃいそうだったので
今の時点で頭を整理して書けるかというと
そうでもない感じです。


まぁでもご報告として、
昨日の朝、修士論文を提出しました。


今日最後の定期テストCFAが終わり
来週から期末テストESEがはじまり
18日に論文の発表があり
20日前後にインターンシップ開始、
1ヵ月後にレポートを提出し
それで私の修士課程が終了します。

今は正直、早くここを出たいです。



2013年4月1日月曜日

Dialysis 娘の涙

こんばんワニ。


私が論文に打ち込んでいたようないなかったような先週末、VeelynayakenpattiAppa(お父さん)の具合がものすごく悪くなっていたとのことで、お見舞いに行ってきました。


つかカレー作ってる場合じゃないじゃん自分。と思った。


この間のお祭りのあと、お父さんの具合がすっごく悪くなって、Maduraiの病院に連れて行ったけれど、「もうどうにもできない」とか「前回の治療のときに食生活を改善しなさいとあれだけ言ったのに守らなかったからもう私たちには手におえない」とか言われて、何件か病院をたらいまわしにされていたそうなのです。

最後に行ったMeenakshi Mission Hospitalでは前金が払えないとどうも…とやはり断られそうになったのですが、家族が泣いて病院を回りお願いしますといろいろな人に頼んだところ、ある医師(女性だと思う)が娘に向かって「私の娘みたい。どうか泣くのをやめて。私が治療をはじめるよう許可のサインを出します。」とようやく治療をしてもらえることになったそう。

けれどお父さんの容態はとても深刻なレベルに達していたそうで、「手は尽くすけれど約束は何もできない、あとは神様に祈りなさい」と言われてしまい、家族は本当に、心から祈るしかなかったんだって。

それで、治療はするにしてもこの前金を払わなくてはいけないということだったので、それを工面するために付き添っていたお母さん、息子と娘(お姉ちゃんじゃなくて妹の方)のうち、お母さんと息子が村に帰る。

こういう話ってもちろん日本でもあると思うのですが、そんなにたくさんというわけではない額のために人の命が左右されるというのは本当に心が痛むというか、世の中って不公平だなぁっていうか、なんともやりきれない気持ちになります。(ますますカレー作って喜んでいた自分が憎たらしい)

お母さんと息子は村に帰って、親戚や近所の人に聞いて回ったけれど、みんな手持ちがないだとか、もうお父さんのことはあきらめろだとか言って、必要なお金を集めることができなかったんだって。

例のお祭りに来ていたスウェーデンの彼がそのときまた村に来ていたんです。家族はあえて彼にお願いすることはしなかったんだよね。だけど、泣いている家族を彼は見たから「どうしたの」と妹に電話。「僕は君のカレシでも、君は僕のカノジョでもない。ただ僕たちは友だちでしょう。僕は友だちとして聞いてるんだよ」と言ったんだって。そこで妹も泣きながら事情を説明したところ、夜遅かったのに泊まっているところに置いてある現金6,000ルピーを取りにいき、家族に手渡したのだそうです。

彼には私も心から感謝です。(ここ重要:家族はきちんと数日後にお金彼に返しました)


そこで治療も無事すすみ、今日私が訪れたときにはお父さんが3回目のトウセキを受けていました。


話がちと前後しますが、今日病院に行く前にお父さんに一体全体何が起こっているのかきちんと勉強したくて、いわゆる「糖尿病(生活習慣病)」ではないのだけど糖尿病として治療を受けているSさんにいろいろ質問をさせてもらいました。

つまるところSさんはトウセキをするなんてもう手遅れといった感じだったのですが。

恥ずかしい話、私透析って何のことかよくわからなかったんです。お父さんがどんな治療をしているか聞いたときにDialysis(透析)って言われて何のことか知らなかったのでナニソレって言ったら「血をきれいにして戻すのよ」って答えが返ってきて…そのままSさんに伝えたんだよね。

知らないで一生過ごせたらいい単語だろうけれど、一般常識だよね…あぁ、恥ずかしい。バカ!バカ!自分!

という自分のバカっぷりはどうでもいいのだけど、Sさんの話を聞く限りではもうお父さん助からないんじゃないかなって思うくらいで。

けれど、数日前に「お見舞いに行っていい?」と聞こうと電話したらお父さんの容態はなんとか安定したということだったんです。この透析と、インシュリン含めた他たくさんの薬でね…。


容態がよろしくないようであれば行っても邪魔になるだけだけど、お父さんに意識があるならちょっとでも会いたいなぁと思って、今日行ってきました。

ていうか昨日のうちにVeelinayakenpattiインして、今朝一緒に家族と行ったんだけど。

お父さんのことがちと安定したせいか家族はいつものテンション。まぁ、疲れているなって感じはしたけれど。

実はスウェーデンの彼が昨日ここを発つことになってたんです。お父さんのために彼がしてくれたことを今日まで知らなかった私はお礼も言わずに「じゃーねー!」とフツーにバスに乗せてしまったけれど(ますますバカ!)。彼は今日の便でスウェーデンに帰ったようです。いいヤツだった。また来てください。

(彼のガールフレンドKの誕生日今日ですけど、よかったんですかーーー!?←余計なお世話。)

NilakottaiのNGOにはスウェーデンからよくボランティアが来て数ヶ月滞在しています。だけど短期間なのに村の人と交流を深めて、見送りに来てもらえる男性ってあまり多くない気がするんだよね(女性はけっこうグイグイ交流したりしてるけど)。だからこの人はいい人なんだと、インド村人目線で私は評価しています。

