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2013年7月19日金曜日

北インドブッダ追っかけ旅 (13) Delhi

こんばんワニ。


今日はデリー観光をしました。


日本の技術とお金を導入して作ったデリーメトロを見てみたいと言う父について
メトロへ。

大変だった。

入り口で簡易なセキュリティチェックがあるので入るだけで時間かかる。

でも基本並べない、並ばないインド人が
マジメに列作って順番待ってるのを見ると感動さえ覚える。


で、Red Fort (Lal Qila) へ。

ここもムガル帝国のシャージャハーンが作りました。

来月の独立記念日のセレモニー関連なのか
なんかライト積み上げたり作業してたので
入れないところもありました。


赤いね。

赤い砂岩は他のムガル建築にもよく使われてますよね。Agra Fortとか。


ぱちり

今日はたくさん写真撮ろうねー 


象嵌

昨日無理やり 連れて行かれたところくらいのレートだと
これひとつ30万ルピーくらいするね。


ほれぼれ

このどこかに「天国が存在するとしたらこんな感じ」
というようなことが書かれた部分があるそうです。

見つからなかったけど。。。

建物多すぎ

ぶっちゃけ何の建物か忘れた。



もはや

ピントはTiggerに合っています。。。 


疲れたよ。

このあとOld DelhiをさまよいつつJama Masjidへ。

これもシャージャハーンが作らせたもの。

インドで一番でかいモスクなのかな?


なんとなく

スカーフも何もなくて頭を隠せない。

観光客がたくさん来るからセキュリティもそこまで厳しく見てない気がする。
(足が出てる外国人は布で隠されてたけど) 

でもやっぱり罪悪感を感じるので私は入りませんでした。

ミナレットもお金払えば登れるみたいよ。


Irresistible!

このあとメトロにまた乗ってRajiv Chawkへ。

Cannaught Placeにあるチェンナイの有名レストランSaravana Bhavanへ。

チェンナイを出てから食べたいなーとずっと思っていた南インド料理を堪能。

父もMasala Dosaが気に入ったようです。


ランチのあとはNational Museumへ。

インドの博物館というのは
すっごいものがたくさんあるのにディスプレイがお粗末なので
もったいないなぁと常日頃感じているのですが
ここはさすがにマシ、だった。

でも満足とは言えない扱いをしてる。
すごくきれいな石像とか外に並べてあるのとか見ると心が痛むのです。

展示品はすっごいのがたくさんあったよ。
「これ世界史の資料集にのってたよね?」みたいなものがあって。

仏像もたくさんあったので
また追っかけ旅に戻ったような。

ブッダのRelicsも置いてあるんですよ~。
ただの白いかけらにしか見えなかったけど、一応拝んでおきました。

なぜかラテンアメリカとかヨーロッパのものも展示してあって
なんだそりゃと思ったけど。


このあとSarojini Nagarというところのマーケットに行ってお買い物。

ここはお店で売れないような傷ものの服が流れてくるところらしく
交渉次第でかなりお得になる場所。

この間のとこみたいにごちゃごちゃしてました。

Fixed pirceのお店も多いので、安くはならないけどぼったくられもしない。


2食連続

このあとまたCannaught Placeへ行って専門店で紅茶を買い
またSaravana Bhavanでご飯にしました。

北インドで言うThaliは南ではMealsと言って
ご覧のようにたーくさん汁物や野菜がつきます。

ケーサリもついてたね。ホントタミルナドゥみたいだ。


明日父が帰国の途につきます。



2013年7月7日日曜日

北インドブッダ追っかけ旅 (1) Delhi

こんばんワニ。


今日2年間過ごしたタミルナドゥを離れてインドの首都デリーにやってきました。

チェンナイ(最近できた新しいターミナルでガラスの天井が落ちてくるという大失態が2回もあったお粗末な空港)から飛行機が飛び立つ瞬間は、正直泣けそうでした。え?泣いてないですけど笑

Air Indiaはあんまり乗ったことないけど、人によってはやっぱNational Carrierだから一番信頼できるって言ったりする。でも今日ちゃんと搭乗の案内がなくって、てっきり遅れてるのかと思って聞きに行ったら、「これは10時45分のフライトでしょう?なんでこんなに来るのが遅いのよ」と係のオンナに言われカチン。搭乗ゲートについてみれば「今ドアが閉まるところだよ」と言われ「何も案内がなかったのに」と言い返したら「ドアは自動だからしょうがないんだ」とウソくさいことを言われる。

機内で観た映画"Podaa Podi"がおもしろかったからよしとする。タミル版Step Upに現代NRI(Non Resident Indian:海外に住むインド人)特有の問題をからめた感じ、って言ってもわかんないよね…

デリーについて、3年前のことを思い出しつつきったねぇPrepaidタクシーに乗りホテルへ。チェックインしてちょっと休んだあと父を迎えにまた空港へ。

18時少し前に父と無事に会えました。父の荷物が大きいと思って駐車場から来てくれた運転手くんもあまりにも父の荷物が小さいので苦笑いをしてました。

サンダルを買いたいという父と空港ホテル街Mahipalpurを散策。けっこうぼったくられたサンダルご購入。

夜ご飯は近くのレストランへ。がら~んとしている。タミル料理と違ってどろっとしたカレーや小麦粉系主食(ナンとか、Rotiとか平たいパン系)で、おなかいっぱい。北インドの料理ってお腹に重たいので、気をつけないと。

ということで、今日もアーユルヴェーダのお薬飲んで就寝です。明日5時出発。汗


あー、で、なんで表題がお釈迦さまの旅か。

このへんで書いたように、今回の旅では仏教の「聖地」といわれる場所を訪れます。お釈迦さまが生まれたところ、悟りをひらいたところ、はじめて教えを説いたところ、それに亡くなった場所です。このうち北インドにあるのが生誕地以外の3つ。ここをメインに訪れつつ、ちと脱線したりするわけです。

インド行ってみたいね~と父が言って、最初は冗談だっぺと思ったけれど、なんだかんだで本当に来ちゃったね。いい思い出になりますように。


2013年7月6日土曜日

Detour: Veelinayakenpatti - Chennai

こんばんワニ。


昨日の夜Veelinayakenpattiを出てChennaiにやってきました。

やっぱりお別れはツラかったです。


C甥っ子ファミリー

次に会うまでこの娘たちは私のことを覚えててくれるんだろうか。


Mんちの家族

いろーんなことがあったMのおうち。

お父さんの具合がよくなりますように。


この写真、昨日Dindigulのバス停で撮ったものです。

と思ったあなたは大正解です。

予約していた電車に乗り遅れバスでやってきました苦笑

22時10分の電車に乗るために
21時くらいにVeelinayakenpattiを出ればいいと言っていたのに
21時をすぎてもお別れがつらくて
ダラダラしていたら出発が21時半近くに。

案の定「40分あれば大丈夫」なーんて言っていた
お兄ちゃんRも半ばあきらめムード。

でも電車ってよく遅れるし!と思ってDindigul Junctionについてみると
電車がない。

あの~、Chennai Expressはもう行っちゃったんでしょうかと聞くと
このプラットフォームから出るよとのこと。

あーよかった!と思って歩き出すと、
ん?
電車がホームのあーーーっち側に停車しているではありませんか。
というか、停車じゃなくて動いてる。

えーーーーーーーーーーーーーーーーーー!