もしKと彼が結婚するなら、Veelinayakenpattiでインド式のセレモニーをしたらいいよ!とまたおせっかいなことを言ってしまいました笑


で、彼がバスに乗ってChennaiに向かうその乗車地点が、お姉ちゃんの現在住んでいるダンナさんの村に近かったんです。彼の見送りだけだったら正直行かなかったと思うけど、お姉ちゃんが来るっていうんで私も同行。

もしかしたらちょっとは大変な思いをしてるのかと思ったけど、ひさしぶりに会ったお姉ちゃんは既婚女性らしくサリーをびしっと着て、ホントうれしそうだったんです。

お相手の彼も顔を見たら「あぁ、この人ね!やっぱり私銀行で何度も見てるわ!」って思い出しました。ちょっとやっぱり引け目を感じている成果、あまり家族と話さなかったけど。。。

あぁよかった。お姉ちゃんが幸せなら、私もうれしい。



話戻りますが。

お父さんの透析がまだ進行中だったので、妹と待合室で座って話をしました。

この病院は面会時間がとくに決まっていないかわりに、付き添いの人の寝る場所確保してあるなんてことはないので(個室でない限り病院って日本でもそうかな?)、みんなそのへんにゴロゴロ転がっています。そこいらで葉っぱ広げてご飯を食べているのもざらです。

そんな中天井ファンに近い席を見つけて座っていると、なにやら病院内ツアー?のような人たちがぞろぞろ。女性はみんなおそろいのサリー。髪にはジャスミンの花が。

「花はつけちゃいけないのに」と妹。

何でもこちらの病院ではおそらく衛生の関係で花は持ち込んではいけないことになっているそうです。そういえばよく花を髪につけているお母さんも妹も今日はつけてない。

「日本ではお見舞いに花を贈るんだよ!」

「インドではフルーツが多いかな」

「日本もフルーツを贈ることもあるよ。高いフルーツね。でもお父さんは糖分が気になるからフルーツはやめた方がいいよね」

「でもお医者さんはパイナップルとパパイヤとグアヴァはいいって言ったよ。でもザクロを食べると血糖値がものすごく上がるの…」

というまたよくわからないインド医学の話になりました。

とか言ってたらまた例のおのぼりさんツアー軍団がぞろぞろ。ふふと二人で笑う。

だけどここは病院。

透析専用の病棟の集中治療室にいた男性の娘と思われる人が、もうどうにもできない状態であると医師に伝えられ、それを電話口で誰かに話しています。

それを見ていた妹が涙ぐんでいます。どうしたのと聞くと

「この間ここに来たとき泣いてたのは私たちだったから…」

この女性につきそっていたのは小さな男の子、それに男性の奥さんと見られる年配の女性でした。

「家族があれだけしか来ないなんて」

とも妹は言っていました。

それぞれ家族に事情があるでしょうから、この家族に対してあれこれ私が推測をめぐらすのはよくないけれど、病棟を見回すと、やはりたくさんの人に囲まれている患者と、付き添いひとりきりの人、両親さえきてくれないような幼い男の子、ひとりでずぅっとせきこんでいるおじいさんなど、いろいろ考えてしまうような人ばかりでした。


でも、それでも、誰かお見舞いに来てくれる人がいるわけで。

ホスピスとは違うよね…と思ったのも。


帰りいろんなことを考えながら帰ってきたら、Easter Sundayのお勤めを出てきたばかりのハッピーな東北部の学生たちと遭遇。

その中のマニプールの男の子と修士論文の話をしていたら、期末テストが終わったあとにホスピスに行ってみたいと話をされて。

「えぇ!経営してる人知ってるよ!一緒に行って何かお手伝いする?」

と、とんとん拍子に話がすすんだので、今度いっぺん一緒に行ってみることにしました。

何かしたいとあのとき思ったけど、ひとりではちょっと行きづらいところにあるので、誰か一緒なら安心!

よし、行くぞ。




2013年3月25日月曜日

Japanese Curry こくまろ

こくまろ

こんばんワニ。

お祭りでうかれていた私ですが遊んでいたばかりではなくって
ちゃんと修士論文書いてますよ。

というか、今日やっと「とりあえず終わり」まで書き終わったんですー。
あとはごちゃごちゃ見た目を手直しして
文章が変なところを直すわけですが。

過去数日間
電気があったらタイプ、
停電のときは書き終わったところをプリントしたものに訂正をペン書き
ということをしていました。

そしたらねー。

「あぁこの日眠かったんだろうな」
という個所が多々笑

イミフメイ!
ってな文章もいろいろありました。


で、今日の17時すぎに「流水域開発こうしたほうがいいですよね」
という部分を書いてとりあえずおしまい。

ひと晩寝かせて頭を整理させたいので


ひさーしぶりに苦笑、ご飯を作ることにしました。

いや、ご飯食べてなかったわけじゃないですよ。
2週間くらいちと手抜きをしていたのです。
論文で忙しかったから…

で、いつも何かと食べさせてもらっている
(よくご飯によんでもらっているのです)
マニプーリシスターズとイトコちゃんに日本カレーを作ることに。


いや、実はね。
本当はタミルの人たちに日本カレーを紹介したいと思っていたのだけど。

日本から戻る日、空港に向かう先で寄った地元のセブンイレブンで
あわてて日本食を買い込みトランクにつっこんできたのですが

戻ってから「こくまろ」のよく表示を見てみたら
牛脂」使ってやがる。。。

ヒンドゥ教の人には食べていただけない。

まぁ、私もいやなのだけれど。

そんなわけで
日本カレーはクリスチャンの彼女たちにふるまうことにしました。


大学の入り口のすぐそばにある野菜やさん。

最近表でいっつもグリーンピースをさやから出しているオトコノコがいて
(隣のスナック屋でグリーンピース使ってるからだと思う)
家族の手伝いしてるのえらいなぁと思っていました。

ちょっと年齢が高いので
学校行ってないのかなと思っていたら
話をしてみると(とは言ってもあいさつくらいだけど)
軽度の知的障がいがあるらしいことがわかりました。

だから学校行ってないのかな…と
勝手に想像。

今日の夕方ひさーしぶりにお店に行ったら
いつものようにグリーンピース作業をしている彼に
お客さんが話しかけている。

タミル語じゃない…ヒンディ語?