と思って走って、走って、走って、走った!

でも私のバッグをひとつ持っててくれたMが追いついてこなかったので
無念、あきらめる。

このまま帰って明日行けばいいじゃないという甘い誘いを断り
バスで行くことにする。

幸い、バス停についたらちょうどChennai行きが出発するところ。

この間の夜行よりシートふかふかで乗客も少なかったので悪くなかった。



Adai Aviyal

昨日の最後の晩餐は私の大好きなAdai Aviyalを作ってもらいました。
夜食にと少し持たせてくれたけど結局食べられずに朝ごはんにしました。
おいしいけど、やっぱりひとりで食べるとさみしい。

次にこれを食べるのは…いつになることやら。


は~。疲れた。

今日はChennaiでショッピング三昧!
とかではなかったです。

Chennaiの街を何をするでもなくぶらぶら~とすごしました。

本当は電車のChennai Egmore駅の近くに泊まっていろいろ計画してたけど
それもおじゃんってことで苦笑。




2013年6月15日土曜日

Internship Day 19 トラの山からKaraikudi

こんばんワニ。

ネットがつながらない山奥に行ってました。以下ここ数日の記録です:


Internship Day 17: 6月12日(水)

GobiMYRADAからArepalayamのトレーニングセンターに引っ越して3日目。

いろいろあったような、なかったような。

あいかわらず、意思疎通がうまくいっていないというか、何をすればいいのかよくわからないというか、めんどくせーと思うことが続いています。初日(月曜日)なんか責任者が「土曜まで君たちが来るのを知らなかった」とか言って6時まで来ないんだよ?おかしいべ。土曜にはわかってたんじゃんね?笑

メンバー(私のクラスメイトとチェンナイからの生徒)同士でコミュニケーションがなってないというのも問題で、毎日プチけんかみたいなことになっていて、私は高見の見物をしています。といってもメンバーの一員なので誰かモメてると災いはバラバラと降ってくるわけだけど。

まーともかく。

おとといこの山間のトレーニングセンターにやってきました。

上記の理由で責任者と話をもてたのが夜の30分ほどなので、はっきり言ってここで何のトレーニングをしているのかよくわかりません。そこそこの敷地面積であるのはわかるのだけど。ここにはたくさんビニールハウスならぬ網ハウスみたいなのがあって、たぶん学校行ってないんだろうなというような若い子(オンナノコメイン)がたくさん働いています。学校行ってないというのは私の憶測ですが、若いオンナノコに学問を続けることをすすめるかわりに雇用するなんてまさかNGOがするわけない(と思いたい)ので、若いうちに結婚させられた子に雇用の機会を~とか、extraで憶測がむくむくとわいています。

で、何を作っているかというと、菊とか、花です。




日本人の感覚だと菊→葬式とか思っちゃうんですけど、菊はお寺で神様にささげたりするようなので、需要は高そうです。チェンナイとかバンガロールで販売しているそうな。

もともと私は切花反対主義なので(鉢植えは可)特に興味がありませんが、Kはかなり興奮してました。

私たちのいる地域は森林保護地域に入ってるんだか入ってないんだかのぐらいのエリアなので、野生の動物がそこらへんを通ったりするそうです。例の責任者も月曜日にはじめてトラを見たと言っていました。あと、CMRCのアシスタントのおっちゃんは、毎日ゾウがジャックフルーツを食べに来るって言ってた。トレーニングセンターの敷地にもサルがいっぱいいて、向かいのお店からヒトの食べ残しをパクっているようです。でもココナッツチャツネの袋にむしゃぶりついているのを見ると、サルでもインドにいたら辛いものOKになっちゃうのかねとしみじみ思いました。

で、肝心のインターンシップ。

先日、ここで「新しく」Kitchen gardenの事業をするからうんぬんかんぬんと書いたと思うのですが、ここに来て実はもうこの事業去年はじめていたということがわかりました。はじめたと言っても7月の15日間でKitchen gardenを各家庭で作って点滴感慨を整備し、種配っておしまいみたいな感じだったみたいだけど。

ということで、その際(始める前)120人の受益者(8ヶ村)に直接聞き取り調査をしていて、その質問表を見せてもらったら、なんと私たちが先週準備した質問とまるで同じ。調査が去年だったので、今年新しい受益者を対象に同じような調査をしても結果は似通ってくるだろうからやる意味がまるでなし、だと思うんだよね。「どの種がほしいですか」みたいな質問は個々で変わるからやってもいいかもしれないけど。

しかも、こういう地域で交通機関も限られてるので、責任者(トレーニングセンターの主任)はここから離れた村には朝5時半のバスに乗って行けと言うわけ。で、聞き取りして8時のバスで帰ってこいと。おかしいべ。村には30分くらいでつくらしいのだけど、それって6時台でしょ。この時間帯農家は農作業してるし、お母さんはご飯作ってるし、ガキは(当然学校も遠いので)早い時間に家を出る。(前提は調査をする前に村の人たちと顔見知りになっていることだとしても)そんな忙しい時間に「裏の畑のことなんですけどね」なんて聞けないでしょ?

で、村の人たちがどちらかというともうちょっとリラックスしている時間帯には交通機関の関係で行けないか、夕方6時以降は動物がぞろぞろ出てくるので私たちがほっつき歩いているのはよろしくないというわけです。

つまり…交通機関で村をまわるのはものすごくむずかしい。かといっていくつかの村はトラの保護地域に入ってるので(個人的には恐ろしくて行きたくない)公共交通機関(バス)以外の車は入れない。←事前に許可が必要。まぁ、もともとMYRADAが私たちのために車出してくれるってこともないんだけど、こういう事情でお金払ってタクシーで数日かけてまわるってのもむずかしいわけなのです。

こういうとこで事業をしているというのはとても尊敬に値することだし、ぜひそういった地域も訪れてみたいけれど、私たちにもできることって限られてるので…

だからぶっちゃけ、何をしていいのかわからなくなった。やろうとしていた調査は終わってるし、やろうとしてもlogisticsがかなり難題だし、サポート体制もない(勝手にやってね状態)。なのでGobiの責任者に電話して「何が求められているのかわからないんですけど」と言ったら、この人も去年の調査のことは知らなかったようす。「誰がこの調査結果見せてくれたの?」なんて言ってる始末。だから質問表作ったときにこれでいいねなんて言ったんだろうね…。。。なので、「1年たってるし評価ならできるんじゃないですかね」と伝える。「それはいいね!私もどうなったか知りたいし」だそうです。評価、やってなかったんだろうか。

で、グループメンバーに「こうこうこういう評価はどうかな」と言うと、沈黙。「私はこう思うけど、結局(タミル語で)質問するのはみんなだからみんなが賛成してくれないとできないじゃん」と言ったのだけど、沈黙。結局、どうでもいいんでしょうね。「評価なんてやったことないから何をしていいかわからない」などぐちゃぐちゃ言い訳を並べるチェンナイボーイ。女々しくて泣けてくる。幸い私たちは先学期評価のクラスやって、実際に開発事業の評価をやってるので、なんとなくはわかる。うだうだ言わないで、何かやれば責任者も努力は認めてくれるでしょう。