このお店にはうちの大学の先生もよく来るので
ヒンディ語圏から来ている先生だったのかも。

でもオトコノコもぽつぽつ答えている。

何を言っているかわからないけれど
ビハール州」
と聞こえました。

び、ビハール。。。


(Aがうち、Bがビハール。ちょっとズームアウトしないとわかりづらい)


今日たまたま英語を話さない野菜やのおばちゃんの横に
娘なのか若いオンナノコがいたので

あのオトコノコ、ビハールから来たの?」
と聞くと

「わからない、記憶がないから」
とのことでした。


確かに彼の顔立ちはタミルの人ではないとは思ったけれど
そんな遠くから、障がいのある子が何でこんなところに。

以前に読んだ新聞の記事でも

やはり知的障がいのあるオトコノコが長距離電車に乗ってしまい
遠いところにたどり着いて
障がいを持った人たちの施設で保護されていたのですが
数ヶ月だか数年後
たまたま同じ地方から来た人がそのオトコノコに会う機会があり
それもたまったまお互いに方言で話せることがわかったので
その人が親御さんを探し出し
無事にオトコノコが家に帰る

という感動的な話があったのですが。

大学の野菜やさんにこんなオトコノコがいるなんて
ありきたりの話なのだろうかと思いました。


…ってことがあったんだよ!かわいそうだよねぇ!

とカレーを持ってマニプーリルームに行ったところ

警察に連絡すれば捜査してくれるかも
と言われたのですが

今朝の新聞に
いかに警察が役立たずか
という一面丸々使った記事が出てたので

「う~ん、それはどうかなぁ」
と、思いました。


彼女たちにカレーをおすそわけして
自分は部屋に帰ってきたのですが
さっそくご飯にかけて食べたところ

おいしいんだけど、辛くない。。。

中辛ってこんなもんだっけと
しみじみ思いました。

世界一辛いとかいう唐辛子を食べる彼女たちなので
辛くなさすぎておいしいと思わないかも
と申し訳なく思っていたら

Facebookで
日本食おいしかったよ
と言ってもらえました。

厳密には日本食ではないのですが、
まぁ、いっか。





2013年3月23日土曜日

Uncountable Unforgettables II (2) 夜通し

こんばんワニ。


昨日の続きです。


と、いうことで神様が無事お寺におさまりました。


このあとまた神様にいろいろなお供えものを持っていくわけですね。。。


わいわい

きちんと聞くの忘れましたが、女性たちが何か食べものを持ってきて
集めているところです。

神様にというわけではなくって、
神様の像を作ってくれた別の村の人に感謝してもしくは
神様をこっちの村に持ってきてお腹ペコペコの男性陣が食べる
というようなものだったようですが
今はこれを食べる人はいないそうです。

でも伝統守って一応みんな作るわけ。

風呂敷みたいなのにざっくり包んでどこかに持っていかれたけれど
Cいわく「犬が食べちゃうんじゃない」とのこと。。。


ランプ

神様に供えるランプ。

ふだんはお水を入れるポットですが
頭なんかにのっけて大変そう。。。

写真ではわからないと思うけれど
このポットの上にギー(バター)などで作ったペーストが乗せてあり
これにアルコールランプの「芯」のようなものを差し込んで
火をつけています。


順番待ち

これまたお寺の周りをぐるりと回ってからお寺へ。

待ってる間に
ランプの飾りに火がうつっちゃって
あわてて火を消している女性もいました。

デコレーションは各家庭それぞれと言ったところでしょうか。


主役

前にこのコミュニティのお祭りをやったのは20数年前ということなので
この中には生まれて初めてこのお祭りに参加という人も多いでしょう。

真ん中のたいこ、これが不思議な音を出す楽器です。

いっぺんたたいてみたいわぁ。 


ひとりで

ピアス事件のその後。

せっかく神様に買ったピアスをつけてもらえなかったということで
Cはがっかり、Cの甥っ子Jはプンプン、
Jの奥さんPも放心状態。

メイクアップのあとCはまたピアスをしてよとお願いに行ったのだけど
取り入ってもらえず。

腹を立てたJはもうこのお祭りに参加するのはやめろと言って
Pがランプを持っていくのにも反対しました。

ランプの集まりにCたちが参加していなかったのに気がついたのか
Cのおうちでみんながガッカリしているのを聞きつけたのか
祭司(たぶん)のおじさんがCのおうちにやってきたのです。

どうしたんだと優しく聞く祭司に
Cは涙ながらに「つけてもらえなかったのが悲しくって」と訴える。

そこで祭司はCのおうちのピアスを神様につけてもらうからと約束しました。

と、言うことで次のイベントが始まっちゃう前に
あわててPがランプを持っていくところ。

ぐるりとお寺を回ってランプを奉納しました。

中では祭司のアシスタントくんたちが指令を受けて
ピアスをつけている真っ最中

かと思ったら

ピアスのうしろの金具(落ちないように留めるやつね)を
落っことしやがった!

女神様はお花やサリーやらで何重にも飾られているので
ちっこい金具を探すのは一苦労ふた苦労。

しかもお寺の奥、オイルランプのみで照らされているところにいらっしゃるので
暗くて見つからなーい。

見かねた祭司が携帯電話を取り出して
電話の明かりで探す始末。。。笑

まぁ四苦八苦してどうにか金具も発見。

ピアスをしてもらった女神様は
メイクアップが本当に完成したって感じで
私もうれしかったです。


トランス

続いてのイベントは例の鉢植え奉納。

Veelinayakenpattiのはちと小さめかな。

Cのコミュニティの女性たちはおそろいのサリーを用意していました。

列をはみ出して奇声をあげつつ水色のお姉ちゃんに支えられているのは
トランス状態の女性。

勤めていた団体スタディツアーでもお世話になったお母さん。

お祭り時にはトランス状態の人、多いんですよね。
特に女性。

最初観たときはビックリしたけれど。

みんなフツーに対応しています。笑


ぐるぐる

鉢植え奉納のあと。

女性たちが輪になって、ぐるぐると回りつつ拍子をとって
真ん中の女性が歌っている。

意味を聞くのを忘れた。

男性のダンスと違うけれど
これもなんだか農村ちっくな、素朴な盆踊りのようでした。



ありゃ

夜が明けちまった! 


高見の見物

ということで2日目。

案の定ヤギさんたちのいけにえがあるということだったので
Nilakottaiのオフィスに非難しました。。。

やっぱりまだちょっと見る勇気がないです。


ふたつも!

午後オフィスから村に戻ってきました。


2日目のハイライトはファイヤーポット

4か5家庭がポットを準備したようです。



やんややんや

ポットを奉納したらまたダンス。


あれ?

ポット放置してあんじゃん!



VIP

2010年にここでボランティアをしていたスウェーデンのK。

今年はその彼氏くんがここで研究をしつつ
ボランティアをやっているようです。

なんでかわからないけど彼だけ特別対応。
(ブーブー)


と、私の参加はここまで。

全然論文の作業がすすまないのと
極度の疲労で
もうアカンと思ったので
寮に帰ることにしたのです。

最近はいつもこれという20時15分のバスに乗り大学へ。

いつも夜到着のときはひとつ手前のChinnalapattiで降りて
オートにのり大学に帰ります
(大学の前にオートがいないことがあるから)。

だからChinnalapattiまでって車掌さんに言うんだけど。

最近はなぜかこの周辺の人たちに
私がGandhigramの学生だということが知られていて
Gandhigramまで行くと思われている始末。

ウトウトしていたらChinnalapattiを過ぎちゃって
Gandhigramで起こされる。

「Chinnalapattiまでって言ったじゃん!」
と言うと
「あ、そう」
で済まされる。。。

バスを降りるとまーーーーーーーーーーーーーっくら。
オートもいない。

暗い中を寮まで歩いて帰ったら寮母が
「今日このあたりずーっと停電なのよ。電線の問題なのよね」
とのこと。。。

せっかく帰ってきたのに論文の作業できない!

と思ったら22時半に復旧しました。


今日も朝からコツコツやってますよー

いつ終わるかなぁ

2013年3月22日金曜日

Uncountable Unforgettables II (1) 二つの村祭り

こんばんワニ。


…というような理由で大学が閉鎖中の私。大学の外は危ないので(?これがよくわからん)寮にこもっていなさいと言われたのですがVeelinayakenpattiに行ってきました。

というのも村のお祭りがあると言われたので。

最初は私が脱肉笑したきっかけとなった例のお祭りと内容は似ているということで行くのをためらったのですが、20年以上やってないお祭りなのよと言われ、授業がないから夜中の催し物も見られるなと思い、「論文の作業がうんぬん」と大ウソをついて許可をもらい昨日夕方出発。

キラキラ


…つ、疲れた。。。

3日間のお祭りを全部みようかと思っていたけれど、1日でこんなの疲れちゃったら論文の作業どころじゃないですよ。←本当に今週終わらせようと思ってます

ということで1日観て満足したことにして帰ってきてしまいました。

さて。

Veelinayakenpattiには大きく分けて3つのコミュニティ(カースト区分)が住んでいます。ひとつは私がお世話になっているお父さんのカーストで、260世帯くらいあるそうです。もうひとつは(たぶん)Nayakarとよばれるテルグ語を話すコミュニティ、農業を生業をする人たちが60世帯くらい(人によって30とか言ってるので本当にいくつあるのか不明)。あと、Scheduled Caste (SC)という、ハリジャンの人たちがコロニーという村のはじっこに住んでいます。

NGOスタッフCはテルグ語コミュニティだけれどこのどこにも属さず、4つ目のカースト(大工が生業って言ったかな)で数件のみ(たぶん)でこの村ではマイノリティ。

んで。

一応村のエリアごとにコミュニティが分かれていてこの通りはこのコミュニティ、あっちは別の、となっています。だからコミュニティ内で仲がいい。でもそうすると別のコミュニティといざこざが起きる。

てなわけで、この最初のふたつのコミュニティはあんまり仲がよろしくなく、一緒にやればいいのにわざわざ似たようなお祭りを別々にやる(しかも2週間か10日しか間をあけない)、というのが今年決まったそうです。