つーことで質問表を作成しなおし。

トレーニングセンターはちーさな村にあり、これまた中距離バスが止まって運転手や乗客が休憩をとるところなのでちーさな食堂が3つくらいあり、朝早くから10時までやっているそう。でも他にはなーんもない、そんなところです。ご飯食べるところが目の前にあるのは幸いだけれど、バリエーションもないしね。。。まぁ、お店の人にも顔を覚えてもらったのでニコニコ対応してもらうとホっとするけれど。私のRelianceもつながらないし(Vodafoneのモデムは使用可)、初日は泣きたいと思った。2回目のVPPほどじゃないけど寒いしねー

と、ここまで書いたのが今朝。

このあとCMRCに行ってマネージャーに会い、こうこうこうしたいんですけどと伝え、結局去年の事業の評価をすることに。8ヶ村のうち最寄の3ヶ村、43名の受益者のうち24か25くらい質問をしようということになりました。アバウトにしてあるのは行っても受益者の人に会えない可能性もあるからです(農家は畑にいないかもしれないから)。でもGobiの責任者が受益者全体(120名)の15%(18名)か20%(24名)くらい調べればと言ったので24名はおさえたいところ。

で、朝ちょっとミーティングしたあと3ヶ村に行きました。最寄とはいえ…1キロくらいって言ってたけどもっとあったと思う。まぁ、高地で涼しいので平地の太陽の下ヒーヒー言いながら歩くのとはちがう(けど陽射しは強いわ)。途中このへんの地域の作物などについてCMRCのアシスタントさんに聞きながらのんびり歩く。





Kitchen gardenですが…。まぁ、きちんと世話をしている人もいれば、あれっ?みたいな人も多かったかな。「ちょうど作物の植え替え時期で」と横ヤリを入れてくるマネージャー氏を疑うわけではないけれど、きちんとやってねぇなって人は確かにいます。「世話は大変」って言ってる人もいるし。高齢の人は買った方が楽チンって思っちゃうかもしれないし。けれど、MYRADAのトレーニングセンターがあるArepalayamに住んでる人たちはけっこうきちっとやってたかな。サポート体制もここはしっかりしているのかもしれない。農家の人が多くて植物の世話に慣れている人が多いせいか多くの家できれいな花を植えている人が多いです。バラとか、こんな寒いところでも育つんだと思ったジャスミン、その他もろもろ。

とちゅう、きれいな花をたくさん植えているおうちでティーをご馳走になりました。先日読んだMYRADAの「地域で地元住民のグループをもりあげるには」みたいなマニュアルを読んだときに、こういった際ティーを断るのはあまりよろしくないと書いてあったのを思い出してしめしめと思う。このあたりでは通常ティーには白い砂糖じゃなくてjaggeryを使うのだそうです。でもお客さんが来たときは普通の砂糖。Jaggeryの方が体にいいのにね。




また、最初に行った2ヶ村ではヴェジタリアンの人が多いと聞きました。ある一定のCommnityの人たちで構成される村だからだそうです。食事にもコメを使うところにRagiを取り入れていて(Ragi dosaiなど)、それも健康にとってはプラス。んじゃー伝統的に健康的な人たちなんじゃ…じゃぁ事業やる意味あったの?とか思っちゃうけど、やっぱり野菜不足のため貧血の人がけっこういるんだってさ。ほうれん草食おう。


今日長々と歩いてこのあたりの人たち(特に男性)が平地のぶよぶよおっさんたちと違う理由がわかってきた気がする。伝統的にちょっと健康的な食生活をし、よく歩き(坂道も多い)、よく農作業をする。だから平地の人よりは体つきが健康的に見える。実際はどうかわからないけれどそれが私のimpressionかなぁ。


空き地じゃなくてKitchen gardenですよ

しつもん中


まぁそんなわけで25名の聞き取りを終えたわけなのですが、「明日Gobiに帰りたいんですが」と言ったら、朝5時半バスの主任に会ってから帰ってきなと言うわけ。でもこの人あさってまでここに来ないのよ。明日何すりゃいいんでしょ。

夜。電気のつかないバスルームで顔を洗っていたKが「大変!ちょっと来て!」と大慌て。また何やらかしたんだと思って行ってみたら、なんと小鳥がバタバタしている。

来た日から鳥がぴーちくぱーちくと朝から夕方くらいまで鳴いてるので屋根裏(といってもトタン屋根なんだが)にでもいるんだろうと思っていたんです。しばらく使ってなさそうだった部屋には鳥のふんがたくさんあるし笑。でも小鳥がおっこちてるなんて何事!

日本人の感覚として「おっこちてる小鳥に手を出したら親鳥は世話をやめてしまう」って思うので「手でさわっちゃだめ!!!」と言ったのだけど、Kはエサをやるわ(ビスケット)水をたらして「飲んでる」と大騒ぎ。さわっちゃだめなんだってばと何度も言ったのだけど。

で、ベッドフレームを立てて、巣があるらしい屋根と梁のすき間に鳥を返せと「叔父さん(のちほど登場)」が言うので、夜中にベッドをぎーぎー動かしていると、部屋のすみに黒い影がふたつ。よく見てみるとそこにも小鳥が2羽。でもこの2羽はもう羽をぱたぱたして多少は飛べる感じ。捕獲しようとすると逃げる。とかってぎゃーぎゃーやってるのに親鳥がどこにも見当たらないので、私たちがこの部屋に来たことで逃げてしまったんじゃないだろうかと思う。

戻すのは待って様子見をすることに。鳥が寒いかなと言って葉っぱやら綿のようなもの(カポックというらしい)をかき集めてベッドを作り、そこでとりあえず寝てもらう。3羽ともねむそーにして、ピィとも言わず寝る。

Internship Day 18: 6月13日(木)

ブラブラ過ごせばいいよねと思っていた木曜日は大変な1日になりました。

朝イチで親鳥のような鳥が戻ってきているのを確認。遠目に観察していると、私たちがさわったにも関わらずまだちゃんとご飯をやっているようす。よかったぁと思うものの、最初に見つけた飛べない鳥はやっぱり動きづらそうな感じ。親鳥がいないのを見計らってよく見てみると、折れているんだかまだ生まれたばかりだからか、この子の足はまだまっすぐ立たないみたいでした。動き回るのもままならないようですが、親鳥がくると一生懸命そっちの方に動こうとしています。だけどうまくいかない。見ていて涙が出そうでした…

と、親鳥が戻って世話を再開したにも関わらず「小さいやつはほかの2羽よりご飯をもらってない」とまたビスケットをやっているK。「あのさぁ、あんたが世話すれば世話するほど親は世話しなくなる可能性があるよ」と言うとだまって小鳥を戻す。

そんなこんなで朝から鳥の世話をしたり、昨日の聞き取り調査の項目と去年のを照らし合わせたり、あんまりダラダラせずに夕方になったなぁ~。主任はいつ来るんだろうと思っていた16時ごろ。

クラスメイトSが泣きながら電話をしてきました。なんと別のクラスメイトDのお母さんが亡くなったとのこと。すぐにDの家にみんな来て!ということでした。

とは言え、インターンシップ中にだまってここを出て行くわけにもいかないしということで、学科長やGobiの責任者に電話をして許可をいただき、彼女の家に向かうことになりました。どこにあるのと聞くと、Karaikudiという私は聞いたとこのない場所。Maduraiから2時間くらいの場所と言われても、あいまい。。。。

ということで地図にしてみました。




17時半ころあわてて荷物をまとめるとなんとバスが今!トレーニングセンターの前に止まってるとのこと。お世話になったスタッフやお店の人たちにお礼を言うヒマもなく、半ば夜逃げ状態でバスに飛び乗る。小鳥たちのことが気になり、後ろ髪をぐいぐい引かれながらArepalayamをあとにする。どうぞ、親鳥さんたちががんばって子育てを続けますように。

下りヘアピンカーブは速いけど、気持ち悪くもなりますね。。。

どうやら22時台にTirupurから直接Karaikudiに出るバスがあると叔父さん情報なので、それまでに間に合うようにと急ぐ、急ぐ。途中GobiのMYRADAで荷物をおろし、またあわてて飛び出す。22時くらいにTirupurにつかないと席が確保できないかもと言われあせるけれど、MYRADAからGobiのバス停まで行くためのバスがなかなか来ない。次の停留所まで歩いてようやくバスに乗りGobiバス停へ。ここでも出発ぎりぎりだったTirupur行きに乗るとTirupur到着は乗り換えバスの出発時間の22時45分といわれ、またあせる。しかし案外早くついたので(それもどうかと思うけど)ようやく夜ご飯。食べてすぐ23時にバス出発。

なんていうか、普通の乗り合いバスみたいなバスなのに夜行、っていうのは初めてでした。前にACつきのデラックスバスみたいなのには乗ってるけど、これはフツーの車両の席を多少改良したくらいの感じで、気分はちょっとそのへんに行くような気分のバス。リクライニングなんてもちろんないわけで、そんな中で眠るのはちとキツいものが。幸い涼しかったというかぶっちゃけ寒かったので汗だくとかじゃないけどね。

Internship Day 19: 6月14日(金)

7時間くらいかかったかな。ようやくKaraikudiへ。Arepalayamからは12時間経過済。

こちらに来てやたらと結婚式にはおよばれするけれど、葬儀は2度目。何を言っていいのかさっぱりわからないままDのおうちへ。数時間前に到着していたクラスメイトたちに囲まれて、Dがさめざめと泣いていました。事情は詳しく聞きませんでしたが、お母さまは呼吸系の病気を患っていたのだそう。彼女も呆然として疲れきっているようでしたが、長女としててきぱきと親戚に指示を出したり、弟に頼んで仕事をしてもらったり。お母さまも生前は家のことをてきぱきとやってお父さんをひっぱるタイプだったそうです。

明日ちょうどタミル暦の月が変わるのですが、葬儀(3日かかるそう)が月をまたいでしまうと家族にまた不幸があるのだそうです。だからDは2日で全て終わらせなければならないとお父さまに伝えているようでしたが、お父さまは3日やりたいと考えているようで、それでモメているうちに時間がすぎる。そのうちようやく、私たちは別に葬儀に参加するために来ているのではなくて彼女に会うために来ているというのがわかりました。話を聞いて、気分をやわらげてあげるということなのでしょうか。私はてっきり葬儀までいるのかと思っていたので、朝ごはんを食べてあっさり「じゃぁそろそろ戻りますか」というのは変な気分がしました。

でもみんなインターン先からあわてて来ているわけで(許可が出なかった子たちは週末に来る)、しかも一番遠隔から来ている私たちはいっそいで帰らないと今日中にたどり着けなくなってしまうのです。そんなわけで10時ごろDのおうちをあとにしました。

それにしても、こんな若いうちに母が亡くなるなんて、Dはさぞかし辛いだろうなと思います。しかも、ご両親は異コミュニティ間の恋愛結婚だったそうで、お母さまの葬儀だというのにお母さまの家族親戚はDの家に入るのを拒否して外にいるという始末…あぁ、インドって複雑だ。めんどくさい。

Mが月曜日に企業の面接があるからと実家に帰ったので、帰りは私とKのみ。陽射しの強くなってきた窓側の席で、Gobiまで戻る。Tirupurに直接行くバスがないのでTrichy経由で帰る。←これだと1時間半くらい時間が長くなる。。。Trichyまでは3時間。30分ほど乗り換え待ちでTirupurまではまた5時間乗車。

Tirupur行きのバスで途中、Kの「叔父さん」が乗車。叔父さんというのは呼称のようなもので、実際はKのカレシでした。まぁいっつもKが電話口で怒鳴り散らしているのはこの人かくらいの感覚だったけれど、辛くあたられても笑Kをやさしく見守ってくれる男性という感じでいい人なんじゃないかと思いました。そんな叔父さんとTirupurで夜ご飯を食べて、Gobiについたのは22時近くでしょうか。あぁ、疲れた。お尻が痛い。


お葬式の花とか私が思ったからバチが当たったんだろうか。と今ふと気がつきました。


2013年6月3日月曜日

Internship Day 8 米祭り

おはよウナギ。


インターンシップも第2週に突入。

なんとか1週間生き延びたという感じ。

最初に書いたように
食事のたびに外へ調達しにいかなくてはいけないので
めんどくさかったのですが。

Chennaiからやはり研修で来ているオトコノコ(学生)が
食事の際は(わざわざ)近くの町(Gobichettipalayam)まで行っているので
そこで私たちの分も買ってきてもらっています。

やはりオンナノコだけで
夜くらーい道をゴハン食べにいくのは
どーかと思っていたので
ありがたい。

と、いうことで、例によって彼に頼んで買ってきてもらった
ある日のランチ。


大きさ、わかりますかね

私はランチ食べないので
買ってきてもらったのは
ツレのKとMなんだけど。

これ、インドのこのあたりではポピュラーなミールスというランチです。

山盛りご飯に
サンバルクルマーラッサムという汁状のカレー、
野菜炒め、
右側にうつっているアッパラム
甘い汁状のデザートパイヤサム
などなどてんこもりの内容です。

このへんでも紹介済)

持ち帰るときは
ご飯をバナナの葉っぱにくるんで新聞でダブル包装し
汁ものはビニールにいれてもらうのですが

この日買ってきてもらった袋が
やたらにデカい。重い。

おそらく、ひとりぶん1キロくらい米が入っている

いろんなところで書いていますが
タミルの食文化は米メイン。

野菜とかもっと食えよと思いますが
米、米、米。

個人的にはもっと別のもん食えば
糖尿病問題も軽減するんじゃねと思っているくらい。

にしても、多すぎでしょ!!!