このいざこざが原因なのかわかりませんがNayakarの人たちは過去20数年以上自分たちのお祭りをやっていなかったということで、彼らの意気込みは十二分。

対するお父さんのカーストも、あとでやる強みか人数の差の優越感か、自分たちのお祭りの方がもっと盛大になると言っている。

それでもって、別々にやるのはおいといてお互いのお祭りには参加すりゃいいのに、変なプライドで「あっちのお祭りには行かない」と言う始末。

ちなみにCの家はどっちのグループにも属さないので「私関係ないし」と言えなくもないのだけど、マイノリティゆえ「どちらのコミュニティにも頼って生活してきたから」と、お祭りの費用をどちらにも出しているそうです。大変だー。でも折半の仕方もコミュニティごとに違うからそれもめんどくさかったみたいです。

まぁ、そんな背景があるお祭りだったわけですよ。

では写真メインでご紹介しますの前編。


Cのうちの前にも

メインイベントは木曜0時(深夜)と言われていましたが、水曜の夜からドンちゃん騒ぎは開始。


わいわい

このお寺だってみんなで力を合わせて作ったのに。 お祭りは別々なんてね。


どぅううん

おそろの黄色いTシャツを着て(ない人もいるけど)踊り続ける男声陣。

音楽というか節とりに使っているのが見た目シンプルな太鼓のようなものなのだけど、孫の手のようなものでさするとどぅううんという独特な音がします。インドの他の地域のお祭りでこれ使ってるかわからないけど、これを聞くとあぁお祭りだぁと思うし、ワクワクする。

あとで女装した人も加わりました。この人の役割を聞くの忘れたけどお祭りには欠かせない存在らしい。

Tシャツはきちんとひとりひとり名前がタミル語でプリントしてあって、村の名前もばっちり入ってて、いいなーほしいなーと思いました。頼んだら作ってくれるかなー


おみこしだよね

ひと通り踊ったあと神様を迎えに行く準備。ちと離れた村にこれまた別のコミュニティで像などを作る人たちがいて、土(陶器?)で作った像をお迎えにいきます。

これを最終日に水の中に沈めます。こういうお祭りはでっかい都市でもよくやってます。なんで沈めるんだろ。


わいわい

神様を迎えに行くのはメンズの仕事。 女性陣は…寝て待つ笑

これ22時半くらい。


うまそう
おいしそうなデコレーション。


到着

神様が来るのは0時くらいだからそれまで寝てていいよと言われ横になるも、爆音音楽で眠れるわけもなし。それでもウトウトしていたらなんかザワザワしているのであわてて飛び出すとお迎え部隊が帰ってきている。

神様到着は1時近くでした。花火でお出迎え。


わいわい

神様

布がかぶさってるのが神様です。何の神様か聞いたけど名前忘れちゃった。女神様です。


ところどころ電球が切れてる

メイクアップ控え室

お越しになった神様を、Nayakarの通りにある小さなお寺へお連れしてメイクアップ。みんなが奉納するアクセサリーやお花で飾ります。これがやたら時間かかってました。

20年分のお化粧だもんね~とジョークを飛ばす。

このあとプチ事件が。お祭りへの寄付(寄進っていうの?)としてCのおうちも神様のピアスを購入して準備していたのですが、当日持っていったら「小さいからダメ」と言われたそう。自分たちが心をこめてお祭りのために準備しているものを使ってもらえないというのは彼女たちにとってはとても心が痛むことなのだそうです。そんなわけでCの家族は超ガッカリ。この話には続きがあります…


メイクアップ完了


お化粧完了の神様をメインのお寺にお連れします。写真を近くで撮っていいかわからないので遠巻きに。


ぐるり

お寺の周りをぐるりと一周して、正面からお寺の中へ。


いざ中へ~

後ろ向きに入っていきました。

これもう3時すぎ。


でこのあとも怒涛の勢いでいろいろあったのですが、それは次回書きますね~




2013年3月4日月曜日

Double Standard お父さんの涙

こんばんワニ。


Ootyにて

ある村にやってきた新任の先生。

村の先生たち専用の宿舎に住み込みで働くようになった。

その村で育った男性とその先生は恋に落ちる。

小さな村で二人のことはすぐに噂になったかもしれない。

この村では事件に値するようなことが起こる。

なんと先生は子どもをもうけていた。

彼女は身分の高い家の出身、彼にはそのころあまり収入もなかった。

彼には高嶺の花だったのだが、二人は愛し合っていた。

そのうち、先生の任期が終わったのか、それとも家族の圧力なのか、先生は実家に戻ることになった。

しかし彼女を忘れられない男性は彼女の村まで会いに行った。

もちろん、彼女の父は男性に彼女を会わせようとしない。

そしてある日、二人は駆け落ちした。

彼女が村の近くの川で水浴びをしようと出かけたとき、彼はやってきて彼女と逃げた。

そのまま二人はお寺に行き、祭司に結婚をとりおこなってもらった。

これは、携帯電話なんかない、手紙でのやりとりだけのころの話である。一体どうやってこの計画を立てたんだろうか。

そうして彼女は村に戻ってきた。

そのうち、彼女の父がやってきた。

今度は夫となった彼が、彼女には会わせないと言う番だった。

悲しみにくれた父は、せめて他の家族には会わせてやってくれと彼女の姉やその夫をよこした。

次第に彼も心を開き、彼女の家族を家に入れるようになった。

そうして少しずつ、彼と彼女、彼女の家族は和解していった。



20数年後。

この彼が、娘が身分の違う男性と結婚するのは許せないと言う。

この彼が、娘があまり収入のない男性と結婚するのは許せないと言う。

彼女は言った。

「あのときあなたは今のようにお金をたくさん持っていたわけじゃない。

でも私はあなたと結婚したのよ。」

でも彼は話を聞こうとしない。



● ● ● ● ●


おわかりかと思いますが、Veelinayakenpatti駆け落ち友人Sの家のその後の話です。

このお父さんとお母さんの話は20数年前ではかな~りスキャンダルなことだったんです。

でも駆け落ちどうのこうのというのはそのころでもたくさんあったことらしくって、今日Veelinayakenpattiに行った際に友人Cからいろいろと話を聞きました。