ということで、ふたりでひとり分をシェアして
(それでも食べ切れない)
もうひとつは夕飯になりました。

これで50ルピー。
持ち帰りでParcelにしてもらう場合は60ルピー。

安い、でも米だらけ。


さぁて、2週目、がんばります。


2013年5月26日日曜日

結婚してくださいの人と僕じゃだめですかの人 Palm Fruits

こんばんワニ。


どん

エキゾチックなインドの果物を食べる機会ももう少なくなってきたと思うので
あ~あれ、食べたいなぁと思ったものは
今のうちに食べよう、という魂胆。

まぁ、果物だけじゃないんだけど。

ということで今日はPalm Fruitsを買ってきました。

Palmってのはヤシです。

私さぁ、
ココナッツっていうのはヤシの木にはえるものだ
と思っていたから、
最初Palmのフルーツっていわれたときに
それココナッツじゃんって思ったんだよね。

で、もらってみたら全然違う代物だったわけで。

ココナッツがヤシの木にはえるってのは間違いじゃないんだけど、
ヤシにはココナッツの他にもたくさん種類があるんだって。

っていうのはPalm fruitsを食べてからわかったんです。

今ググったらPalm fruitsは正式にはPalmyra fruitというようです。
この果物をつける木のラテン名はBrassus flabellifer(たぶん)。
(ココナッツはCocos nucifera。)

で、これね。

この白っぽい果物がヤシの木にぶらさがっているわけではなくて、
「ヤシの実」の中に入っているわけなのね。

なんか古臭い写真だけど参考はこちら

この黒っぽいヤシの実の表皮をなたでちょっと切っていくと
中のやわらかいしろっぽいところに3つばかりのこの果物が隠れています。
これをなたでていねいにはがしていくわけですね。

果物3つ、つまり実ひとつぶんで10ルピーなり。

これはココナッツジュースやスイカ同様、
夏の時期に体温を下げると信じられているもののひとつで、
このシーズンよくそのへんでおっちゃんがなたを片手に売っています。

あっ、こっちのページの写真の方がわかりやすいかも。

この白い皮をていねいにはがして、
中の半透明の部分だけいただきます。
見た目どおり、ゼリーのような食感で、
中にちょっと果汁が入っています。

そんなに甘くないし、皮食べちゃうとものすごくマズいんだけど、
なんかクセになります。

ちなみに今日、
3つだけくださいと言ったあと
袋におっちゃんがつめている間にお財布から10ルピーを出しました。

顔を上げるとおっちゃんが最後のひとつを袋に入れているところで、
それがものすっごく小さいやつだったので
代えてもらおうかと思ったけど、
まぁいっかと帰る。

あとで袋の中を見たら
4個入ってました。

小さいのはおまけだったのね…

代えてくださいなんて言わなくてよかった苦笑


■  ■  ■  ■  ■  ■  


今日は半日ダラダラして、
半日部屋の中のものをゴミに出して
夕方、Chinnalapattiまでお散歩にいきました
(そのときにPalm fruitsを買ってきた)。

私はもう早くテストが終わってインターンを待つのみですが
夏休み中に特にプログラムがない寮生は
期末テスト最終日にたいてい寮を出ます。

そんな感じなのでここんとこ
寮を出るとやたらと荷物を持って実家に帰る人たちばかり。

卒業して出て行く人も
あんまり荷物がないので
(小さなスーツケースとダッフルバッグくらい)
どうやって2年間とか3年間過ごしてたんだろうと
不思議に思います。

私なんか4箱実家に送ったのに!

同じMBAの子たちでも
インターンシップが終わってないのはうちの学科だけなので
(他の学科は12月中にやっちゃったらしい)
2年間一緒に過ごしたメンバーを何度も見送りました。

さみしい。。。

それに私ももうすぐここを出るしなー

と、イヤなことはいったん忘れて
感傷にひたっていると

見慣れた顔が。

このへんで登場したMBAのケララのオトコノコM。

あら、まだいたのねぇ。

M「いつここを出るの?」

私「インターンシップがはじまるから月曜に出るよ
そっちはもうインターンシップは終わってるよね。
いつ帰るの?」

M「今日帰るんだ」

と、握手。

私「そうなんだぁ」

彼はこのあと軍隊に入るつもりで、
でもコンピュータやマネジメントなど
学士修士で学んだことを活かせる
そんなポジションにつきたいのだそうです。

とりあえずChennaiの部署に入ることが決まっているようなので
何かChennaiで必要なことがあれば
電話して、とのことでした。

はー。。。
最後までいい人だ。。。

(上から目線だけど)
私はオトコレベルがあまり高くないMBAの中でも
彼を一番高く評価していました。

気さくだし、あいさつは欠かさないし、
笑顔だし、
頭もまぁ悪くないようだし、
将来のビジョンをしっかり持っていて
ものすごく好感がもてます。

いつだったかなぁ、なんかヘコんでたときに
たまたま彼と話す機会があって
「MBAのあとは日本に帰っちゃうの?」
と残念そうに聞くので
「結婚してください」
と言いたくなったくらいです笑

私「わかったー、電話番号は変わらないよね」

M「うん、同じ番号。
Facebookでも連絡とろう。
それじゃぁ」

と、颯爽と去るM。

これからはFacebookでつながるのみか~。。。
惜しい男を逃がした。

と、大学の入り口まで来て
Chinnalapattiに向かって歩いていると
野菜やさんの隣の小さなティーショップで
MBAのオトコノコたちが集まっている。

今学期からかなぁ、
いっつもここで集まっているメンバー。

寮にまだ残ってる人じゃなくて、
家から通ってる人もわざわざここまで来て
だらだら~と過ごしているようです。

私が野菜をここで買うようになってから
話すようになった人もいて
(同じクラスにいても話さないオトコノコいっぱいいるから)、
そんなことも考えていると
さみしくなるなぁと思ってしまうのです。

と、そんな中に友人RMが。

RM「いつここを出るの」

私「月曜かな…」

RM「インターンシップがあるよね」

私「そうそう。月曜からだよ」

RM「日本に帰るのは?」

私「7月になるかな」

RM「そのあと、結婚するの?

私「笑それは、いい人が見つかってからでしょ」

RM「ひとつ聞いていい?」

私「うん」

RM「僕じゃだめ?

私「笑博士号とってから連絡して」

RM「博士号?」

私「ダンナは博士号かお医者さんか弁護士がいいから笑」

けっこう、コイツもお調子者だわ。


■  ■  ■  ■  ■  ■  


お客さんに私のことを「友だち」と紹介している
Ceylon Bakeryのお姉ちゃん。

最近Amla(グースベリー)のジュースを買うようになって
顔見知りになったGandhigram Trustのお店のお兄さんは
お店の前を通るたびにニコっとしてくれる。

Trustの前の小さなお菓子やさんのお姉さんも
道で会うたびにあいさつしてくれる。

「シスター、ブドウは?」
といつも声をかけてくれる
踏み切りの近くでブドウを売ってるお兄さん。

タミル語も結局全然上達しなくて
簡単なやりとりしかできないけれど
こうやって何度も顔を合わせて
あいさつをして
そういう関係が築けたのは
本当に幸せなことだと思っています。

明日が寮での最終日

ランチごちそうするわよと言ってくれるマニプリお姉ちゃん。

ホント、頭が上がらないです。

(今晩ホットケーキでお礼←足りねーわ。)




2013年5月21日火曜日

Internship? 2回見たら疑え。

こんばんワニ。


Jの誕生日

今日インターンの受け入れ先がどこになったのか聞きに学科へ。

23日(?)がクラスメイトのJの誕生日だそうなので
Canteenへ行ってケーキでお祝い。


もぐもぐ

思い返してみれば
去年の(クソ)サマープログラム1週目で

今日、誕生日なんだよね~。。。

と、お祝いがきちんとできないのを残念そうにJが言っていた、
それを今思い出しました。

今年は、人数が少ないけれど
友だちとお祝いができてよかったね。


 ■  ■  ■  ■  ■  


んで、インターンシップはどうしたかと言うと、
土曜日にみんなが「こう変更してください」とレターを書いてお願いしたのが
どうやら聞き入れられたらしく、
私は晴れて希望していたNGOに行けそうな感じです。

まだ正式に通達されたわけじゃないので
どーなんだろ、と正直思ってるけどね。

あ、今ググってみたら
このNGO本体じゃなくて他の団体とコラボしてやってる
そういうプログラム地かも。。。

まぁ、どうでもいいや。




 ■  ■  ■  ■  ■  


全然インターンシップとは関係ない話ですが。


私の中でインドを自分勝手に理解する法則として

男女が一緒に歩いているのを2回見たら仲を疑う

というものがあります。


(くだらねー!と思う方は読み飛ばしてください。
最後にくだらねー写真もご用意しております)


何度か書いていると思いますが
この田舎大学周辺は
まだまだConservativeな人たちがたくさんいるので
カップルが手をつないでデート
なんてのは見ないわけですよ。

(夫婦はけっこう手をつないでいるんだけど。)

じゃぁカップルは何をしているのかと言うと、
う~ん、
何をしているんでしょうねぇ。

大学の近くには映画館もないし(最寄はDindigulかな)
Chennaiのようにビーチがあるわけでもないし。

ここで生活するようになってわかったのが
大学入り口までのながーーーーーーーーーーーい道が
うちの大学のカップルのデートスポットのようなものになっている
ということ。

大学帰りの男女がつかず離れず、
バス停のある大学入り口まで
とろとろとろとろ歩いていくわけですよ。

オトコノコのほうが自転車だったりすると
おりて、押して歩いたりね。

あらまぁかわいらしい、
ものすごく健全なデート(?)ね。
年配者らしくよく思っています。


男女が並んで歩くというのもカップルくらいなもので、
それだって親御さんが厳しい場合は許されなかったりするので
ぶっちゃけ、あんまり多くはない。

んで、さっきの法則に戻るけど。

そんなConservativeなキャンパスで
男女が並んで歩いていたら、
「お?」と思うんです。

で、2回目に同じペアを見かけたら
んでもって同じような時間帯なら
あー、この二人、何かあるね
と思うようになりました。

ていうか別に、
キャンパス内全てのカップル追跡をしているわけではなくて
知り合いの人だけですよ笑
メインうちの寮の子。


ケース1:

ちょっと前に
入り口のベーカリーで二人でお茶を飲んでいる二人を発見。

オトコノコとも私は面識があるのですが
なんとなく声をかけづらいので見なかったフリ。

数日後同じ場所で同じような時間に
再び二人を発見。

なるほどね~。。。と思う。

先日、入り口から寮に戻る途中
オトコノコの方とその友だち(♂)と遭遇。

ちと暗いので一緒に歩こうと言ってもらったので
(インド人はジェントルマンだぜ)
一緒に歩く。

オンナノコとの仲を聞きたい。。。
聞きたい。。。
でも聞きづらい。。。

と思いながら私の寮の前まで来て
「じゃーねー」と別れようとすると

これ、●●に買ったやつ。渡して

と新聞に包まったスナックを渡される。

あらまぁ。

「みんなに」とかじゃなくて
彼女個人へってことは、
もうオープンにしてるってことかな。

そして配達員に成り下がる私。笑
雨がふってきちゃったから必死で守ったよ、スナック。。。


ケース2:

雨が降りそうなある夕方。

野菜やさんに行った帰り急いで寮に戻ろうとすると
いっこ下のMBAのオトコノコが
うちの寮の子と歩いている。

「雨降るよ~」と言うと
「傘持ってるから」という答え。

特に気にとめず帰る。

数日後、また雨が降りそうな夕方
同じペアが歩いている。

さすがにまた雨の話するとウザいかと思い
にっこり笑って通り過ぎる。

が、心の中では
へ~、この二人もかぁ
と思う。

今日クラスメイトNとこの二人の話をしていたら
Nいわく
このオトコノコ、このオンナノコとお付き合いをするようになって
ヒゲを生やしたりなんかするようになったそうです。

とかっていうのも
なんかかわいらしくていいわぁ。



もぐもぐ

これは今日じゃなくて先日のものです。

新鮮なウニをほおばる倉林さん

ではなくて、
Externalのために用意したランチが余っちゃったから
甘いものだけでも生徒で食べて
残飯処理班に任命された際の写真です。

これはKesariといって

案の定、頭が痛くなるくらい甘いものです。

レーズンやカシューナッツが入っている
プディングのようなもので、
Ghee(バター)たっぷり、
カロリーは知りたくない。。。

お祭りのときとか、豪勢なランチになると
必ずと言っていいほどついてきます。

普段でも出ることあるかな。

たまにすごくおいしいと感じるときもあるけれど、
これはあんまピンとこなかったなぁ。



2013年3月30日土曜日

おせっかいを通り越してはたメーワク Student Protest (3)

こんばんワニ。


数日前「夜寝るとき天井のファン使う」を解禁しました。

寝るときにACやらファンやら使っていると朝ノドが痛いので多少暑くても使わないのだけど、さすがに夏に向けて暑くなってきたので。


そんな今日はGood Friday(聖金曜日、キリストが死んだとされる4月の金曜日)。ここにいる東北部の子たちはたぶん全員クリスチャンなので、マニプール出身の先生んとこに集まってservice(お勤め、式)があるようです。

クリスマスも含めたまにこういった会にも呼ばれるのだけど、なぜかクリスチャンの集まりだと尻込みしてしまう私。

いつも自分は無宗教ですと言っているけれど、心のどこかで多神教(八百万の神様…)を信じているからなのかなぁと最近思います。


さて今日は夜ご飯何にしようと夕方Chinnalapattiまで行ってきました。

よく行くCeylon Bakeryにはキリストの絵がかけてあるのでオーナーがクリスチャンなんだろうな。クリスチャンの祝日だから今日はお休みだろうと思っていたけど、行ったら開いてる。携帯電話のプリペイドチャージ(をベーカリーでやってんだけど笑)担当のおじさんはいないけど、ベーカリー部門は通常営業って感じ。

働いている子に「今日休みじゃないのー?」と言ったら「違うのよ。言ってやってよ」とおじさんの息子(たぶん。同じ顔だから)に目配せ。

そこで息子氏に私から「何で今日休みじゃないんですかー」と言うと「でも休んでたらあなた買い物できないでしょ」と返される。

「休みだと思ってでもチェックしにきたのよ笑!」

おじさんの方は今日どっかでお祈りの式があるとかでちゃっかり休んだらしい。

働いてるオンナノコとオトコノコもてっきりクリスチャンなのだと思ってたけど、そうではないんだって。じゃぁ休みじゃなくても文句言うな笑


で、そういえばこのお店って「Ceylon」ベーカリーじゃんね、と思う。

Ceylonというのは「セイロン紅茶」と言われるように、スリランカの旧名です。

スリランカ政府に対するバッシングがタミルナドゥ中で盛り上がりすぎちゃってる中、ここも被害受けたりするんじゃないかと思ってたけど、そんなことはぜーんぜんなさそうな感じ。

Dindigulの本店は被害受けてたりして。

…そんなことない気がする笑

まさか地元の人はセイロン=スリランカだって知らないわけ?