寮のルームメイトは同じ村出身のオトコノコと仲がよく、オープンキャンパスの日には彼がお菓子や花を持って彼女に会いに来ていた。ある日そんなオープンキャンパスの日に彼女の両親が訪問。同じ村出身の彼を見つけて「何してるんだ」と聞かれる。とっさに彼は「妹がここで勉強を…」と言ったけれど苦しまぎれのウソ。その後彼女の父は彼女にお見合いをさせようとする。それがいやだった彼女はある日、ガラスのバングルを割って飲み込み自殺を図ろうとした。寮長は即彼女を家に帰す。

別のルームメイトはそのころ男子オンリーだったカレッジのオトコノコと恋に落ちていた。ある日彼が交通事故にあい、彼女はどうしても彼のところに行って無事を確かめたかった。だが寮長は外出許可を出さない。とうとう彼女は門番にワイロを払って大学を抜け出す。帰ってきたら門番のシフトが変わっていて、事情を知らない門番は彼女を入れようとしない。寮長が呼ばれ、彼女も家に帰されることに。

などなど。20-30年前でもこんなことは当たり前にあった。村でも都市でも。

だから私の友人のことだって別に驚くことじゃない、というのが私のクラスメイトの反応だったのかなと今になって思うのだけど。


今日村についたときに、Sのうちを素通りしてCの家に来てしまったのだけど、CのうちについたらSの妹とお母さんが来ていました。

何かマジメに話していたようで、私の方をみて力なくニコっと笑い、また話を続ける。いつもは大歓迎でおおはしゃぎをしてくれるのだけど、こんなときだから仕方ないな、とちょっとさみしくは思っていたら、二人ともさめざめと泣き出す。

わけもきけずに話を黙って聞く。やっぱりSのことを話しているようでした。

数日前に、Sは見つかったの?無事なの?とCに聞いたときに「Sは無事よ。今は旦那さんの家にいるの。」と聞いていたので、あぁよかったと思っていました。

それに、妹の方も、以前に書きましたが、ボーイフレンドというか結婚したいのが親戚のオトコノコなので、まぁ問題はないよなと思っていたのに。

どうやら、お父さんは妹の結婚にも反対しているのだそうです。

その親戚のオトコノコは、お母さん方の親戚。つまりブラーミン(祭司カースト、もしくは最高カースト)。お姉ちゃんの方でモメていた、カーストに関しては問題ないじゃないと思っていたのに。

今度はお父さんは、彼のうちにはお金がないと言っているのだそうです。

この親戚のオトコノコは銀行で仕事をしているのですが、パーマネントではなくて契約か何かだそうで、お寺で祭司の仕事もしています。お父さんも同じように祭司として働き、お母さんも図書館で働いている。それだけがんばっていても、Maduraiのような都市部では家を購入することはできず、賃貸に住んでいる。

というのがお父さんの気がかりなことなのだそうです…。

確かに、「あの家ではお金があまりにもないので、お客さんが来たときにティーショップでティーを買うときはツケでお願いするしかなくて、その日の夕方誰か家族がお金を持って帰ってきたら払っている」なんて聞くと、本当にお金がないんだなぁとは思うけれど。

妹ちゃんもChennaiの大学院を出ているから、今はNilakottaiのNGOで働いているけどMaduraiの彼のうちに住んで、何かMadurai内で仕事を見つけることは可能なはず。

と思う反面、お父さんはきっと結婚したころお金がなくて、Nilakottaiの花市場でビジネスをしたりして、今はようやく自分の貸し物件を持てるようになったくらいだし、自分が苦労した分娘たちにはいい生活をさせてあげたいと考える、そういうのもよくわかる。

All You Need is Love! なんて数年前なら言えたかもしれないけれど、30を前に、私も将来のことを現実的に考えなくてはいけないと思うから。

けれど、お父さんも、妹も、親戚の彼も、みんな譲歩しなくてはいけないと思うわけ。例えば、彼も彼女もきちんと仕事をみつけて、将来のことがもう少ししっかり見えるようになってから結婚を許してくださいとお父さんに言うのであれば、お父さんも許してあげればいいじゃないと。

それなのに今はお父さんはお金のことばかり話しているとみんな言うんです。お金のある人とだけ結婚をさせたいのだと。それは違うんじゃないかなぁ。

それで…。

今日、お母さんと妹がさらさら泣いたあとに、Maduraiに行きました。オトコノコの家に行って、お父さんが結婚式に来ないと言っているけどそれは問題がないか、と相談に行ったのだそう。「でもすぐに結婚するってわけじゃないでしょう」とCに聞くと、数週間以内におそらく結婚の準備はできるだろうとのこと。えぇ。

何でも、お父さんが気にふれたようになっていて、早くオトコノコと結婚しないと何をするかわからないとみんな思っているらしいのです。昨日Cに「(妹ちゃんの)髪を少し切って、ショールと一緒に持ってきて」と言ったらしくて。なにやら儀式をして妹の考えを変えようという、黒魔術みたいなことをしようとしているんだそう。。。