と、私が言うのにはきちんと理由があるわけです。


反スリランカ政府運動がはじまってから、スリランカと名のつくものはやたらと襲われているんですよ。


たぶん最初に襲われたのはChennaiのBank of Ceylonだと思う。マスクをした12人が押し入り、銀行員を襲い銀行をメチャメチャにしたんです。

あとSri Lankan Airlinesのオフィスに石を投げつけたヤツもいました。


まぁここまでは、よく中国でも日本企業を襲うってことがあるので、ありがちだなぁと思っていたのだけど、次第に変な方向にエスカレートしていったわけです。


スリランカのシンハラ人たちには仏教徒が多いので当然お坊さんもいるんですが。Thanjavurを訪れていたそんなお坊さんが例の寺院で地元タミル人に襲われるという事件もありました。

そのあとすぐにまたChennaiで仏僧が電車の駅で襲われています


最近新しいカトリック教皇がアルゼンチンの内戦時代に殺戮を見てみぬフリしたなんて話も出てきたけど、かといって教皇が人を惨殺していたわけではないだろうし、このお坊さんたちだって進んでタミルの人たちを殺していたということはないと思うのです…


そしてもうなんかメチャクチャじゃんかと思われる事件が。


タミルナドゥの中に海岸エリアを切り取って別の特別行政区にしているPondicherryというところ(もともとフランス領でその影響が今も残りおいしいワインやフランス・インドフュージョン料理が食べられるという夢のような場所)があります。

ここにあるSri Aurobindo Ashramashramというのはヒンドゥ教の教えだったりヨガのレッスンをしたりするような場所)も最近50人のタミル人がやってきて施設を襲いました

で。Sri Aurobindoというここの創設者がシンハラ人でしたというならまぁなんとなくわかるのですが、Aurobindoは西ベンガル出身。

はい?

でも、ここが襲われたのは彼が西ベンガル出身だったからなんです。

じゃぁスリランカと関係ないじゃんと思うのですが。実は。

西ベンガルの州知事Mamata Banerjeeが国連人権理事会の決議(スリランカ政府の内戦時のタミル人に対する行いを非難するもの)に反対していたから、なのです。

…やっぱ関係ないじゃん!

これってつまり。日本政府がこの決議にちょっとでもイチャモンをつけようなら私がそこらへんでボコボコにされるというようなものなのです。恐ろしい。。。

(そういえば西ベンガル出身のクラスメイトNは無事だろうか笑)


そして、政治と切り離されるべきだと私が常日頃考えているスポーツ界にも影響が。


インドの国技ではないにしろものすごく人気があるクリケット。

インディアンプレミアリーグ(IPL)というのがプロクリケットリーグで、インド国内だけではなくて、クリケット選手が多い旧英国領の国から多くのプレイヤーが集まっています。

例によってタミル人の気持ちをくみとってますよと主張したいわがタミルナドゥ州の州知事Jayalalithaaは「スリランカの選手はうちの州でプレイしないでほしいわ」とIPLに言い出す。

でIPLもそれを聞き入れちゃって、Chennaiでの試合にはスリランカ選手は出ないことになったのです。スリランカの選手が襲われないようなセキュリティ体制が整えられないというのが理由らしいけれど。

アホか。こういうときだからこそ、スポーツではフェアに、気持ちよく、タミル選手もシンハラ選手もプレイさせるべきじゃないの???

けどねー。。。パキスタンの選手もしょっちゅうインドに来るなと言われるんですよね。クリケットは人気がある分政治が介入しやすいんだろうか。

にしても、シドニーオリンピックで北朝鮮と韓国が一緒に入場したことにエラく感動した自分としては、パレスチナとユダヤの子どもがサッカーを通じて交流しているなんてことにものすごく感銘を受ける自分としては、なんでインド人はこういうことができないんだと思うのです。


そして、もうはたメーワクとしか考えられないようなことも起こっています。


まぁ、以前から言ってることですが、タミルナドゥ州政府はタミル人が多い北スリランカを独立させろと言っています。

これはつまり、規模は違うけど、中国が横浜のチャイナタウンを独立させろというようなものです。

スリランカのことは、同じ民族であれ、他の国がとやかく言うことではないし、スリランカタミルがそうしたいのであればそれが実現するようにサポートを国際レベルで(国連とかね)することが必要だと思うのです。

まぁ、タミルナドゥ州政府にとっては「だってインド中央政府はタミルの気持ちわかってくれないんだもん!」ってところでしょうが、ウダウダ言う前に何もしてないスリランカ人の安全確保をしなさいよ。


で、今日の新聞で読んだけど、このゴタゴタでスリランカ出身のタミル人だってメーワクこうむってるのです。


最近の混乱で、スリランカから留学している生徒たちが物件を借りられないということが起きています。スリランカ人だと言うと、通常の書類の他に警察に行っていろいろ手続きがあるとかで、大家がめんどくさがって貸さないとつっぱねてしまうんだそうです。

これがシンハラ人だけだったらまぁ、ねぇ、こんなご時勢だから、と思うけどこれはタミル系スリランカ人にも当てはまることなのです。

というのも、Rajiv Gandhi(スリランカ内戦時にIndian Peace Keeping Forceを送り、結果タミル系スリランカ人と戦わせるハメになった)の暗殺(タミル組織LTTEによると言われている)からずーーーーっと、タミル系スリランカ人には警察の厳しい目がついて回っているわけで。

今回の反スリランカ政府デモに至っては、「タミルナドゥにきている難民の人たちはデモで先導きってるんだろう」なんて思うけど、実際には「スリランカの生徒はデモに参加しないように」と大学からきびしく言われて、寮で待機もしくはヒドい生活環境の「難民キャンプ」に帰っているそうなのです。


つまり、タミルタミルと言っているけど、本当に運動を起こしているのはスリランカの、本当にツラい思いをしたタミル人ではなくて、タミルナドゥで育って、最近になって「お隣の国でこういうことがありました、許せません」とわかってしまったインド人なんですよね。


結局誰のための運動なの?と思う。




2013年2月15日金曜日

Love Your Tata and Patti 私はサトウキビ

こんばんワニ。


もう日が変わりますが
今日はヴァレンタインデーでした。


赤いバラ!Ootyにて

今年のVDはなんだか不思議な一日でした。


実は今日、外国人というだけの理由で
セミナーでスピーチをすることになり
それでタミルナドゥでもみなーみの方、Palayamkottaiに行ってきました。

Payalamkottaiには
ミッション系の大学や病院が多く
南インドのオックスフォードといわれている笑
不思議な場所です。

ここにあるSt. Xavier's Collegeという大学で
Gerontologyをテーマにセミナーが行われ
それにゲストとして招待されたのです。。。

Gerontologyというのは私も聞いたことがなかったのですが
医療だけではなく社会的な諸問題等ひっくるめて
お年寄りのことを考えていこうという学問のことらしいです。