どうしちゃったのよお父さん。

と思っていたら、お父さん方の親戚がCの家にやってきて、「お父さんがCを呼んでる」と言いました。昨日も今日もCのうちで、妹も含めてみんなで話し合ったけど結論は出ていない。だから話し合っても仕方ないし、自分の立場としてもどちらかの肩だけ持てないしとCがまごついていたら、「お父さんが歩いてくる」と親戚が言いました。

私も、今、どんな顔をしてお父さんに会っていいかわからないし、妹やCの話だけ聞いて一方的に「お父さんったら…」と思っていたし、毎日お父さんは泣いていること、糖尿もちの体調がずっとすぐれないことを聞いていたから、正直お父さんに会いたくなかった。

でもCの玄関先に来たお父さんを見たら、胸がいっぱいになってしまって。

お父さんは、家のことは自分が決める!というようなタイプの人で、いつもびしっとシャツを着こなし、ひどく具合が悪くても朝はきちんと毎日出勤という人です。3ヶ月一緒にいたから、お父さんがとても厳しい人だというのはわかっているし、朝の水浴び、ヒゲそりから夜のティーまで、お父さんの日課もよく知ってる。

そんなお父さんが、ぼさぼさの髪で、よろよろとやってきて、鼻水と涙をすすりながら、こうなんだあぁなんだと話をするのを見ていたら、お父さんどうしちゃったのよ…と思うしかなかったです。

何を言っているのかわからなかったけど、Cの反応を見ていたら、お父さんの話が支離滅裂なことはわかったし、Cも何を言っていいかわからないようでした。あとで聞いたら、お父さんは同じことを何度も繰り返して言っていたそうです。

本当は勇気を出して、「お父さん、自分のことを考えてみてよ。お金がなくってカーストが違っても、お母さんと結婚したじゃない。今はお金がなくても、二人は何とかやっていけると思うよ」と伝えてもらいたかったけど、そんなことを言ってもお父さんは聞く耳を持たないだろうなとわかりました。

お父さんに必要なのは泣くことじゃなくて、とりあえず健康第一にゆっくり休んで、これからのことは少し待ってから考えればいいじゃないと思うのだけど、そんなことも言えませんでした。

お父さんが全然食べていないんだろうなというのは明らかで、Cがいろいろと食事をすすめたけれど「吐いちゃうんだ」と全て断っていました。

そして話の途中で何度も何度もお父さんは泣いていました。お父さんが泣くのを見たのは、私がインターンから帰るとき以来だった気がする。あの時こっそりキッチンで泣いているお父さんを見つけて「お父さん…」と思いました。でも今日、あのときとは全く違う気持ちで「お父さん…」と思いました。

そのうちお父さんはまたよろよろと家に戻っていきました。

この家族がどうしたらいいかわからないし、私がどう言ってあげたらいいか全然わからないです。自分はこう思う、というのはあるけど(お父さんDouble Standardじゃない?Hypocrite!)、それを言ってお父さんやお母さん、お姉ちゃんや妹、あとお兄ちゃん(はお父さんの考え方に賛成している)と仲が悪くなってしまうのもいやなのです。

ちなみに。

お姉ちゃんの方は旦那さんの家で大事にしてもらっているそうです。お父さんは旦那さんがコロニー(Scheduled Caste、不可触民の人たちが住んでいる、村の特別地域)でほったて小屋のようなところに住んでいると思っていて、お姉ちゃんがかわいそうだとなげいていますが、彼の家はきちんとコンクリで作っているようなおうちで、豪勢でないにしても、つつましく通常の暮らしをするのに不便はないとお姉ちゃんはCに伝えたそうです。ブラーミンダイエット(Pure vegetarian)で育ったお姉ちゃんのために、旦那さんの家族も肉魚を絶っているそうですよ。

お姉ちゃんと連絡がとれるらしいことはわかったので、いっぺん会いに行くつもりです。



● ● ● ● ●



なんかいろいろ劇的な話をたくさん聞いたのだけど今日も要領オーバーです(ウェブログがじゃなくて私の脳みその話ね。。。)

朝からお腹いっぱい食べさせてもらい、私のお腹も要領オーバーさ。




2013年3月1日金曜日

Recycle 廃品回収

Ootyのバラ

こんばんワニ。


うちの寮には、こまごまとしたお世話をしてくれる庭師のおじいちゃん
お掃除をしているおばちゃんがいます。

このおばちゃん、決して根が悪い人ではないとは思うのですが
来たころはお金をせびられたりしてなんかなぁといつも感じていました。

朝早くに来てお掃除をして夕方まで働いている、
と言うと聞こえはいいのだけど、実際は
まっぴるまに階段の上がり口で床にごろーんと寝ていたり
夕方ひとっぷろあびて屋上への踊り場で上半身裸になって着替えていたりと
この人なんなんだ!
と思うこともあります。