日本は高齢社会だから
政府もしっかりお年寄りの面倒見てるんでしょ
というのが企画者たちのイメージだったらしく
「日本でお年寄りが元気に気持ちよく生活できるように
政府が何をしているのか話をしてほしい」
と言われたんですね。

んでなんで私にそんな白羽の矢が立ったのかと言うと
たぶん、
もともとうちの大学の近くでホスピスを運営している人が
企画者と知り合いで(どちらも神父)
このセミナーに参加することになっていたので
どうせなら同じエリアで外国人がいたら連れてきて
みたいな流れだったのだと思います。。。

ある日突然クラス中に
私が敵扱いしているMBAコーディネーターから呼び出しくらって
なんなんだよと思ったら
「興味があるなら」行ってみないかと言われたので
テストのスケジュールとカブらないなら検討しますと返答したのに
次にコーディネーターに会ったときには
すでに私が行くと先方に言ってしまったあとだったようなのです。

コーディネーターの顔に泥を塗ってやりたかったので(ホント)
断ることもできたけれど
大事なテーマだし、
行ったら「発表しましたよ証書」がもらえるので
まぁ1日くらいいっかーと思って。

よくわかっていない介護や医療制度の仕組みなんかを
厚生労働省のサイトをあちこち見て勉強したりなんかして
やっぱ難しくてよくわかんなかったけど、
それまで何が問題だったのかは
なんとなくわかった。

なので自分にプラスになったのでよしとする。


お年寄りの面倒見ますという誓約の手形。。。

というのは実は「あとに起こった前置き」で
このホスピスに行ったことが
もっと自分の糧になったような気がするのです。


イギリスで神父として働いていたTさんが
イギリス人の女性とはじめた施設で
Dindigul地区で活動しているのですが
現在Chennaiにも施設を作っているそうです。

ホスピスというのは皆さんご存知だと思いますが
存命治療をやめて、人生の終わりを少しでも快適に過ごせるようにしてあげる
そういう施設です。

このホスピスはお金がない人たちのための施設。
つまりお金がなくて他の施設に入れない人
家族が面倒を見てくれない人
そんな人たちのための施設なんです。

亡くなるのを待つばかりの人だけ
というわけではなくて
知的障がいがあって路上生活をしていた若い人や
州外から来て働いていたような人
家族に虐待を受けていた人
などバックグラウンドはさまざまです。

インド+ホスピス
と言ったら
思い浮かぶのはマザーテレサのいわゆるマザーハウス
Kalighat, the Home of the Pure Heart: Nirmal Hriday
かもしれないですが
もちろんマザーハウスだけがインドのホスピスというわけではないです。

と、言うことも私はよくわかってなかったと思う。

こんな近くにこんな活動をしている人がいるなんて知らなかったし
ホスピスというのは死にゆく人だけの場所だと思っていたし
どういう人たちが集まってくるのか
どういう人たちがお世話をしているのか
さっぱり知らなかった。


おとといTさんと電話で話したときに
Tさんがホスピスをやっていることと
セミナーの前日(昨日水曜日)にホスピスに泊まって
当日朝早く出ましょうと言われたときは
ほ、ホスピスに泊まるの…?
と正直思ってしまったんですよね。

死を前に苦しんでる人たちの叫びが夜聞こえたりするんだろうか
とか思ってしまって。

昨日行ってみたらAutoで茂みみたいな道をズンズンいくので
やっぱりこんな、隠すみたいなところに作って…
といろいろネガティブなイメージばかりうかんでしまったのです。

でも到着してみたら
そんじょそこらの病院より手入れが届いているきれいな施設で
(もちろん新しいということもあるけれど)
花がたくさん咲いていて
拍子抜け。


けれどTさんに施設を案内してもらったら
なんていうか、それまで考えていたこととか
ホスピスのイメージとか
インドのお年寄りに対する考え方とか
なんか、180度変わっちゃうっていうか。

病気を患っている人、
精神を病んでいる人、
でもみんなTさんが来ると本当にうれしそうにするんですよね。

タミル語を話さない人も
とにかく何でもいいからTさんと話したいみたいで。

私の手をぎゅっとにぎって、離さないおばあちゃん。
ちょっと照れた感じでニコっとするおじいちゃん。
男の子。スタッフ。
夕方日が暮れて室内が暗くなってきたのに
あったかい空気にあふれてる。

その一方で

ハンセン病だと思うのですが
足が(おそらく)腐りかけている人。
頭皮がめくれてしまっている人。

排泄がコントロールできなくなってしまったので
床にたれ流しにするしかない人たちは
みんなと同じ部屋にいると感染症の恐れなどもあるので
壁のない一角に集められていて。

ワナッカム」(タミル語でこんにちは)と
私が手を合わせると
彼らも弱々しく手を合わせてにこりとするのだけど
もしかしたら彼らに次に手を合わせるときは
もう死んでしまっているのかもしれない
考えてしまうのです。


今までも精力的な活動をしているNGOスタッフに会うと
インドのNGOはすごいなぁ
こんなにみんながんばってるのに
インドで苦しんでいる人がたくさんいるのは
やっぱ政府のせいだ
とかしょっちゅう思っていたけれど

今回はなんていうか、感覚が狂うというか
感覚がにぶるというか、
ガツーンっていう衝撃より
今までの自分の価値観がゴミ箱に捨てられたような
そんな気分になりました。

ホスピスで働くのには
強い意志と本当に患者の人を愛する気持ちがないとダメ
とTさんが言っていました。

その通りだと思う。
とても難しい仕事だと思う。

冬は毎日平均ひとり誰かが亡くなる
そういう環境なのだそうです。

それをやってのけているTさん
他たくさんのスタッフ。

心から尊敬する。

自分は看護も介護も知識がないけれど、
お金もないけれど、
ここのおじいちゃんやおばあちゃんに
何かしたいと心から思っています。


このホスピスでは
マザーハウスと同じようにボランティアを受け入れています

宿泊・バスルーム施設がきちんとあり食事にも心配はないです。

医療経験などがある人の方がいろいろなお仕事ができるかもしれませんが
何よりもここに来て現状を見て
何かしたい、何かしよう
と考えることが一番大事だと私は思います。

南インドでこういった施設を見てみたいという方
Tさんにぜひ連絡してみてください。
もちろん私から紹介もできます。


今日のセミナーの企画者が

「今日はヴァレンタインデーですね。
学生の皆さんはウキウキしてるでしょう。
でもヴァレンタインデーや若い人だけのためのものじゃないんですよ
今年はおじいさんやおばあさんを愛する
そんなヴァレンタインデーでもいいじゃないですか

と言っていました。

そうだね。

Tata(おじいちゃん)とPatti(おばあちゃん)を
大事にする、そんな日だっていいじゃない。


 ●  ●  ●  ●  


ちなみに。

私の名前(みわ)

スワヒリ語で「サトウキビ

という意味だそうです。

スワヒリ語を話す人に自己紹介したら
「サトウキビ?ちょうだい!」
と言われるそうです。

なんだそりゃ。