でも、悪い人ではないと思うのです。

そんなおばちゃんのクセ。

寮では、それぞれの部屋の前にゴミ箱がおいてあって、
部屋で出たゴミはそこに捨てます。
それをおばちゃんが朝お掃除のときに回収しています。

でもおばちゃん不思議なことをするんですー。

プラスチックのボトルとか、金属、びんがあると
ゴミ箱から回収しないで、箱の外に出しちゃうんの。

最初は何で回収してくれないんだと思ってゴミ箱に戻したのだけど
次の日にはまた外に出ている。

何日かするとようやく回収。

これが意に介さなかったのである日手下に聞きました。
「Mさんがプラスチックとかだしっぱにするんですけど。」

すると
「あぁ、あれは業者がたまに来て買い取るのよ
と答えが。

手下いわく、たまに業者が来て
プラスチックや新聞などを回収しているとのこと。

きちんと測ってお金を払ってくれるのだそう。

つまるところ、リサイクルなんですね~。

んで、おばちゃんは、このときにお金を稼ぐために
リサイクルできるものは別にとっておいて、
まとめて渡しているのだとか。

それで、ダイニングホール側の階段の踊り場に捨てられないゴミ、
ではなくてリサイクル待ちグッズ
たくさんあるのがわかりました。

私は寮でThe Hinduという新聞を購読しているのですが
最近、読み終えた新聞が山のようになってきて
どーしたもんかと思っていました。

新聞はあとで読み返すこともあるのでゴミ箱には捨ててないんだけど、
なんかそのうち倒れそうな勢いなんで。。。

ということで業者はいつ来るんだと思っていた矢先。


今朝クラスに行こうとすると、寮の玄関に
例のリサイクル待ちグッズの山が移動している。

特に気にもとめなかったんだけど
寮に戻ってきたら新聞もたくさん運ばれてきている。

もしかして~と思って寮母に聞くと
今日業者が来るとのこと

お~。

そこで2回に分けて新聞を階下に運ぶ。
30分ほどで業者が来るとのこと。

結局1時間以上待ったと思うのだけど
やたら足が傷だらけの地味にカッコイイお兄さんがやってきて
新聞を測り始めました。

でっかい袋にどさどさ新聞を入れて、
吊り下げ式の測りで見ると
13キロ。

1キロ8ルピーなので104ルピー。

マニプールシスターズが12キロ96ルピーだったので
ふた部屋で200ルピーいただきました。

イトコちゃんいわく、
デリーでは1キロ15ルピーだそうだけど。。。

田舎だから仕方ない笑

100ルピーおこづかいやったね!

とうれしい気持ちはさておき。

プラスチックを平気でそのへんにぽいぽい捨てるこのインドで
この前の国際会議の帰りに教授がビスケットの包みを車窓から
ポイしてたのはさすがにありえねーと思ったけど)
リサイクルをしている人がいるのは知っていたけど
実際にお会いしたのは初めてだったので
もっとがんばってほしいなぁと思いました。

グルガオンの話じゃないですが
そのへんを歩いている牛さんがプラスチックを食べちゃって
死に至るというようなことも多々あり、
プラスチック回収してくれたらお金を払うというようなシステムがあると
以前に知りました。

もともと金属などゴミの山から売れるものを探してきて
それで生計を立てている人たちもいますよね。
(話が長くなるので割愛しますがいわゆるScavengerさんたちです)

だからリサイクルは概念としては新しいかもしれないけれど
実際には行われていることなので
みんなやればいいじゃんというだけの話なんだけど。

デリーでは
回収したプラスチックの袋を色ごとにリサイクルして
カラフルなバッグを作るというようなビジネスをしている人たちがいるそうです。
どっか外国の人たちだったと思うけど。

ゴミが減る
ゴミでお金がもらえる
ゴミでビジネスができる

と、いいことずくめのように思えます。

でも、普通の人はやらねーんだろうなと思います。

国際会議のワークショップでもクラスメイトが
「プラスチック利用を制限するようによびかけたらどうか」
「リサイクルをしたらどうか」
とか言ってて。

最もな話なんだけど、
プラスチックのゴミをぽいぽい捨てている彼女たちが
それってどういうことかホントにわかってるかと言うと
わかってねーだろうなと思います。

彼女たちがプラスチック洗ってリサイクル場に持っていけるか。
持ってかないだろーな。。。


蒸しケーキ

ゴミの話のあとでなんですが。


この間思い立って
ホットケーキミックスを圧力鍋で蒸してみました。

圧力鍋で蒸しパンやらケーキができるのは知っていたのだけど
牛乳やら卵やら買うのがめんどくさくって
ちょっと延期していたのですが

「なんか今日はホットケーキな日だ」

と思ってしまったので。

というか、最近妹ちゃんの誕生日があって
自分でも勝手にお祝いしたかったのです。

なーんでもなーい日おめーでとーう!

(これ分かるひといる?)

きちんとした台があるわけではなく
金属のケースを重ねて上のケースに生地を流し込んで蒸す
という怠惰な作り方

圧力でケースが動いて上のケースが傾き、
なんか水っぽくなっちゃったんですけどね。

と、いうのが右のケーキ。

左はマニプール妹が市販のケーキミックスで作ったもの。

どっちもおいしかったけどね。


それと今日は思い立って
すいとん、を作ってみました。

この間、これも思い立って
クリームシチューを作るのに買った小麦粉。

チャパティでも作ればよいのだけど
小麦粉ってどうやって消費するんだろうといろいろ考えたあげく、
すいとんなら水と小麦粉だけじゃん、
みたいな。
(作り方によっては、おいもとか入れたりするようですが)

汁にぽとぽとスプーンで落としていくのがめんどうだったので
形成していつもの圧力鍋スープに投入、
普通に調理。

もちもちのすいとん!

かと思ったけど、
そううまくはいかなかった。。。ザンネン

どうしたらおいしくできるんだろー。


無事(?)所在がわかった(ダンナの家にいる)そうです。

お父さんはまだ認められなくて
お互いに会ってないようですが。

妹の方はなんとか承認。。。かな?

と思っていたら
今度はお兄ちゃんの花嫁探しで家族は忙しいそうです

大変だねぇ。